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クリス・ミラー『半導体戦争』を読んで

僕は見渡す限りにお花畑が広がるユートピアを夢見る左翼として自己像をブランディングしてきたが、こういう下世話な本もこっそり読んでいる。

これを喫茶店でおおっぴらに広げて読むのは少し気恥ずかしかった。あたかも僕が世界情勢の未来を予言し、めざとい投資とビジネス戦略で大金を稼ごうとする諸葛孔明気取りのおじさんであるかのような印象を持たれるかもしれないからだ。

残念ながら僕は諸葛孔明を気取りたいのではない。強いて言えば荘子を気取りたいのだ。だから必然的に読み方が左翼っぽくなってくる。

僕は理想的な社会では半導体をどうやって作ればいいのか?という疑問に対する回答を求めてこの本を手にとった(自由競争を喧伝するテクノロジー産業が税金に浸かり切っていた証拠を見つけたい下心もなくはない)。

僕は「労働なき世界」を夢見ているわけだが、その世界においても『ティアーズオブザキングダム』をプレイしたい。しかし、明らかに自給自足の農村コミュニティの中で半導体を製造することはできない(実際にそれをしようとして当然の如く失敗したのは毛沢東らしい)。半導体製造は、大規模な設備投資と専門人材、グローバルなサプライチェーン、安い賃金でせっせと単純労働に勤しむ人々の上に成り立っているのだ。

だが僕はそうではなく、誰もが自発的に楽しく行為することで『ティアーズオブザキングダム』が生み出される未来を夢想している。そのヒントを求めようとしたのだ。

だが実際、『半導体戦争』を読んでいると、半導体は低賃金の奴隷によって量産されているという事実をめざまざと見せつけられる有様だった。

世界にはまだ、時給1ドルで喜んでiPhoneに部品を固定してくれる自給自足の農民が何億人といるのだ。

p307

「あそこで働いていた中国人の少女たちは、何もかもが期待以上だった」とスポークの同僚のひとりは振り返った。香港の組み立て作業員たちは、フェアチャイルドの経営幹部たちの印象では、アメリカ人より2倍仕事が早く、「単調な仕事への忍耐力が強い」ように見えたという。

p91

半導体メーカーがこぞって女性を雇ったのは、女性のほうが低賃金で、男性ほどうるさく労働条件の改善を求めない傾向にあったからだ。

p90

さて、このような仕事は「労働」ではない形で組織化されることは可能なのだろうか?

可能だ、というのが僕の結論である。週に3日数時間だけライン作業するくらいなら、僕もやぶさかではないし、それなりに楽しくやれると思う。僕がいつも口酸っぱく言っているベーシックインカムが導入されれば、軽いバイト感覚で半導体作りに参加し、それなりに給料を貰って帰り、製造工程にあれこれ口出しできるだろう。

そもそも格安で雇われているのは、結局のところ、半導体に関する特許が秘匿化されて、業界全体が非効率な車輪の再発明を繰り返しているからだ。

半導体の工場は設計図をコピーアンドペーストすれば稼働するのではなく、専門家たちの明文化されないノウハウで成り立っているわけだが、そのノウハウは特許で秘匿化されている。これらがオープンになればもっとイノベーションは進んだだろう。

秘匿化するのはひとえに利益のためなわけだが、利益を度外視できるならば、人は大半のノウハウをオープンソース化できる。そうすれば半導体はグローバルなサプライチェーンに依存することなく自給自足できる。そして、道楽半分で作れるはずだ。

しかし、仮にそうならなかったとして? 半導体の進化が止まってしまったとすればどうだろう?

それはそれで別に良くない?が僕の結論だ。そもそも半導体は果たして人類にそこまで必要だったのだろうか?

もちろん、僕が今文章を書いているMacBook AirだけではなくWi-Fi端末、基地局、note社のサーバーまであらゆる場所で半導体は活躍している。僕が好きに文章を書いてネットに公開できるのはいいことだし、今さら半導体のない社会を想像するのは難しい。

しかし、僕が奴隷にされた中国人の少女の親だったとして、世界から半導体を消し去る代わりに娘を解放すると言われたなら、喜んで取引に応じるだろう。

テクノロジーの発展は無条件で良いことだとする風潮は根強いが、僕はこの本を読みながら必ずしもそうではないと感じた。

そもそも半導体を必要としていたのは軍隊だ。百発百中のミサイルとか、そういう物を作るために、アメリカ国民の税金を投入したおかげで基礎技術は磨かれた。

このタイミングでアメリカ国民にはなんら利益はない。「ミサイルの性能上げる半導体にお前らの税金注ぎ込むわ」と告げられていたなら、きっと彼らは拒否しただろう。「そんなことするよりも教育とか医療とか、他にやることがあるだろ?」と。

