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小川洋子さんの『小箱』。そのガラスの箱からは、会えなくなってしまった子どもたちの、賑やかな声が聞こえてくる。

小川洋子さんの『小箱』(2019年10月30日第一刷/朝日新聞出版刊)7年ぶりの新作書き下ろしです。
 
小説の舞台となっている町には、子どもたちが居ません。
正確に云うと、気配や思い出をはっきり感じることは出来ても、おとうさん、おかあさんといっしょに過ごす場面はないという意味です。

書き出しは、こんな風です。

― 私の住んでいる家は、昔、幼稚園だったので、何もかもが小振りにできている。
扉や窓や階段はもちろん、靴箱、掛け時計、水道の蛇口、椅子と机、本棚、電気スタンドの笠などなど、あらゆるものが幼児に相応しいサイズになっている。家具の角は丸みを帯び、スイッチは低く、ドアノブは掌にのる果実ほどの丸みしかない。

小川さんは、小説に登場する“場所”を重要視しているそうで、過去には博物館、図書館、アーケードなどが出てきましたが、今回は元幼稚園。

この元幼稚園の講堂には、舞台に向かって四列の棚が設置されていて、その上にびっしりとガラスの箱が並べられています。

閉鎖された郷土史資料館にあった標本などが入れられていた箱です。
その箱の中には、おしゃぶり、初めての靴、耳をさわっていないと眠れないうさぎのぬいぐるみ、九九の暗記表、野球のサインボール…などが入れられています。

おとうさん、おかあさんは、繰り返し講堂を訪れ、新しいお友達ができないとかわいそうだからと人形を、成人になったお祝いにとミニチュアのお酒のボトルをと、我が子の成長に合わせて様々なモノを箱に入れて行きます。

どのおとうさん、おかあさんにとっても、子どもたちは死んでしまった訳ではなく、ガラスの箱の中でちゃんと成長している。

ここへ来れば愛しい、愛しい未来の我が子に会えるのです。

小川さんは、箱のことをこう書いています。


― かつて郷土史資料館で過去の時間を閉じ込めていたガラスの箱は、今では死んだ子どもの未来を保存するための箱になっている。
収納されているのは、決して遺品ではない。
子供たちは箱の中の小さな庭で、成長し続ける。
靴を履いて歩く練習をし、九九や字を覚え、お姫様のドレスを好きな色に塗って遊んでいる。

そして、街はずれの丘の広場で開催される“一人一人の音楽会”へ参加すれば、子供たちの声さえ聴けるのです。

使う楽器は、みんな我が子ゆかりのもの、おしゃぶりをペンダントにしたものなんかもあります。

なかでもとてもいいなぁ、と思ったのが竪琴です。
元園担当の歯医者さん、子供たちが“虫歯屋さん”と呼んでいた老人が歯科治療で使う機械で、流木や、子どもの骨の一部から削り出すフレームに、これも元美容師さんが遺髪を絃として張ってくれる竪琴です。

竪琴は二対のイヤリングになっていて、丘の上に吹く風がつま弾く子供たちの声を、おかあさんの耳に直接届けてくれるのです。

小川さんは、生まれて来て、愛されて、愛して、哀しくも離別するという循環に、なにかもっと温かい、穏やかな別れとその後があるかもしれない…

ぼくには、そう言っているように思えるのです。

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