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『翻訳できない世界のことば』を翻訳するゲーム【雑記】

「翻訳できない」と言われたら翻訳したくなってしまう。人間だもの。

ということで、この本にでてくる単語を翻訳してみるゲームを1人でやってみた。1人でやってみたが、楽しい。たぶん誰かとやった方がもっと楽しいと思う。

というわけでここにその足跡を残してみよう。ぜひほかにアイデアがある人はこのゲームに参加して欲しいものである。



【翻訳できそうな言葉】

まずは僕が翻訳できた(と感じた)言葉をみていこう。

日本人として「日本語舐めるな」という気持ちで挑むと、意外と翻訳できるっぽいものは多かった。1つ1つ見ていこう。


■ポーレッグ(ノルウェー語)

パンにのせて食べるもの、何でも全部。

パン文化特有の表現である。「パンにのせるもの全般」に名前がついているらしい。きっとそれを名付けずにいることがとんでもなく不便だったのだろう。「明日ピクニックだからパンにのせる具材なにか用意しといて―」みたいなことを言い過ぎて「パンにのせる具材なにか」を省略したくなったのだろう。僕たちは「明日ピクニックだからパンにのせる具材なにか用意しといて―」みたいなことをさほど口にしないので、ポーレッグに変わる言葉を発明しなかったのだ。

さすがにこれに対応する日本語はないだろうと思ったが、よくよく考えれば日本語にもこれに近い概念が存在することに気づいた。

おかず」である。

おかずとは、ごはんにのせるもの全般という意味である。なにげなく使っている言葉だが、よく考えればこれに対応する英語やフランス語があるようには思えない。おかずを英語にすれば「side dish」ということになるらしいが、メインディッシュであるから揚げも日本語では「おかず」である。

なら「side dish」はどちらかといえば「副菜」ではないか。「おかず」は副菜というニュアンスだけではなく、米にのせて食うものという暗黙の前提が込められている。米にのせられない副菜を「おかず」とは呼ばないだろう。

ポーレッグとは、パン版の「おかず」である。「パンのおかず」というとかなり不格好だが、一番近いのはこれではないか。


■サマル(アラビア語)

日が暮れたあと遅くまで夜更かしして、友達と楽しく過ごすこと。

これは余裕で翻訳できる。ドンピシャの日本語があるではないか。

オール」である。

※日本語というか、和製英語だと思うが。

「オール」は「徹夜」とは違う。「仕事で徹夜する」とは言うが「仕事でオールする」とは言わないし、「一人でゲームして徹夜した」とは言っても「一人でゲームしてオールした」とは言わない。

また、「ファミレスで友達とオールした」と言うとき、「あ、一緒に受験勉強したんだな・・・」とは思わない。きっと音楽や恋愛のことについて楽しく語り明かしたのだろうと感じる。

「オール」とは常に友達と一緒で、楽しい場において使用されるのだ。まんま「サマル」である。


■フィーカ(スウェーデン語)

日々の仕事の手を休め、おしゃべりしたり休憩したりするために集うこと。カフェ、家いずれでも、コーヒーを飲んだり、お菓子を食べたりして数時間。

これも簡単だ。どう考えても「だべる」である。

「だべる」もともと無駄話をするという意味だったようだが、「だべる」という言葉をきいて思い浮かぶのは、パートの休憩時間にお菓子を食いながらオバハンが無駄話をしているところに、「ちょっと聞いてぇなぁ」と別のオバハンが集まってくる情景ではないか。

これはまさに「フィーカ」であろう。スウェーデン人にぜひ意見を聞きたい。


■グラスウェン(ウェールズ語)

直訳すると、「青いほほえみ」。皮肉であざ笑うようなほほえみのこと。

これはむずかしい。

「うすら笑い」が近い気もするが、これは不気味さの方が勝っている感じがする。もっと皮肉で憎たらしい印象が含まれている言葉を探すべきだろう。

「冷笑」や「嘲笑」も少し違う。おそらくこれらは大声で笑いすぎているのだ。おそらく「グラスウェン」はもっと「ほほえみ」レベルの言葉なのだ。「失笑」も「ほほえみ」的な意図を隠す意図が見当たらない。

あれも違う。これも違う。

考えに考え抜いて一番近い表現を思いついた。

暗黒微笑」である。

・・・いや、ちがうか?


■ジュガール(ヒンディー語)

最低限の道具や材料で、とにかくどうにかして、問題を解決すること。

これをみたとき僕は真っ先に「ブリコラージュ」という言葉を思いついたわけだが、一般名詞とは言い難い言葉なので、別の候補を探すことにした。

つぎに思いついたのは「やりくり」。悪くないものの、金銭的な意味合いが強すぎてドンピシャな感じがしない。金銭以外の場面でも使用されるっちゃあ使用されるが。

「ありあわせ」は料理っぽい。「間にあわせ」は近いが、ピンとこない。

やっぱ「やりくり」かなぁ・・・。


■ヒラエス(ウェールズ語)

帰ることができない場所への郷愁と哀切の気持ち。過去に失った場所や、永遠に存在しない場所に対しても。

これは「ノスタルジー」以外のなにものでもない。

ノスタルジーは基本的に変えることのできない場所にしか抱かないし、フィクションの世界にもノスタルジーを感じることはある。これはこれしかないでしょ。


■メラキ(ギリシャ語)

料理など、なにかに自分の魂と愛情を、めいっぱい注いでいる。

これも簡単だ。「丹精」である。「丹精を込める」といった使い方が一般的だが、「丹精する」と動詞的に使用される場合もある。この場合、まんま「メラキ」である。


■マミラピンアタパイ(ヤガン語)

