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たんじょうびの前後 夏休みの日記

    ある朝、目をさますと、自分が大きな虫ではなく、10歳にもどっていることに気づきました。体は60歳のままです。うれしいような悲しいような…。
 小4にもどったぼくは、作文はにがてですが、夏休みの日記を書いたので、一部をここに公開します。

 8月4日 京セラドーム大阪に、ロッテ対オリックス戦を見に行きました。家から歩いて15分でドームに着きます。大阪に住んでいるぼくは、10年以上もまえからオリックスのファンです。
 野球かんせんの日は、べんとうをつくって持っていきます。座席にすわると、うりこからビールを買います。見た目は60歳なので、だれも文句を言いません。
 こどものころ、お父さんが飲んでいるビールをぼくもなめてみたことがあります。まずっ! なんでこんなにがいものを、おいしそうになんばいもなんばいも飲んでいるんだろう。ふしぎに思っていましたが、としをとると、これなしでは生きていけないことにきづきました。
 1回の表に、ロッテの先頭打者の岡大海おかひろみ選手が、いきなりホームランをうちました。ビールをこぼしそうになりました。なにをするねん…。
 われらがオリックスはそのあと、ずうっと点をとれず、最終回にも2点を入れられ、3対0でまけてしまいました。すいとうに入れたしょうちゅうはからっぽで、ドームを出るときはふらふらでした。
 5月には電車と地下鉄をのりついで、ほっともっと神戸に、ロッテ戦を見に行きました。8回まで3対1で勝っていたのですが、9回表におさえのきりふだの平野佳寿ひらおよしひさ投手が5点もとられて負けてしまいました。しゅびがためでセカンドに入ったベテランの安達了一あだちりょういち選手は、同じ回に3つもエラーしました。
 あくむのような1日でした。ことしのシーズンをしょうちょうするような試合でした。
 はやく来シーズンが始まらないかなあ。

 8月6日 東京から、ぎりのおとうとのかぞくが大阪にきて、いっしょにあそびました。
 中1女子のナナちゃんは串かつを、小4男子のアキちゃんはお好み焼きを食べたいと言いました。通天閣つうてんかくのちかくの両方たべられる店をさがして入りました。ぼくはさっそく生ビールをたのみました。
 アキちゃんは背は大きくないのに、よくたべます。サッカーをしているからおなかがすくのでしょうか。とくにやさいがだい好きで、生のキャベツをしきりにおかわりしていました。
 ナナちゃんはバナナの串かつをたのんでいました。タレはチョコレートです。ぼくもひとくちほしかったけど、言いだせませんでした。キモいおじさんと思われたくなかったからです。
 ここのお好み焼きは、東京のもんじゃ焼きです。ぼくは東京で1回だけ食べたことがあります。ぜんぜんおいしくなかったです。なので期待していなかったのですが、ナナちゃんがつくってくれたもんじゃは、けっこうおいしかったです。
「かどおかさん、おたんじょうびおめでとう」
 ナナちゃんがそう言って、ぼくに動物のイラスト入りのハンカチを3枚もプレゼントしてくれました。
「わたしは、これがええな」
 そう言うやいなや、ぼくのヨメさんが、1枚をすばやくぬきとりました。
 ナナちゃんのおかあさんが「何歳になったんですか?」と聞くので「61歳です」としょうじきに答えると「若く見えますね」と言ってくれました。ぶしょうひげをそってくるんだったなあと反省しました。そしたらもっと若く見えるから。もらったハンカチは、だいじにつかっているよ。ナナちゃん、ありがとう。
 ホテルにもどるとイベントスペースで、フランス人のエリックさんが、堺の包丁がどうやってできるかを説明していました。エリックさんは、堺で鍛治職人をしていたそうです。日本語がかんぺきで、びっくりしました。
 ぼくは毎日りょうりをつくっているので、だれよりも前でねっしんにききました。
「包丁がいっぱいある堺伝承館に、またきてください」
 エリックさんがそう言って、ぼくをさそってくれました。南海電車にのって、ちかいうちに行くつもりです。 

