環境のせいにすることはたやすい―その先に成長はない
※学級通信「挑戦者」vol.030(2014年5月26日発行)より
置かれた場所で咲きなさい
自分の失敗や、直そうとしているのに直せないことを周り(環境)のせいにしてないだろうか。自分の都合の良いように周り(環境)を変えようとしていないだろうか。諸君が学校で学ぶことは各教科の勉強だけじゃない。自分が置かれた環境で、どれだけ自分の良さを発揮できるか。苦しい環境をどうやって乗り越えていけるか。そんなことを学ぶのも学校ってところ。誤解を恐れずにいうと、ICT(情報通信技術)の力を借りれば、わざわざ教室に集まらなくたって教科の勉強はできる。実際、ほとんど登校することのない通信制の学校を卒業している人たちもいる。そんな中でも、多くの人は登校する型の学校に通っている。なぜか。
冒頭でも触れたが、「自分を中心にして回っていない空間の中での過ごし方」の練習のためだ。学校での決まり(校則とかクラスの決まりとか)の中には、別にそんなのどうでも良いじゃないかってことだってある(実際学校ごと、クラスごとに違うことはたくさんある)。
そんなのがあるのは、諸君が悪さをしないようにするためってわけじゃなくて(もちろんそういう要素だってあるけどさ…)、それらがあるのも「自分を中心にして回っていない空間の中での過ごし方」の練習のためなんだ。
そんなこと練習する必要があるのか。少なくとも斉藤はあると思う。
何年か後には、諸君は皆、何らかの仕事をすることになる。全てが自分の思うように進むわけではない。希望していた職業に就いたとしたって、希望してないことをやらねばならないこともある。そんなとき、「こんなことやりたくねーんだ」とか「こんなはずじゃなかった」っていって逃げることは誰にだってできるけど、そんなことでいいのだろうか。自分の置かれた場所で、自分の良さを発揮するためにはどうしたらよいか考えて、行動したらどうだろうか。
それはその人の評価につながり、自分のやりたい仕事につながっていくんだと斉藤は感じている。どこでも自分の良さを発揮できるってのは大きな武器だと思うんだな。
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高校入学からおよそ1ヶ月ちょっと経って、だんだん新しい環境での生活に悪い意味で「慣れ」が出始めるな時期に書いたものです。
上のようなことを書いていますが、「逃げ」が重要なこともあるよというような話も別のときに書いていた気がします。
(実際、自分自身、「逃げ」と表現するのが良いかどうかは、煮え切りませんが、高1秋でサッカー部辞めたし、2度の転職を経て今の働き方をしています)
八軒君は「逃げる」という事に否定的なのだね。
逃げてきたことに負い目はあっても、その逃げた先で起こった事、そこで出会った人…
それらはどうでしたか?
否定するものでしたか?
逃げ道のない経済動物と君達は違うんですから、生きるための逃げは有りです。有り有りです。
苦しくても上手く本音を吐き出せない子もいるから、そういう子に気付いたら力になってあげてください。
逃げたことを卑下しないでそれをプラスに変えてこそ、逃げた甲斐があるというものです。
――『銀の匙 Silver Spoon』4巻 より
確か漫画『銀の匙 Silver Spoon』から、上の部分のコマを拝借して紹介した気がします。
さてちょっと話を戻して。斉藤にとっては、学校は大切な場所であり続けられているのですが、必ずしも「学校に通うこと」が重要だとは、今も、(多分)昔も思っていません。必要としないなら学校に通わない選択をしたっていいと思っています。