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墓穴を掘る――Dig my own grave

   10年ほど前、ラオスのホテルでテェックインした際のことである。夜に到着し、フロントのスタッフにあいさつをした。
「グッド・ナイト!」
 言い終わってすぐに「グッド・イブニング!」(こんばんわ)と言わなければならないことに気付いた。会っていきなり「おやすみ!」は、どう考えてもおかしい。ふだんは英語をしゃべらないとはいえ、あまりにも恥ずかしい間違いである。
 仕事で英文を読んだり、英語を話さなければならないときがあるので、ラオスから帰国後、一念発起して英会話を学ぶことにした。
 以前、英会話の一番の上達法は何かを米国人に聞いたら「家庭教師がいいよ」とアドバイスされたことを思い出した。カミさんも誘った。
 知り合いを通じて、大学で英語を教えるオーストラリア人男性に家に来てもらうことにした。私より7~8歳上で、かつて日本の大学に留学し、日本人女性と結婚し、滞在も長いので日本語も流暢である。
 2人で1時間1万円を払い、週末に家に来てもらう計画を立てた。教えるのが好きなのか、単なるおしゃべりなのか、はたまたサービス精神が旺盛なのか、1時間半ほどフリートークしたあと、もう1時間半は英字新聞を読むという長時間コース。金額は同じなのに、計3時間も付き合ってくれる。お得ではないか。
 最初のころは楽しかった。経歴、ふるさと、交遊関係、仕事、趣味、旅行、時事問題…お互い知らないので、話すことはいくらでもある。もっぱら聞くほうではあったが。
 初めて耳にする話題に最初は興味を持てても、何度も聞かされると、「またか」と思ってしまう。半年が過ぎたころ、最初のフリートークで、彼は必ず同僚や友人や大学の悪口を私たちに吐き出すようになった。共通の知り合いもいて、聞くのがつらかった。
 彼の不平不満は、自身の狭量やコミュニケーション能力にも問題があるように思えた。私もそういうところがあるので、よくわかるのである。
「ホープレス!」(希望がない)
 そう言うのが口癖だった。斜に構えて世の中を見ているのが、この言葉にあらわれていた。私は彼を心の中で「ホープレス」と呼んだ。
 当初は毎週末に来てもらっていたが、不平不満と比例するように間隔があくようになった。人の悪口を聞いているこちらは、カウンセラーになった気分だった。しかもカネを払ってまで、聞きたくないことを聞かされるのである。
 数年後、適当な理由をつけて、お引き取り願った。カミさんにも異存はなかった。語学であれ趣味であれ、誰に学ぶかはやはり重要である。
 ホープレスは薬物の話をよくしたので、そのジャンルに関しては詳しくなった。彼の唯一の置き土産である。

 カミさんに、中国人女性の友人がいる。苦労人なので金銭的な援助をすべく、彼女に中国語を学ぶことにしたという。昨年末にその計画を聞いた。
 私は昔から漢字に関心があって、漢詩をそのまま読めたらいいなと思っていた。台湾の歴史や文化にも興味があったので、カミさんの中国語学習に加えてもらうことにした。
 ところが今年に入り、中国人女性が忙しくなり、教えるどころではなくなったという。
「ほなら英会話でもやるか?」
 私がカミさんにそう言ったらしい。まったく記憶にない。たぶん私は酔っぱらっていたのだろう。よくあることだ。カミさんは日本語の教師なので、語学学習には人一倍関心がある。加えて行動力も。
 カミさんが見つけてきた英会話学校に、今年の1月から毎週通うことになった。
 授業は50分。1回2人で5000円ほどで、その時間帯に学校に詰めている講師が割り振られる仕組み。講師の年齢は20代から50代、性別も国もさまざまである。
 国を挙げると、イギリス、スコットランド、アメリカ、ロシア、ルーマニア、スウェーデン、ドイツ、イスラエル…。英国人はガーナ系、米国人は黒人と白人、イスラエル人はオランダとの二重国籍だった。
 授業の内容は、まるまるフリートークで終わることもあれば、観光地や時事問題が書かれた英文を読んで討議することもある。不平不満を聞かされることはないので、ストレスはたまらない。
 ホープレスは一方的にしゃべることが多かったので、私たちの会話能力が上達することはなかった。ついたのは忍耐力だった。
 今度の学校は、生徒をいかに発言させるかに重点を置いている。
「あなたが気まずく感じた例を話してください」
「感動したことは?」
「激怒したりイライラしたことは?」
「ホームシックにかかったことは?」
 自分の体験を話すように仕向けている。
「誰もいない荒野にいることに気付いたとき、あなたならどうする?」
 ある日の授業で問いかけられた。①最初は(firstly)②それから(then)③そのあと(after that)④最後に(finally)と、順番に答えるよう指示される。
 そういうフォーマットがあるのだろう。これ、完全に大喜利やんか…と私は思った。カミさんが答えている。
 最初は――ケガがないか、体をチェックした。それから――周りを見回して歩き始めた。そのあと――水を飲む川と木を探した。最後に――地面に枝で ❝ ヘルプミー ❞ と書いた。
 堅実な人生を歩んできたことがうかがえる作文だ(私との結婚以外は)。
 次は私の出番である。
 最初は――大きな声で叫んだ。それから――「私は誰?」と自分に問うた。そのあと――腹が減ったので何かないか、ポケットをさぐった。最後に――地面に自分の墓を掘った。
「希望があるオクさんとは違って、とても悲観的ですね」
 講師が苦笑いしている。
 あるテーマを4段階で考える手法が面白かったので、現在はこれを使って部落問題の入門書を執筆中だ。英会話教室が、違うところで役に立っている。

