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「タイでベーシックインカム」というフェイクニュース【雑記】

ベーシックインカムという言葉には注意が必要である。所得制限を設けた生活保護の延長をBIという言葉で表現する人もいるし、期間が限られているものをBIと呼ぶ人もいる。だからBI信者は「BI実現!」というニュースをみかけるたびに「これは本当にBIなのか?」という疑いの目を向けなければならず、そのことにうんざりしているのだ。そしてたいてい、疑いの目を向けてみれば、それはBIではないという結論が得られる。

さて、タイでベーシックインカムをやるらしいというニュースが流れてきて、僕は「またか・・・」と思った。

だが、見出しを見て思う。

今回は期待できるかもしれない・・・

タイのセター・タビシン首相が、一定の所得制限や貯蓄制限を設けたベーシックインカムプログラムを導入すると発表した。年収が84万バーツ(約347万円)、貯蓄が50万バーツ(約207万円)を超えていないことを条件に、約5,000万人の国民に1万バーツ(約4万2千円)のデジタル通貨を支給する。タイの人口は約6,600万人であり、この取り組みの規模の大きさがうかがえる。

人口6600万人のうち5000万人である。日本で言えば1億人に配るくらいの規模だろう。

そして金額は1万バーツである。雑に調べた結果タイ人の平均月収は約27000バーツらしい。日本人の平均月収が30万円ほどなので、日本で換算すれば10万円くらいの感覚だろうか。

つまり、日本に置き換えて考えれば1億3000万人のうち1億人に、10万円が配られるのである。所得制限と貯蓄制限がある時点で厳密な意味ではBIではないが、もしこれを継続して毎月行うのであれば、まぁまぁBIに近い効果が得られると考えて差し支えないはずだ。

ただし、もしこれを継続して毎月行うのであれば・・・の話である。


よくよく注意して読んでみよう。この記事の中では、「毎月支給する」なんてことは一言も書かれていない。

「プログラムへの登録受付は2024年8月から開始し、2024年10月には支給が始まるという」という一文は、まるで毎月支給されるかのような印象を与えるが、たんに8月から申し込みを受け付けて、10月から順次支給されるという意味にすぎない。

なにかがおかしいと気づき始めた僕に、記事の最後の一文が確信を与えてくれる。

プログラムにかかる費用は、5,000億バーツ(約2兆円)にも及ぶ。

総額5000億バーツである。これを支給額1万バーツと、支給人数5000万人とともに計算式に放り込んでみよう。

支給額1万バーツ × 支給人数5000万人 × 支給回数x回 = 5000億バーツ

支給回数x = 1回

そう・・・支給回数は1回限りである。

この結果を受けて2回目をどうこうするとか、そんなこともなにもかかれていない。これは日本でコロナ給付金が配られたのと同じようなものである。つまり、たんなる一回限りの給付金なのだ。

ではなぜベーシックインカムという言葉を使用しているのか? よくよく調べてみたら翻訳元となっている記事には「ベーシックインカム」という言葉は一言も書かれていない

金額や人数などはほとんど同じ情報が書かれているが、日本語の記事と決定的にちがうのはタイトルだけである。

Thai prime minister unveils details of a $13.7 billion digital money handout plan(タイ首相、137億ドルのデジタルマネー給付計画の詳細を発表)

つまり、元記事の方はたんなる給付金であると書いている。「ベーシックインカム」とは翻訳者の独自解釈であり、勘違いなのだ。

いや、一回限りであろうがなんだろうが、BI的であると言われればそれまでである。ただし、基本的にBIとは定期的な継続を前提としていて、BIという言葉をみたときに受ける印象は「毎月、死ぬまで配られる」というものである。

もうこれはレッテルを貼ってもいいのではないか? この記事はフェイクニュースであると。

残念ながらXで「タイ ベーシックインカム」などと検索してみると、この記事に言及している人はどうやら見出しに騙されているっぽい。きっと日本人の多数派は「日本語読めない奴多すぎwww」とか「フェイクニュースだまされる奴多すぎwww」といった具合に自分は日本語読める側だと認識していると思われるが、パワーワードに釣られてコロっと間違えるのはよくあることなのである。

むしろ、間違えるくらいの方が個人の人生というミクロレベルでみればいいのかもしれない。こういうフェイクニュースを見て「いや、本当か・・・?」などと一拍置いて考えるような人間は、日常生活においても「いやそもそもさぁ・・・」などとちゃぶ台をひっくり返しがちであり、「なんかめんどくさいやつ」とみんなから煙たがられるのである。

とはいえ、そもそも間違いを指摘したり議論したりすることが「めんどくさい」と言われるなら、その社会常識の方が間違っているのだろう。僕たちは「合理的、常識的に考えれば答えは明らかですよね? これで満場一致で結論出てますよね? ね?」という空気を読むコミュニケーションに慣れ過ぎている。真の意味での民主主義とは、万人があぁだこうだ文句を言って時間がかかるものなのだ。時間をかければいいのだ。時間に追われる理由など、僕たちにはない。

だからこの僕の文章を読んでも「いやフェイクニュースっていうのは本当か?」と疑問をさしはさめばいいのだ。フェイクニュースではなく、本当にBIが配られるのだという証拠が現れたなら、僕は涙目で撤退し、この記事を即刻削除することになるだろう。


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