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物語における敵の設定で作家の思想を見つける方法

物語における「対立の作り方」が、その面白さを決めるのではないかと感じている。

アニメでもヒットした『いぬやしき』では、主人公が対峙するのは「道徳的な悪」だ。学校でのいじめやホームレスを虐待する若者たちに対して、気弱そうなおじいさんの主人公が私的制裁を加える。ストーリーの構造は『必殺仕事人』や『水戸黄門』などと同じ。この型を現代の銀行に置き換えたのが『半沢直樹』だよね。

『機動戦士ガンダム』は、「わからずやな組織と大人たち」が少年少女と対立する。この世界では、組織のために働いている大人たちがトップの「しょうもない決断」で次々に死んでいく。『小さな恋のメロディ』もそうだよね。大人がわからず屋なのは、1970年代〜80年代初頭のコンテンツの定番だ。

『仁義無き戦い』は「日本という社会における規範意識」が敵になっている。吉本隆明が、一般大衆が消費者として自分の欲望を満たしていく行為こそが望ましいという「欲望の肯定」をした。「仁義」という価値観に代表される日本社会の桎梏を敵として、法律はもちろん、道徳からも自由になった人間のストーリーを描いてみせた。坂口安吾の『堕落論』の影響もあるんだと思う。

『3月のライオン』での主人公が対峙するのは「家族という制度」だね。血縁者の体たらくと、他人の温かさが対照的。『ハチクロ』の方は、「ステレオタイプな恋愛観」。お互いが愛し合わないとハッピーじゃないという、恋愛のステレオタイプをぶっ壊していくのが爽快。少女漫画には珍しいタイプの話になってる。どの作品も家族の「絆」が希薄なのがとても今の気分に合ってる。

そして、僕がレビューを書いたうめさんの『スティーブズ』が対峙するのは「わからず屋のエスタブリッシュメント」。起業家のスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックが外連味たっぷりに、わからずやを「説得し続ける」のが痛快この上ない。

作家が、ストーリーのなかで主人公と対峙させている敵がどう設定されているかというと、作家さんの幸福論ではないかという気がする。こういう世の中になったらいいよね、とか、個人としてこうなりたいという幸福論が作品ににじみ出ている。無くしたいものを対峙する敵に設定して、それがテーマになってる。

富野由悠季さん、深作欣二さん、羽海野チカさん、うめさん、その作品のなかの「敵」を眺めていて、そんなことを考えた。

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