 習い事は、複数の講師から学ぶのがいい。通っているヨガ教室も、大勢のインストラクターから選ぶことができる。同じ講師だと、飽きてしまうことがあるのだ。
 ただ、今度の英会話学校の場合、人によってどこまで質問していいのか迷うことはある。ロシア人の講師とは、ウクライナ侵攻について議論したいのだが、「私はチャイコフスキーが好きです。サンクトペテルブルグに行ってみたいです」といった表面的な会話しかできていない。
 ルーマニア人の講師とは、チャウシェスク時代の話をしたいのだが、まだそんな雰囲気ではない。でも、刊行されたばかりの『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、ルーマニア語の小説家になった話』(済東鉄腸、左右社)という本を紹介したら、すこぶる喜んでいた。著者は独学でルーマニア語を習得し、文中にはルーマニア語も出てくるのだ。
 著者のフェイスブックを見せると、友達リストの中に、母国の知り合いを発見し、びっくりしていた。日本とルーマニアが、SNSを通じてつながっている。面白い展開ではないか。そもそもこの講師と出会ったから、この本を読んだのである。
 アメリカ人の30代半ばくらいの白人男性は、政治的な話でも厭わなかった。私がトランプ前大統領を「独裁者」と批判したら「彼は歴代で最高の大統領だ」と反論するではないか。
 これまで会ったアメリカ人(といってもそんなに多くはない)とは、トランプの悪口で盛り上がった経験があったので、びっくりした。
「彼が大統領になって経済は回復した。メキシコとの国境に壁を作って治安もよくなった。バイデンが大統領になったら、とたんに治安が悪くなった」
 そう言うと彼はスマホをかざし、ロサンゼルスのスラムの動画を私たちに見せた。そこには麻薬中毒者がテントで暮らす街並みが映し出されていた。ただし、人は映っていない。ユーチューバーの動画っぽい。以前に日本のテレビ番組で見たことがある地域で、バイデン政権になってできたスラムではない。
「アメリカのマスコミは民主党に牛耳られている。なのでトランプの不正ばかりを報道している。いろんなメディアを比較しないとダメだ」
 そう主張する彼が、怪しげな動画を見せて、バイデン政権を批判している。例のトランプ支持者による議会占拠も「そんな事実はない」と言い張る。そんなことを言い出せば、議論にならないではないか。
 ちなみに私は、トランプ関連本の愛読者だ(文末参照)。
 人種問題についても話していた。
「ブラック・ライブズ・マター(BLM)の創始者の3人の女性は、運動で金儲けをしているだけだ。集めた金で広大な土地を買ったり、詐欺をはたらいたりしている。ネットに載っているよ」
 あらゆる社会運動は金儲けのため、という理屈は、歴史修正主義者の常套句ではある。
「じゃあ、アメリカには黒人差別はないのか?」
 私が問うと、差別があることは認めた。BLMがなぜ盛り上がったのか。その背景には、根強い人種問題があるからではないか――と言いたかったが、言葉が出てこない。
 国境の壁ではなく、言葉の壁があって、彼とは充分に議論できなかったのが残念だった。
 もっとも私が英語を流暢に話せても、議論が交わらなかったとは思うけど…。

 英語が母語の講師は、間違いのない発音や文法を教えることに熱心だ。「v」の発音や、ニューヨークでの道順の教え方を丁寧に指導してくれる。ただ私は、ネイティブスピーカーのように話したいとはまったく思わないし、NYで道を聞かれることは、これからもないと確信している。
 自分の意思やメッセージが伝わればそれで充分と考えているので、まっとうな発音や正しい文法にはほとんど関心がない。「趣味は何ですか?」といったどうでもいい内容の会話は、この歳になると恥ずかしくて話すのに躊躇する(あと数ヶ月で私は還暦だ)。
 通い始めてあらためて思ったのは、私には英会話学校に通う目標がないということである。海外に出張することもないし、留学する気力もない。語学ができるに越したことはないけれど、使う機会は加齢とともに減っている。
 講師は総じて私より年下なので、当方は馬齢を重ねている分、彼らよりも知識も経験もある(はずだ)。それを表現することができないだけである。仮にそれができたところで、それがいったい私にとってどんな意味があるのだろうか。
 成長期をとうに過ぎ、新しいことに挑戦する気力と知力が減退している私は、すでに自ら墓を掘り始めているのかもしれない。
 週1回の授業は、日本語を使わない、外国語を聞く&話すという異文化体験、ある種の刺激を受けるために通っているような気がする。目的などなくても、それでいいのかもしれない。

 つい数日前、大阪・梅田の阪神百貨店の案内で、コインロッカーの場所を聞いた。
「すみません、コインランドリーはどこですか?」
 いくつもの荷物を抱える私を見た店員が、聞き返してきた。
「コインロッカーではなく、洗濯するコインランドリーですか?」
 大阪一の繁華街の百貨店で、コインランドリーの場所を聞く人間は、そうはいない。単なる言い間違いである。
「あ、すみません、コインロッカーです」
 消え入りそうな声で訂正した。どちらも片仮名表記とはいえ、ほとんど日本語といっていい単語である(コインロッカーは和製英語らしい)。日本語もままならない自分が恥ずかしくなった。
 教えられたコインロッカーに向かいながら、私は考えた。店員に、コインランドリーで押し切るべきだったのではないか。そうすれば恥をかかなかったはずだ。いやいや、ではこの荷物はどうする⁉ もう ❝ 洗濯 ❞ の余地はない…。         
 最後に――Dad’s Joke(オヤジギャグ)かよ! <2023・6・30>

ボーナストラック 「活字のトランプ」

https://kadookanobuhiko.tumblr.com/post/190543313414/%E6%B4%BB%E5%AD%97%E3%81%AE%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E2%91%A0 
 


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