同じことを望んだり考えたりしている2人の間で、何も言わずにお互い了解していること。(2人とも言葉にしたいと思っていない)

これも簡単ではないか? 「ツーカー」あるいは「阿吽の呼吸」である。

これは割と普遍的な現象だと思うのだが、ほかの言語では似た表現ないのだろうか? そう思って、Google翻訳で「阿吽の呼吸」を英語に翻訳してみた。

「Aun's Breath」

・・・いや、そうじゃねぇよ。


■ティーマ(アイスランド語)

時間やお金があるのに、それを費す気持ちの準備ができていない。

これは「持て余す」ではないか? いや、持て余すは行為のほうで、ティーマは心理を描写しているのか? それでも、「持て余す」も心理的な描写も含まれている気もするが、どうなのだろう。



【絶対翻訳できなさそうな言葉】

さて、ここまで翻訳できる言葉をみてきたが、どう考えても日本語に対応する言葉がないものもいくつかあった。その土地の、その文化の中でしか、必要とされない言葉である。


■ピサンザピラ(マレー語)

バナナを食べるときの所要時間。

これはどういう場面で使うのかが気になる。「ちょっと待って」を「ピサンザピラ待って」と言い換えるのか。

時計がない時代の人たちは、「米が炊けるまで」みたいな行為にかかる時間によって時間を伝えあっていたらしいが、そういう名残だろう。


■ポロンクセマ(フィンランド語)

トナカイが休憩なしで、疲れず移動できる距離。

これも生活者の言葉だ。トナカイに乗って移動している人たちは、トナカイが疲れずに移動できるかどうかが重要な問題だった。だから、それを基準にした。

ドンピシャではないが、最も近い表現の仕方は「タクシー1メーターくらい」だろうか。とはいえ、ポロンクセマは7.5キロあるらしいので、1メーターでは済まないのだけれど。



■ムルマ(ワギマン語)

足だけを使って、水の中で何かを探すこと。

きっと川が身近な文化なのだろう。川の中にポロっと物を落とすことがよくあって、それを足で探さざるを得ない状況にしょっちゅう陥っているのだろうか。日本人がムルマするのは、プールでロッカーのカギを落としたときくらいか。


■モーンガータ(スウェーデン語)

水面にうつった道のように見える月明かり

いとおかしな言葉である。焼酎のイメージの方が強い「鏡月」という言葉には「道」という意味はない。そもそも月が道のように反射している場面を僕はあまり見た覚えがない。

が、モーンガータという言葉を知ってしまった以上、月が明るい日には道になっているかどうかをチェックしたくなってしまう。言語が世界を広げるというのは、こういうことなのだろう。



【翻訳できないが使いたくなる言葉】

日本語にドンピシャに当てはまる言葉はないが、日本語にあってもおかしくない言葉もあった。「あぁその状況あるある・・・でもドンピシャで言い表す言葉ってないよね・・・」的なやつである。


■トレップヴェルテル(イディッシュ語)

直訳すると「言葉の階段」。あとになって思いうかんだ、当意即妙な言葉の返し方。

あるある。

「あのときあれ言ってたらウケてたのに・・・」というやつである。

言いたい。でも、その言葉をいまさら言ったところでとっくに賞味期限切れなのである。仕方なく諦める、そんな切ない気持ちを表現してくれるいい言葉だ。

マイナーチェンジ版として、その瞬間に思い付いた渾身のボケを言おうとしたら、タイミング悪く店員が声をかけてきたり、誰か来たり、電話が鳴ったりしてタイミングを逃し、言いそびれるというのも表現する言葉がほしいところである。


■ストラウスフォーヘルポリティーク(オランダ語)

直訳すると「ダチョウの政治」。悪いことが起きているのに、いつもの調子で、まったく気づいていないふりをすること。

これもあるあるだ。とくに会社員とかやっているとよくある。

こういう現象って良くないことだと思うので、「それはよくないよ」という共通認識を持つためにこういう言葉はあっていいと思う。「パワハラ」とか「セクハラ」という言葉が、問題を浮き彫りにしたようにね。


■レースフェーベル(スウェーデン語)

旅に出る直前、不安と期待が入り混じって、絶え間なく胸がドキドキすること。

素敵な表現である。マサラタウンにさよならバイバイするときの気持ちを表した言葉だろうか。

ひと夏の冒険に出かけるワクワク感。あのたまらない感覚を一言で表現できるなんて、スウェーデン人がうらやましい。


■ヴァルムドゥーシャー(ドイツ語)

冷たい、または熱いシャワーをさけて、ぬるいシャワーを浴びる人。「少々弱虫で、自分の領域から決して出ようとしない人」を言う。

これもいい言葉である。「こういう人いるよね~」を一言でくさすことができるのだから。

とはいえ、何十年もその道一筋でやっている人は自分の領域から出ていないのかというと、そうでもない気がする。職人と呼ばれるような人たちは、一つの枠の中でずっと自分の領域から出て、自分の領域を拡張しようとしているのだ。葛飾北斎は死ぬまで絵を描き続けたが、「あと数年あれば完璧な絵が描ける」とかなんとか言って死んだらしい。

なにが悪いってわけではないが、自分の領域から出る方が人生は楽しい。これは間違いないと思う。



とまぁこんなところにしておこう。

ほかにもいろいろと気になる言葉はあった。いい本であった。

翻訳ゲーム、誰か一緒にやってくれないだろうか(遠い目)。


1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!