しかし実際には民意を問われることはなかった。アメリカ国民に半導体の恩恵が還元されたのは、その後に資本主義がしゃしゃり出てきたお陰だ。資本主義は採算を気にするあまり0から1へのイノベーションには向かないが、1から100には向いている。

半導体メーカーの人々も知っていた。このビジネスをもっとスケールさせるためにはアメリカ軍のケツを舐めるだけではダメだと。そして世界中にニーズを探し回ると同時に、低コストで生産するための奴隷と工場を世界中に探し求めた。

今からは想像もつかないのだが、それを大規模に成功させたのが日本でありソニーだった。アメリカがシコシコと基礎技術を磨いてオタク界隈の成功に甘んじている中で、ソニーは消費者が必要とする(あるいは想像すらしなかったような)ウォークマンや卓上電卓を生み出していった。かつて日本は早い馬車ではなく車を用意するタイプのマーケティング先進国だったのだ(サイバーパンクの世界では日本企業が巨大化して世界を支配しているという設定が定番化していて、もはやレトロフューチャーの様相だが、当時はその未来像が真剣に受け止められていたことも頷ける。ジャパンアズナンバーワンだったのだ)。

そこからあれよあれよといううちにファブレス企業TSMCやインテルとマイクロソフトとIBMのカルテル、GPU界の旗手エヌビディアなどに業界地図は塗り替えられていき、この本の後半ではほとんど日本は出てこないわけだが、相変わらずムーアの法則と、資本に突き動かされたメーカーは次々に最新のiPhoneのようなものを生み出していった。

やや脱線したが、確かに資本主義のおかげで我々の手元に型落ちのiPhoneは届けられている。このことは疑いようのない事実だ。しかしそれでも、やはり疑問は残る。

奴隷と工場、市場を探し回るのと同じ情熱で、人々の幸福や健康を追求していたならどうなっていただろうか?と。

現代社会が半導体に下支えされていることは間違いないが、そうではない形でテクノロジーが発展していたらどうなっていたのかを、想像することは可能だ。

何億個というトランジスタをチップの上に乗せる技術の代わりに、イネや麦を多年草化させる技術や、農業と畜産の有機的に組み合わせる技術、下水から肥料分を取り出す技術、海水でレタスを育てる技術が育っていたなら、どんな社会だっただろうか?

半導体に注ぎ込まれた10分の1でも注ぎ込まれていたなら、もっと僕たちは幸福だったのではないだろうか?

きっとそのテクノロジーは、パワーポイントの何倍も労働時間を減らしてくれただろうに。

テクノロジーというと僕たちは即座に情報技術を思い浮かべる。だが、手作り味噌を仕込むのもテクノロジーであるし、自然農もテクノロジーだ。別の方向にテクノロジーが進んでいく可能性はあったはずだ。

結局、半導体が成長したのは、単にそれが儲かるからに過ぎない。なぜ儲かるかと言えば政府がジャブジャブ金を垂れ流したからだ。だが、儲かることは人々を幸福にすることと同義ではない。明らかに兵器は人を不幸にするのだ。

半導体が発展したことは万人にとっていいことかどうかはわからない。だが、それらに税金を注ぎ込むかどうかについて民意が問われることはなかった。

そして今になって大衆は幸福になったことになっている。「iPhoneが、プレイステーションがあるじゃやいか? 何が不満なのだ?」と。大衆は目先のジャンクフードにとらわれて、本当に自分を幸福にするイノベーションがわからないポンコツ扱いされるのだ。

何千万曲をポケットに詰め込むことと、いつでもギター片手に歌を歌ってくれる男がいることのどちらが幸せか。ブレスオブザワイルドの世界で草原を駆け巡ること、現実世界で河原や森の中を駆け巡るのとどちらが幸せか。数百人とXで繋がるのと、ただ1人の友達と文通するのではどちらが幸せか。

どっちも幸せだ。だが、前者の代償は高くついたように思う。イノベーションとはなにか。資本主義とはなにか。幸福とはなにか。民主主義とはなにか。そんなことを考えさせられてしまう本だった。

ところで、この本の一番印象に残ったのはこの文章だ。

ワシントンやシリコンバレーの礼儀正しい社会では、多国間主義、グローバル化、イノベーションといった言葉をただ繰り返しているほうが気楽だった。こうした概念はあまりにも当たり障りがないので、権力ある立場の人間を不快にさせることがないからだ。

イノベーションってなんなんだろうね、ほんと。

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