 8月7日 みんなで日本一高いビル、あべのハルカスに行きました。地上300メールから見る大阪は、いっけん発展しているように見えました。いしんのおかげでは決してありません。
 テレビ望遠鏡で、けんせつ中のばんぱく会場をのぞきましたが、よく見えませんでした。
 南のほうがくに安倍晴明神社あべのせいめいじんじゃがありました。
阿倍野区あべのくは、安倍晴明神社からとったんですか?」
 ナナちゃんのお母さんが、展示版を見ながら聞いてきました。
「さあどうかな。でも、アベノマスクからじゃないよ」
 ぼくがそう答えると、みんな大笑いしました。小さすぎるマスクの話題で、しばらくもりあがりました。
 それから通天閣へ行って、タワースライダーを体験しました。2年前にできたばかりで、22メートルの高さから、半透明のトンネルを布製のソリにのってすべりおちるのです。
 並んでいる人を見ると、子どもか外国人がほとんどで、ぼくがいちばん年上でした。
 ソリに乗るときに、スタッフのお兄さん、お姉さんが話しかけてくれます。すぐ前の小学生が「夏休みの宿題は済みましたか?」と聞かれていました。
 ぼくには「えーっと、何年生かな?」と聞いてきました。いわゆる関西のノリです。ぼくは「いちねんせいでーす!」と大きな声で答えました。そのあと「なんでやねん!」とつけくわえると、ノリ・ツッコミが完成するのですが、そのよゆうはありませんでした。
「いちっ、にのっ、さんっ!」
 お兄さん、お姉さんが手で押して、ソリをトンネル内に放り込みます。てんじょう部分が透けて見えるので、空をとんでいるようでした。10秒くらいぐるぐるまわって、ビルの地下にすべりこみました。じどうてきに撮影された写真を見ると、いつもニヒルなぼくが、おもいっきり笑っていました。

 それから通天閣の近くのスパワールドにあるプールにいきました。むかしは腰痛かいぜんのために毎日プールにかよっていましたが、行かなくなってだいぶたちます。
 真ん中に10メートルくらいの高さのウォータースライダーがあり、そのまわりに川のように水を流し、人が自然にながれていくしくみになっています。夏休み中だからでしょうか、人であふれかえっていました。
 アキちゃんとビーチバレーをしました。はりきって何回も背伸びをしてアタックしたので、つぎの日はうでがいたかったです。
 ウォータースライダーに乗るため、30分くらいまちました。まわりをみると、やっぱりぼくがいちばんとしうえでした。ちょっとはずかしかったです。
 それだけ待って、すべりおちるのは10秒くらいでした。水から上がりながら、かんれきをすぎたぼくはいったい何をしてるんだろうと、ふと考えてしまいました。
 1時間くらいあそぶとおなかがへったので、プールサイドにあるお店でポテトフライと生ビールをたのみました。からだを動かしたあとの生は最高やなあ…。お店のすみっこで、しばらくかいほうかんにひたりました。
 おなじ建物に世界中のおふろが楽しめるスパがあるので、アキちゃんと行きました。
 どうくつやしんでんがあるおふろに、ふたりで入りました。5センチくらいのあさせにねころびながら、アキちゃんと話をしました。
「サッカーは、どの選手が好き?」
 ぼくがきくと「三苫薫みとまかおる」とアキちゃんは答えました。
「ふうーん…」
 そのあと、話がつづきませんでした。ぼくはそれほどサッカーにくわしくはないのです。
 いっしょにサウナに入ったけど、アキちゃんは「あつい! あつい!」とさけんで、飛び出ていきました。なんでも体験してみるチャレンジせいしんは、すごいなあと思いました。

 8月10日 兵庫県明石市あかししで高校の同窓会がひらかれました。いつもはふるさとの加古川かこがわでするのですが、会場のホテルが西明石だったのです。
 3年7組のみんなと会うのは約10年ぶりでした。担任のコバヤシ先生と英語担当のミチコ先生が来てくれました。おふたりはふうふです。
 参加者は女子4人、男子12人で、何十年ぶりかに会った人もいました。ていねんたいしょくした人もいます。なふだがないと、わからない人もいました。
 同じテーブルの右となりは、ホウダくんでした。
「『カニは横に歩く』は買ったよ。息子にも読ませたよ」
 ホウダくんがそう言いました。ぼくが兵庫県のしょうがいしゃについて書いた本です。
「え、ほんま、うれしいわ…」
 ぶあつい本なので、買って読んだという人に、あまり会ったことがありません。
 そういえばホウダくんは、クラス日誌にいつも大ファンだった松本伊代のことを書いていたなあ。どくとくのセンスがあっておもしろかった。ホウダくん、本を買ってくれてありがとう。
 左となりにシマブクロさんがすわっていました。高校を卒業後、おばさんを頼って渡米してアメリカの大学を卒業したそうです。いまは日本にくる外国人の住む家やマンションの世話をしているそうです。英語がペラペラです。
「ぼく、いま英会話教室に通ってんねん」
 小さな声でうちあけました。
「へえ、どうして?」
「ほんまは中国語を習うはずやってんけど、教えてくれる人が忙しくなってしもてん」
「へえ、そう…」
 せっそうがないと思われたかもしれへんけど、なりゆきで生きているから、しかたがないのです。

