【エッセイ】あのころこのころ、ずっとバディ!



あのころ…



 学食でポテトや唐揚げをむしゃむしゃと食べていた、あのころ。

 16歳の私は想像もしなかったことでしょう。ライブ直後に『あ、これ、たぶんヤクルトセンがなきゃ眠れない! 念のため、明日に備えてコンビニ寄ろう』なんて考える歳になったなんて……。


 大切な「バディ」と感じながら横に並んで、かけがえのない時間をあのころと同じように共有できるなんて……。


 「GLAYのライブ、取れたんだけど…」

 数年ぶりの友からのライン。


 1通のラインで、感覚はすぐティーンエイジャーに戻るもの。
 学食の揚げたて唐揚げを二人で分けたりしたこと、やたらと体育の後に汗を気にして、いい香りのスプレーが切れちゃうと焦ったことなど、次々に脳内を巡っていきます。


 行きたいかも……

 行けるかな?

 行こう!


 コロナ禍明けの、2023年、冬の大阪城ホールライブです。

 即決でした。

 あのころ、ポケベルを打っていた公衆電話のプッシュボタン操作よりは、返信スピードが遅いのかもしれません。指先は変わらず早くトグルしているつもりなのに、です。その日は、事務的に簡潔に集合場所と時間だけのレスポンスでした。
 2人はすっかり事務的なことも身につけられる大人になっていました。

 ライブ当日。

 近くのホテルに合流しました。


 そこから見える大阪城は夕日で茜色に染まっていました。落ちている銀杏の匂いが鼻につきます。コートがいるかマフラーがいるか、という絶妙な寒さ。風はなく、助かりました。
 あのころの二人だったら、制服にスカート姿。お腹は冷やすことも考えず素足だったけれど、すっかりあったかモードに着込んだ2人が隣に並んでいます。

 ホールの入り口に向かって、公園の内堀を散歩しながら、どちらともなく、思い出を語りながら進んでいきます。



 あのころだったら、
 このコスプレしてたよね……

 あのころだったら、
 お揃いのリストバンドも買ってたよね……


 そんな話をしながら歩いていると、周りからもよく似たあのころの話が耳に入ってきます。

 あのころだったら、ぴょんぴょん跳ねていた私の足取りは、すっかり落ち着いていました。

 互いにお気に入りのライブTシャツ買ってしばらくすると、開場時間を迎えました。


 学食の食券を、4時間目開始前の休憩時間に走って買いに走っていた私たちも、40代。

 無事にスマホで電子チケットを表示させたことや、指先のスライドを完了させたことひとつひとつに感動するおばちゃんモードが立派に発動しています。

 ようやく席を探し当てると、2人は深く腰掛けました。
 周りを見渡せばおんなじような空気が流れています。ライブが始まる前に、同じような青春時代を迎えていた人に囲まれて、もうほっとしています。

 青春時代がそのままスライドして、タイムスリップしてきたようなファンたち集った大阪城ホール。あのころの厚底ブーツは、それなりにおしゃれな歩きやすく軽いスニーカーに。太いアイライナーは消えて、ナチュラルメイクも身につけています。

 もしかしたら、むやみやたらに、オーガニックに目覚め、風の時代や宇宙的スピリチャリティが何たるかを語ってみたりもしている人もいるかもしれません。

 あのころのままの感覚でジャンプしているはずなのに、それは錯覚で、足は重く、腕は思った以上に上がっていなくて……。
 それでも、今でも空で出てくるアレの歌詞をフルコーラス、精一杯口ずさんでしまって、あとからハアハアと息を切らしているのです。

 ライブが始まるとボーカルのT E R Uさんは、相変わらず「愛してるぜー!」とカッコよく叫びました。会場全体で「Yeah!」と応えるミサ状態になります。
 かつて、幕張メッセに20万人を動員した、カリスマ。今も変わらない圧倒的ロックバンドの巻き込み力がそこにありました。

 俗に脳汁と呼ばれているアドレナリンがドバドバと溢れてきます。そのうち、サビ部分では手の振りもぴたりと合ってきます。
 けれども、ライブの時間やM Cの時間はすっかり大人モード。時間も、スケールもコンパクトサイズになっていました。


 あのころ、隣の友は「ジローちゃんが、ジローちゃんが!」とコーフンして夜中のラジオ番組のことを、次の日の学校で、どこでウケたと詳しく話してくれました。音楽番組を録画しては貸してくれました。その友の情熱的なトークにどんどん引き込まれたから、好きになったというところも大きいでしょう。

