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本を読む理由

本格的に本を読むようになったのは、ここ1〜2年の話だけど、小さい頃から好きだった。

最初のきっかけはハリーポッター。母親が挫折していた『ハリーポッターと賢者の石』を借りて、面白くて、同じ話なのに何度も読んだ。何が面白かったのか、もう覚えていない。とにかく物語にワクワクして、新刊が出るのをずっと楽しみにしていた。

中学生になったら、吉川英治の『三国志』にハマった。これまた狂ったように何度も読んだ。三国志関連の本も何冊か、お年玉で買ったのを覚えている。

高校生、大学生、社会人になってはじめの数年は、年に数冊読む程度になった。同じ本を何度も開くようなこともなくなった。思い返せば、子供の集中力ってすごいんだなぁと思う。

ただ、昔僕が行なっていたのは、文字情報をひたすら頭に入れていただけの読書だ。

いまは読書にも、意味を見出せるようになったはずだ。

心理学とか、脳科学がきっかけとなって、読書熱が再燃したのは、自分と接続された情報だからだと思う。自分の気持ちを、科学的に説明できる情報が心地よかった。そこから進化論とかにも興味を持った。派生して、哲学や仏教も好きになっていった。

そこからだんだん人間のことがわかってきた気がして、歴史の本を読む意味がわかってきて、読むようになった。人間のことがわかったら、人間をもっと理解したいと思って小説も読むようになった。

結果、だいたい何でも読むようになった。

僕が考える本を読む意味は、自分と接続することにあると思う。自分と、自分が生きる世界と社会、これらをどうやって見つめるかを考える材料を集めている。

世界でトップクラスの知見を持った人間が、長い時間かけてリサーチして、考えて、まとめたノウハウを、数千円と数時間で手に入れて、それを自分と接続するなんて、なんとも贅沢な趣味を持ったなぁと思う。同じような理由で映画も、音楽も好きだ。

本を読むことがつまらないと言う人もいるけど、その人はきっと自分に接続されていない、「関係のない難しい本」を読んでいるのだ。勉強がつまらないのも同じ理由。だから、まずは自分と繋がる本を読めばいいと思う。僕の場合はそれが心理学と脳科学だった。あとは勝手につながっていった。

書評を書こうと思ったのは、自分の記憶を呼び起こすツールとして残したかったという理由だ。旅の思い出を残した一枚の写真は、それだけで旅の記憶を思い出させてくれる。同じように、写真を撮るように、noteに書く。

これを読んだ誰かにとっても、同じような存在になればいいなと思う。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!