 前期クラス委員長だったカワニシくんの開会せんげんのあと、後期委員長のぼくが、かんぱいのあいさつをしました。
「みなさんおひさしぶりです。41年前の83年のちょうどいまごろ、会場にいるヤラくんとナカタニくんといっしょに、沖縄を旅行したことを思いだします」
 ぼくたち3人は、浪人せいかつを終え、別々の大学に入学しました。夏休みを利用して、ヤラくんのふるさとの沖縄に行こうとぼくが言いだしました。
 ヤラくんの那覇のおばあちゃんの家にとめてもらいながら、3週間くらい島めぐりをしまた。ヤラくんのしんせきのおじさん、おばさんにもいろいろおせわになりました。そのせつはありがとうございました。
 ちなみにヤラくんは、いまは東京でテレビばんぐみを制作したり、映画をとったりしています。ナカタニくんは税理士になり、地元で事務所をきりもりしています。
 ぼくのあいさつのつづきです。
「きょうは英語担当のミチコ先生がきておられます。同窓会は英語でリユニオン(reunion)と言います。リ・ユニオン。これは ” 再結合 ” も意味するんですね。いっしょにまなんだ仲間が、ひさしぶりにここで再会しました。みんなで旧交をあたためましょう! 乾杯!」
 みじかくて、ふかみのあるあいさつだったね――とはだれも言ってくれなかったので、ここにしるします。
 80さいをこえたコバヤシ先生と話をしました。がっこう嫌いだったぼくが、なんとかそつぎょうできたのは、1年生からたんにんをひきうけてくれた先生のおかげです。学年主任に、問題が多いぼくのめんどうをみるように言われたそうです。
 ミチコ先生とも話をしました。コバヤシ先生のだいりでホームルームにいくと、ぼくが「ひゅーひゅー」と声をかけたそうです。ばかだなあ、おまえは…。むかしにもどって、そう言ってやりたい気分でした。

   まひるに始まった同窓会は、にじかい、さんじかいがおわっても、まだ太陽は高いままでした。この日は加古川の実家にとまる予定でした。
 JR西明石駅から明石にもどり、山陽電車にのりかえるとき、ふと大学じだいの友だちのおはかまいりに行くことを思いつきました。
 ノンフィクションライターの最相葉月さいしょうはづきさんが書いた『なんといふ空』という本がミシマ社から復刻され、さいどくしたばかりだったのです。この本に、大学じだいの友だちのオオサカ君のことが書いてあります。
 彼は最相さんとおなじ広告会社につとめていましたが、入社して1年もたたずになくなってしまいました。最相さんが個性的だった彼のことをエッセイに書いて残してくれたのです。
 5年前の夏にオオサカくんをしのぶ会をひらいたとき、記念冊子をつくりました。ぼくが最相さんをインタビューし、冊子にけいさいさせてもらった縁で、復刻本をおくってくれたのです。最相さん、ありがとう。
 そういえば、しのぶ会の前に、みんなで明石にあるオオサカ家のおはかにおまいりをしたなあ。 
 明石駅からひとえき東の人丸前ひとまるまえでおりて、明石市立天文科学館の真下にあるぼちで、オオサカ家のおはかをさがしました。けれどいくらさがしても見つかりません。同窓会でビールをのみすぎたからかなあ。30分くらいうろうろしたのですが、ひがくれそうになってきたのであきらめました。
「また、来るわ」
 そうオオサカ君につげて、来た道をもどりました。
 階段をのぼって駅のホームに立つと、ぼくひとりだけでした。南側には瀬戸内海がひらけ、西側を見ると、太陽がゆっくりと海に落ちようとしています。
 夕陽をうけた線路が、銀色の光をはなっています。こうごうしい光景をながめながら、もういちどオオサカ君に「また、来るわな」と言いました。
                                                                                    <2024・8・31>

 

 
  
 
 


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