優しい人を好きになったら
「優しい人が好き」という人がいる。
優しいというのは、性格や気質の一種だとされている。
僕は、優しい人と厳しい人だったら、優しい人と付き合いたい。
優しい人と怖い人だったら、やはり優しい人と付き合いたい。
と、瞬間的には思う。
しかし考えてみたい。
優しい人とは、つまりどういう人なのだろうか。
かく言う僕は、優しい人だと言われることが多い。
だから、自分を例に考えてみる。
僕が他人に優しくするとき、何が起こっているのだろう。
僕が他人に優しくするとき、残念ながら、僕は我慢をしている。
僕の中に「優しさ」という、すべてを包み込む魔法のような力が存在しているわけではない。
心の中に、尽きることのない愛の泉が湧き出ていて、それが僕を優しい人たらしめているわけではない。
僕は自己主張をするくらいなら我慢する、そんな人間だ。
人間関係に波風が立つことを嫌っている。
相手を傷つけてしまうことを恐れている。
だから、不満がないかのように振舞っている。
徹底して我慢している。
僕にとって優しさとは、我慢だ。
この記事で、僕は愚痴を言いたいわけじゃない。
自分の本音を吐露したいわけでもない。
ここで書きたいのは、「優しい人が好き」という人へのささやかな警告だ。
僕が知らないだけで、無限の優しさの泉を心の中に持っている人は存在するのかもしれない。
でも、たぶんそういう人は少ない。
ほとんどの優しい人は我慢強いだけだ。
「優しい人が好き」な人は、おそらく心の中に優しさの泉が湧き出ている人を想像して発言していると思うが、現実に出会う優しい人のほとんどは我慢強い人だ。
だから、「優しい人が好き」は、ほとんどの場合、「我慢強くて、本当は不満を持っているのにそれを顔に出さず隠し通してくれて、その感情を墓まで持って行ってくれる人が好き」と言っているようなものだ。
本人は、そんなことを言っているつもりはないだろう。
だが、多くの人は、優しさへの期待を我慢強さで乗り越える。それしか優しくする方法を知らないのだ。
一方で、意見がぶつかり合う関係は敬遠されがちだ。
しかし、いいところもあるのではないか。
優しい人について見直してみると、関係を今よりよくしたり、もしくはこれまで敬遠してきたタイプの人と仲良くなれるかもしれない。
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