【インタビュー】『猫と罰』宇津木健太郎インタビュー【お化け友の会通信 from 怪と幽】
日本ファンタジーノベル大賞2024を受賞しこの夏に刊行された宇津木健太郎の『猫と罰』。その主人公は、なんと夏目漱石のあの猫だ。猫の一人称文学として展開される本作は、あっと驚く展開と、物語を紡ぐことへの賛歌、創作者への広く深いエールに満ちている。
作家として新たな一歩を踏み出した著者に創作の背景を聞いた。
※「ダ・ヴィンチ」2024年9月号の「お化け友の会通信 from 怪と幽」より転載
取材・文:杉江松恋
写真:鈴木慶子
主人公は「名前はまだない」あの猫。
猫と本の愛すべきファンタジー
夏目漱石の飼っていた猫が現代に転生し、不思議な古本屋主人と出会う。
日本ファンタジーノベル大賞2024受賞作『猫と罰』は、そんな小説である。主人公のクロは、猫に備わっている9つの魂の、最後の1つを生きている。魂の価値・品格にかかわる本当の名前、真名を彼は人間からもらっていない。3回目の生で飼い主となった文豪・夏目漱石は彼に名前をつけてくれなかったのだ。それが最大の心残りになっている。
「近所の書店で『文豪の愛した猫』という本を見つけて手に取った瞬間、文豪が飼っていた猫たちが集まる話を書いたら面白そうだな、と思いつきました。猫たちが集まってくる場が必要だということで、後から古書店北斗堂と店主の北星恵梨香が生まれたのです。『吾輩は猫である』のモデルになった黒猫もやはり漱石に名前をつけてもらえなかったそうなんですが、飼っている動物に名前をつける行為は、自分のものにしたいほど愛着があるということだと思うんです。クロは、真名を与えてもらいたかったのに果たせず3回目の生を終えてしまいました。愛されたいという感情の渇きが彼の中にはあります」
にもかかわらずクロが人間を忌避するのは、過去の生でひどい目に遭わされたからだ。江戸後期から現在に至る彼の8つの生を作者は克明に描く。この過去パートがあるために、クロが人間に対して向ける文明批判的な視線にも実感が伴ったものになっているのである。もう1人、北斗堂の主人である北星恵梨香も重要なキャラクターだ。
「猫だけの話を広げていくのは、自分の技量だと少し難しかった。そこで恵梨香が猫と話せることにしたんです。さらに北斗堂という古書店の設定ができたことで、恵梨香に創作や小説を書くことについての属性を与えたらどうか、というアイデアが浮かびました」
北斗堂には円という小学生の少女が常連客としてやってくる。本が大好きな彼女はやがて自分も小説を書くことを夢見て、作品を恵梨香に読んでもらいたいと言い出すのだ。
「創作を志す人物を登場させることは構想初期の段階で決まっていました。作家志望者を等身大で登場させるために自分の過去とも向き合って、挫折した体験なども円には反映しています。僕や円だけじゃない、他のすべての創作を志す方たちへのエールをこめられないかという気持ちが、書いているうちにどんどん強くなっていきました」
宇津木自身が創作を始めたのは、小学生ではやみねかおる〈夢水清志郎〉シリーズを読んだことがきっかけだった。中学3年生か高校1年生のときには、初めての長編を書きあげたという。そこから年に1、2作のペースで書き続けていたが、就職と共に中断。後に転職したことがきっかけで再び筆を執り、今度は賞応募を意識して書くようになった。2020年にはホラー長編の『森が呼ぶ』で第2回最恐小説大賞を受賞している。
「もともと、不可解な出来事や不思議な能力を持つ人が中心になる話が好きでした。『森が呼ぶ』や『猫と罰』以外の、これまでの応募作には何かしらそういう要素があります。何か一つ不思議なことがあって、それが中心になって物語が動いていくという構造の話が作りやすいんです」
宇津木はたびたび、不思議ということに言及する。それが創作の核になるものなのだ。
