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短編小説「そんなことないわ」


 私が夕食の片付けを終え、リビングのソファに腰を下ろすと彼女がすり寄ってきた。彼女は私の太ももに顔を乗せて寝転んだ。彼女なりの甘え方である。「どうしたんだい?今日も何かおねだりしてるの?」私は彼女の頭を優しく撫で、ゆっくりと落ち着いた声を彼女の顔に注ぐ様に質問した。




 彼女は目線だけ私の顔に向け、少し考えた様な表情を作り、「そんなことないわ」と、物憂ものうげな声で答えた。その声はリビングを覆う、白い細やかな凹凸のある壁紙とあまりにも対照的であった。彼女は何かを察して欲しいのかもしれないが、それを深掘りするのは野暮である。私は年上らしく自然に話題を変えることにした。




 「今日実は、会社でミスをしちゃってさ。まあミスと言っても笑っちゃう様なタイプのミスでさ。上司からは『お前は少しヌケている所があるから、気をつけろ』なんて余計な小言をもらっちゃったんだ。俺ってそんなヌケてるところあるかな?」私は彼女の頭を撫で続けながら話した。ほとんど愚痴の様であるが少し内容が不透明な話題であり、彼女の返答をある程度しぼってしまう様なズルをしてしまった。「そんなことないわ!そんなことないわ!」彼女は私の太ももから顔をあげると、力強く否定した。




 「うん、いやごめんね。そんな反応するとは思わなかったから正直俺もビックリしちゃった……。でも、ありがとう」私はまた彼女の頭を撫でた。彼女は少し鬱陶しそうに顔を少し引いたが、「そんなことないわ」と答えてくれた。




 私は彼女のその言葉を聞いて、ポケットから携帯を取り出し暗記している番号を入力した。携帯を耳に当て相手が応答するのを静かに待った。「はい、もしもし」と、聞き慣れた若い女性の声が流れると、私は内心の興奮を悟られぬ様落ち着きはらった声で話し始めた。




 「あっ、どうも。今日もお世話になりました門掛かどかけです。先生はもう帰られましたかね?———あっ、そうですか。それでしたら先生に言伝ことづてをお願いしてもよろしいでしょうか?———はい、それではですね。『何度も変更の手術をしていただき、ありがとうございました。愛犬への声帯変更は今回ので確定でお願いいたします』と、お伝えください。はい。———そうなんです。やはり、最初っから看護師の皆様がオススメだった『そんなことないわ』に結局は決まってしまいました。やはりシンプルながら王道はいいですね。生活に華やかになります———」




 「そんなことないわ」




 と、会話に混ざりたそうに彼女が吠えた。私は電話の邪魔になると思い、テーブルの上に置いてあった子犬用のボールを、部屋の隅に投げた。彼女は尻尾を振りながら喜んでボールに向かって駆けていった。しかし、ここ最近手術の連続で首にエリザベスカラーを装着された彼女は、うまくボールを咥えられず苦戦していた。


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