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結果はプロセスのおまけ【雑記】

文学フリマの準備をしている。フリーペーパーをつくったり、装飾をつくったり、あれこれ。

準備のために手を動かすことって楽しい。むしろ本番よりも準備の方が楽しい。本番は準備のおまけのようなものだ。

なるほど、本番があるからこそ準備が必要なわけで、準備はあくまで本番の付属物にすぎないように一般的には考えられている。でも、僕はやっぱり準備の方が楽しくなってしまう。まるで本番は準備のための口実であるかに思えてしまうのだ。

過程が大事とか、プロセスが大事とか、そういう話は「仮に結果が得られなくても、プロセスの中で得られるものがあって、それを後に活かすことができる」的な解釈をされることが多いのだけれど、僕の考えはそれとも違う。この「通俗的プロセス主義」はよくよく観察してみれば「無駄になったように思われるプロセスも最終的になんらかの結果につながるからこそ無駄ではない」という考え方であり、遠回しに表現した結果主義なのだ。

そうではなく、僕はプロセスそのものを楽しみたい。言い換えれば、手段を目的化したいのだ。そのあとに結果がついてくるかどうかは、どうでもいい。

いや、正確に言えばどうでもいいわけではない。なんの結果も得られないときのプロセスは楽しくない。歩いても歩いても永遠に景色の変わらない散歩ほどつまらないものはないし、なんどやっても逆上がりが上達しないなら練習を継続しようとは思わない。人間のモチベーションは、結果が定期的にもたらされない限り、ジリジリと目減りしていく。つまり、プロセスを楽しむためには、成長の感覚や、達成の感覚といったカンフル剤を定期的に注入しなければならない。

それでも、結果とはプロセスを盛り上げるための従属物にすぎないと、僕は思う。結果が必要なのは、あくまでプロセスへのモチベーションが損なわれているときに限られるのであり、モチベーションが維持され続けるのであれば結果はかならずしも欠かせないわけではない。1万回失敗しても、「1万の上手くいかない方法を発見した」と言い切れるエジソンのような人物なら、結果は必要ないかもしれない。

※この名言が実話なのかは知らんw

きっとプロセスを楽しめないときは、結果に焦っているときだ。結果はプロセスのおまけにすぎないと考えている人は、コツコツと目の前のことを楽しめる。ルフィが最短ルートで海賊王RTAをやっていたなら、ワンピースはどんな漫画になっていただろうか。「ビビを助けたところでメリットはないからアラバスタはスルーで」とか、「ウソップは切ろう」とか「レイリー、ワンピースどこにあるか教えてくれ、最短でいくから」とか、そんなルフィはきっと海賊人生を楽しめない。

貧すれば鈍するっていうのは、文字通りの意味でもある。だが、精神的な意味でもある。どれだけ金を持っていても、結果に貧しているなら、きっと鈍してしまう(とはいえ、経済的に貧していると、現実的に結果に貧せざるを得ないわけで、だからこそ僕はベーシックインカムを望んでいるのだけれども・・・)。

焦らなくていいか。結果はプロセスのおまけだ。楽にいこう。

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