「ぱっと見ただけでは、自分の知識で答えが出せないものに不思議を感じます。謎や疑問があると、それはどういう理屈だろうか、と考える癖がある。それがまったく科学的ではないとしても、こういう理屈だったら面白いな、という風によく妄想しますね。デビュー前から参加している同人誌でも、中心に不思議な現象を置き、周囲に人物を配していく、という書き方をしているものが多いです。そうやって不思議な話を不自然さを感じさせないように書く、ということを積み上げてきたのかもしれないですね」
もっとも影響を受けたホラーの一つに鈴木光司『リング』とその映画化作品があるという。
「人間にとって何より怖いのは、わからないということだと思うんです。自分も執筆するときには、わからない要素をあえて残し、それを少しずつ叙述しながら最後に明かすという構造を採ることが多いです。そうすればずっと『わからない』の感覚が持続させられる」
『猫と罰』は太いプロットの小説である。作家になりたくてあがく円のそばで、人間嫌いだったはずのクロは気持ちが変化していく。これは成長小説の展開だ。一方で、猫を擬人化しすぎないよう、筆致には抑制が効かされている。
「飼ってはいないんですけど、猫はもちろん好きです。多頭飼いの猫の日常をただ映しているだけのYouTubeチャンネルなどで、本当に好きなように振舞っている猫を観察しました。さっきまで熱心に遊んでいたのに、ふいにもう興味ないって、プイっとどこかに行ってしまう。人間がこうしてもらいたいと思っていることに無関心でまったく逆をやったりとかそういう気まぐれさに思いを馳せながら、クロはキャラクターを確立したつもりです」
可愛いだけではなく、辛いことも書かれた小説である。現実がしっかり見据えられている。特に作家を志す円が辿る道は、かなり険しいものだ。
「小説を書きたいという純粋な思いから始まった円も、世の中が見えてくれば自分の限界を感じてしまうようになる。そういうことは成長していく中であると思うんですね。いったんは挫折をしたとしても、やっぱりどうしても小説を書きたいという強いものがあれば、絶対にまたその思いは膨れ上がってくると思うんです。一度心が折れても諦めずに、いつかまた創作をやってもらいたい。そういう僕のエールの気持ちも含めて、彼女は書きました。後半の、円が挫折を体験してから立ち直るまでの過程が小説としては肝腎なので、どれだけ自然に話を進められるか、感情移入してもらえるかということには気を付けながら書き進めました。もっともこの作品で苦労した部分だと思います」
登場人物の中では、北星恵梨香もまた別の形で創作に関わるキャラクターである。円が書きたいという衝動の人だとすると、彼女は完成した物語を読む人だ。両側から創作物と、創作という行為が描かれることで『猫と罰』は立体的な小説になっている。創作に携わる人は、本作を読めばどこか心に残る部分が必ずあるに違いない。
「小説だけじゃなくて音楽、映像、漫画、すべての創作に関わっている方に読んでもらって、少しでも前向きな気持ちになっていただけたら、と思っています。授賞式でも申し上げたんですけど、“これに影響されて作品を書きました”“『猫と罰』を読んだおかげでこんな傑作ができました”という話をいつか誰かから聞けたら、それがいちばん嬉しいですね」
書籍紹介
『猫と罰』
宇津木健太郎 新潮社 1760円(税込)
猫は9回の生を送る。その最後の生を受けた猫のクロは、古書店・北斗堂の店主・北星恵梨香と知り合う。彼女はクロと出会うことをあらかじめ知っていたようなのだ。人間に反発しつつも恵梨香と暮らす途を選ぶクロの運命を、一人の少女が変えることになった。
こちらも注目!
『森が呼ぶ』
宇津木健太郎 竹書房 1650円(税込)
出版社の小説大賞に「宇津木健太郎」から投稿されたある原稿。それは失踪した友人、昆虫学専攻の大学院生の“奇怪な手記”だった。
プロフィール
宇津木健太郎(うつぎ・けんたろう)
1991年生まれ。埼玉県出身。幼少期から創作を志す。社会人になってからも同人活動を続けながら新人賞応募に挑戦し、2020年に『森が呼ぶ』で第2回最恐小説大賞を獲得。24年、『猫と罰』で「日本ファンタジーノベル大賞2024」大賞を受賞した。