異語り 010 アンデルセンの森

コトガタリ 010 アンデルセンノモリ

まだ私が放浪していた頃だから、もう20年ほど前の話になる。
その頃は夏になると北海道にたくさんのライダーが上陸していた。
道内にはライダーハウスという安く泊まれる宿がたくさんあり、個性豊かなオーナーが暖かく迎えてくれる。基本予約も必要なく、ふらりと訪れまた次に流れていく人、一所に長くとどまる人、仲間と出会い一緒に旅を始める人。様々な出会いがあった。

富良野にあるライダーハウスを訪れた時、田中さんというカメラが趣味であちこちの廃屋を訪ねているという人に会った。
結構なカメラ機材を持ち歩いており、バイクではなく車で道内を回っていると言う。

「今はここを拠点に近辺の旧炭鉱町を訪ねているんだよね。明日は夕張に足を伸ばそうかと思ってる。連泊するんなら一緒に行くかい?」

その時一緒にいた何人かのライダーさんや連泊組も
「面白そうだな」
「俺も車出すか」
と仲間が増え、翌日朝から8人で夕張炭鉱へ出かけた。
あまり大きな声では言えないのだが、建物の所有者に確認了承を取っていない無許可での違法な撮影だったと思う。

何十年も前に人がいなくなった町は、背丈よりも高く伸びた草に埋もれていた。

町のメインストリートでもあるはずの大きめの通りも、あちこちひび割れそこから草が茂っている。
生い茂る草を踏み倒しながら分け入ると、コンクリートの基礎や、屋根が落ち壁だけが残った家がぽつぽつと点在していた。

「崩れるかもしれないけど、そこは自己責任で。あんまし離れないように」
田中さんは全体にそう注意すると、いそいそとお目当ての物件へと向かっていく。
草藪の中にまだ形をとどめている廃屋を見つけると
「こういうところが絵になるんだよ」
廃屋の中に入り込んでは何枚も写真を撮っていた。

「土足でいいよ。ガラス割れてるから窓の方は近づかない方がいいよ」
後に続こうとしていた私たちにそう言いながらどんどん奥へと入っていく。
私は他人の家に、しかも土足で上がることに躊躇いと罪悪感を覚えながら恐る恐る中へ入った。
家の中には家具や食器がそのままのあり、壁にはカレンダーや写真も掛かったままになっていた。
どういう事情でここを離れたのか?
地震や災害でもない限りこんなに生活感があるまま家を捨てる状況が思いつかない。
飲みかけのコーヒーなどはなかったが、つい先日までは人が住んでいたような感覚に襲われる。


ライダーハウスに戻り、その夜は皆で材料を持ち寄り鍋を作った。
その日着いたライダーも巻き込み、賑やかな鍋パーティーとなった。
廃墟探検が初めてだったのは私だけではなかったらしく、お酒も入り皆興奮気味に今日の体験を語っていた。

夜も更け半数程が脱落した頃、田中さんが声を落としぽつぽつと話し始めた。

「こうやって廃墟ばっかり撮ってると、時々変な目にも合うんだよな」
そう言いながら大きく深呼吸する。
「こっちから函館に向かうと大沼の手前で『アンデルセンの森』って変な看板が出るの知ってるか?」
「ああ、あの柱みたいな」
「ちっちゃい屋根着いてるやつでしょ」
その場のほぼ全員が頷いていた。
国道沿いに立つちょっと変わった立て看板だからライダーなら見たことある人が多いらしい。
「あそこバブルの頃の別荘地なんだよ。でもほとんど売れなかったらしい」
「ああ、そんな感じだよね」
「気にはなるよなあ」
田中さんはゆっくりうなずくと
「全く売れなかったらさっさと閉鎖してしまえるんだろうけど、何件かは売れてしまったがために閉める訳にもいかずまだ看板が残ってるらしいんだ」
「じゃあまだ誰か住んでるのか」
「廃墟仲間が、まあ俺みたいな奴が行ったことがあるらしくて「奥にいい廃墟がある」みたいなことを言うから、俺も気になっちゃって去年行ってみたんだよ」         みんなが田中さんの話に耳をかたむける。

林道みたいになってるダート道を走ってくとアーチ状の門が出てくる。そこからは舗装路になりすぐに三つに分かれる。

が、奥にあるロータリーで合流するらしいからどれを選んでも結果は一緒だ。

ロータリーからは眺望が開け駒ヶ岳がよく見えると聞いていた。

俺が目指す廃屋は右側の道の途中にあるらしい。しかし、右の道の最初に見える家にはまだばあさんが住んでる。
仲間の話ではばあさんは人が来ると監視するように出てきて、ジロジロとこちらを見てくるという。
目的の廃屋はばあさんの家からほんの数10メートルしか離れていないから、恐らくエンジン音を聞きつけて婆さんが出てくるんだろう。
そう予想した俺は奥側から近づくために真ん中の道を選択した。
真ん中の道に入るすぐ右にまだ小ぎれいな家が一軒見えた。
あ、あれが婆さんの家だな
横目で確認しながらなるべく静かに奥を目指した。