 今は、指先ひとつで情報があまりほど目に映る時代です。
 今も変わらず、隣の友はGLAYのYouTubeチャンネルのことを情熱的に伝えてくれます。

 お互いにライフスタイルが変わって、興味の範囲も異なって、見ているチャンネルとジャンルと量も、GLAYを応援する距離感も違ってきていたわけです。
 隣にいるのは、子育てがひと段落して、GLAYファン熱が再燃して、十分に熱を帯びた友でした。

 時を飛び越え、またシェアしてくれることが嬉しい。そんな私がいました。

 コロナ禍の影響で、声を出して観客席からみんなで合唱して歌えるライブ環境だって久しぶりな上に、懐かしい友と楽曲があるのです。
 この日は、見事に今までの軌跡の全てがこの空間で溶け合っていました。


 ライブが終わると、余熱を残しながらも駅まで戻る道のり隣の友と私は、意外とすんなりと日常に切り替えていく様にも見えました。

 友はライブTシャツをきちんと脱いで畳んでリュックにしまい、私は「ま、いっかと」そのままのライブTシャツを着ていて、あのころと変わらずで、なんだかおかしくなりました。
 そのまま暗くなった大阪城の内堀を駅に向かって歩きだしました。

 寒いのにずっと陽が落ちるまで自転車にまたがって語り合っていたあのころも、友としていい関係だったけど、今も、お互いのライフスタイルを感じとっていて、限りある時間を体力の限り、楽しめる関係です。
 友は子どもがいて、私にはいない。友は音響の道を進み、いろいろあって、服飾関係に。私はというと大学を中退したり就職先を転々としたりして、まるで「奇跡の果て」かと思うほど遠回りした挙句、「作家」という道を選択しています。

 ライブ会場の熱気とは打って変わって、地下鉄構内の乾いたアナウンスが響く中、2人とも無言でいることの心地よさを知る日が来るとは……。

 友と別れたあと、わたしはさっきのGLAYが声高らかに叫んでくれた愛の意味を等身大で捉えたり、歌詞の意味をずっと考えたりしました。TAKUROさんのあの頃の愛の描き方や、最近の社会問題にも切り込んだメッセージを含む歌のことも思い浮かべていました。


 2024年には、30周年を迎えるGLAY。


 曲のほとんどを手掛けていたのは、私の推しさん。 ギターであり、リーダーであり、社長のTAKUROさんです。TAKUROさんは、M Cの中で、彼はファンとの関係についてこんなふうに語りました。

「ファンとバンドという関係性じゃなく、ひとりひとりと繋がっている。何かのご縁があって、今ここにいる。ご縁。だから、バディという曲を描きました」

 Buddy(バディ)という曲の歌詞は、一般的には、お店屋さんを開く夫婦の形を描いたように見えます。

 最初は1人のお客さんだけ。でもそのうち、また1人を呼び、ご縁が結ばれて成功した今も、最初の1人がずっと常連、つまり、ファンとしていてくれて嬉しい。そういう内容です。
大切だからこれからも来てね、というメッセージも秘められています。


――相変わらずふざけてそれなのに真面目に愛唄うお前が愛しい


 そのフレーズは、あのころからずっと「かづきにいな」というペンネームを使っている自分の姿と重なり、ときめきました。
 隣の友からも、向こうのコメ粒大のTAKUROさんからも、自身の作品の無意識下の領域で、大きな影響を受けてきたことでしょう。TAKUROさんがおっしゃるように、確かに個々に繋がっている「バディ」ということです。


 今のGLAYは、ファン年齢層の「あのころ」をよく知ってくれていて、最新アルバムだけじゃなく、昔の曲もきっちりライブに取り込んでくれます。会場中をくまなく見渡し、目線をくれたりしていることも、確かに受け取れます。激しくカッコいいビジュアルをそのままに、国民的ロックスターは、より円熟した紳士になっていました。

 次にまたGLAYのライブで友と再会するときも、きっと、私は過去と今とそれぞれの想いが交わって、隣の友も、バディなんだと感じることでしょう。

 あのころもこのころも、ずっとバディ。


 ありがとう、バディ。




電子書籍 【100人と書く一枚の自分史 マガジン17号 (編・藤原優子 2023/12/29)】より 改稿2024.06.08-09


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