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カミュ『ペスト』とカント『純粋理性批判』

カントの『純粋理性批判』は科学的な態度と哲学を両立させて、哲学の近代への道を開いた本だと思う。 フランスがナチスに占領されているときに書かれた『ペスト』には、このカントの思想の背骨が入っているように感じる。

『ペスト』でカミュが疫病に例えたのはナチスのフランス侵略と言われている。ナチのような全体主義イデオロギーがフランス人を二分して争わせる姿は、コロナという感染症が日本を二分する現在の姿と相似形。思想も感染症も目に見えないから、人間にとっては抽象世界の問題で、それには答えが出ることがない、というのがカントの『純粋理性批判』。

『ペスト』に主人公のリウーが、ペスト禍の街から抜け出そうとする記者を止めようとして、記者から言われる「あなたが語っているのは理性の言葉だ。あなたは抽象の世界にいる。」というセリフがある。

カントは理性が、時間と空間で規定できないものを問い続けることで暴走するって言ってる。それをこのセリフに感じたんだけど、実際はどうなんだろう。

カミュはナチスへのレジスタンスに参加する中で、イデオロギーというものが必ず人を殺すということを発見している。抽象世界の問と答えには終わりがない。

カントの文章の中に「人格は手段ではなく目的だ」という一節がある。 仕事でも学びでも、それは単なる手段であって、ひとりの人間には、人格の陶冶こそが目的だという話。 フランス革命の直前、個人が人生を選ぶことができる未来が見えてきた瞬間の高揚感がカントの文章から感じられる。

カミュもナチスとの闘いの中で「人は殺人と暴力で生き続けることはできないのだ。人間の偉大さとは、自分に与えられた条件よりも強くあろうとする決意のなかにある。」と書いている。カントが神は存在するかどうかわからないけど「要請」されると書いた。

不条理に対する態度として「正しく自分自身であり続ける」ということを言ったカミュと「死後も道徳的に生きる」ために神の存在を信じる強さが欲しいといったカント。僕は哲学の専門家じゃないけど、カミュが影響を受けてるように感じるんだよな。


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