のびた草木の間にから駒ケ岳の山頂がチラチラと覗いている。
天気も良かったから、こりゃあ確かにいいコースだ。バイクで来ればよかったかも。
なんて考えながら気持ちよく走っていた。

5分も走るとロータリー(と呼べるのかどうかくらいの小さな広場)に出た。草ぼうぼうで道路も酷くガタガタだったからロータリーの手前に車を停めて駒ケ岳の写真を撮った。

ばあさんの家は三叉路の入り口のすぐ最初の方にある。
目的の廃屋は入り口から向かって右側の道沿い、ここから右折してゲートの方に戻れば気づかれずに近づける? って考えた。

ほとんど家も建っていないし、廃屋も遠目からでも気がつくだろう。
そう思い、右折することにした。

ところがいくら走っても家らしいものが見えてこない。
それどころか5分以上走っても入り口のゲートすら見えない。
はて道を間違えたか? と思ったが、他に分かれ道はなかったはず。
そのままダラダラと走り続けると気が付けばさっきのロータリーに戻ってきていた。

ひょっとしたら入り口の三叉路も合流などしていないのかもしれない、それぞれの道は別の区画を周回する道なんじゃないか?
「素直に真ん中の道を戻るか」
結局ばあさんの家の前を通ることになるがいたしかたない。
なんならそのまま、廃屋の前を1度通り過ぎてからゆっくり戻ってくればいい。
そう思い直して、今度は真ん中の来た道を戻ることにする。

ところがだ
この道もいくら走ってもゲートにたどり着かない。
だらだら走るうちにまた元のロータリーに戻ってきてしまった。
どうなってるんだ、確かに真ん中の道から来たはずなんだけど。
そのまま止まることなく左折する。
少しスピードを上げ草の生え始めたアスファルトを走り抜けた。
しかし、やはりゲートには出会えずロータリーが現れた。

おかしい、そんなはずはない
気持ちを落ち着かせる為にタバコに火をつける。ゆっくりと煙を吸い込み、吐き出した。朱に染まり始めた駒ヶ岳が見える。

もう一度真ん中の道をもどる。
またロータリーに出た。
もう一度!

Uターンがめんどくさかったから草の茂るロータリーに乗り入れ、車を真ん中の道へ向ける。
手汗がにじんだハンドルをタオルで拭いゆっくりとアクセルを踏み込んだ。

今、バックミラーに駒ヶ岳が映っている。これが見えている限り方向は合っているはずだ。

影が濃くなったでこぼこの通りをじりじりと歩くようなスピードで走る。
さっき感じた思いとは逆に、車で来てよかったと痛感していた。
もしゲートが見えたらそのまま帰ろう。
廃屋巡りは好きだが夜に来る趣味はない。
もうここに来ることはないかもしれない。
いや、機会があれば誰かとなら……

いつの間にかバックミラーへの注意が思考にすり替わっていた。
強烈な視線を感じて意識が外へ向く。

生い茂る木立の影に紛れて小さな人影がこちらを睨みつけている。辺りは木々の影になり闇に沈み始めていたが、その老婆の姿だけが浮き上がるようにそこに見えた。

目をそらすべきだとわかっていたができなかった。

手編みであろう目の粗いセーターを羽織った老婆が目を見開くようにしてこちらを見ている。

体はこわばりアクセルを踏み込むこともできず、老婆の視線を浴びながらのろのろその横を通過する。

息がつまりそうになりながら老婆の姿が視界から消えるのを待った。
やっとその時がきたその途端、視界上方にアーチが見えた。

急に体も動くようになり、思い切りアクセルを踏んだよ。

「で、無事に帰ってこれたんですね」
「あん時はほんとにやばいと思ったね」
「出られたきっかけは何だったんですかねえ?」
「帰りに一緒に行きます?」
「いやいや、あそこはしばらくいいかな」
田中さんは残っていたビールを飲み干すと
「じゃ、俺も寝まーす」
と部屋へ引き上げていった。


最近、函館方面へ向かったときにはもう看板はなくなっていた。
最後まで住んでいたおばあさんの家もあの炭鉱町の廃屋のように草に埋もれて行くのだろう。開発が入るそのときまで……。

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