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中島裕之を知っているか。~100%応援目線の獅子図鑑【番外編】~

「ミスターライオンズ」と聞いて、誰を思い浮かべるだろうか。ぼくと同じ年代に幼少期を過ごした西武ファンなら多くが石毛と答えるに違いない。晩年はダイエーに移籍したとはいえ、80年代から90年代前半の黄金期をチームリーダーとして率いた勇姿の印象は強烈。ライオンズ史において「ミスター」の称号が最も似合う存在は彼をおいて他にないだろう。次いで名前が挙がるとすれば松井稼頭央あたりだろうか。メジャーから帰国後の楽天での活躍も記憶に新しいことがあり「ライオンズ感」が薄れてしまった印象は否めないが、実績・存在感ともに申し分なく、石毛の背番号7を継承するに足る選手だったといえる。


そしてそして、松井どころではなく「ライオンズ感」が薄まっている印象がハンパないのだけど、わずか10年前には紛れもなく「ミスターライオンズ」として君臨していた男のことも忘れてはいけない。そう、中島裕之だ。(今は「宏之」として頑張っているが、ここではあえて中島裕之と呼ばせてもらおう。)


彼の魅力は、多くの人気者がそうであるように、数字だけでは語り切れないところがある。主だったタイトルといえば08・09年の最高出塁率くらい。あらためて通算成績を見ても、実働16年間で2000本安打にも200本塁打にも1000打点にもあと少し届かない。もちろん一流選手の数字ではあるのだけど、いまひとつインパクトに欠ける。しかもメジャー挑戦以降の中島は、どちらかといえば野球での活躍以外で語られることの方が多い。というか、ネットの世界などではハッキリいって「ヒール」的扱いと言っても過言ではない。

先日放送された「珍プレー好プレー」でも、登場したかと思えば死球に激昂する様子をイジられるのみ。かつての「ミスターライオンズ」としての輝きは微塵もなく、なんだかあまりにも寂しくなってしまった。


もうあの頃の「ナカジ」は帰ってこないのかもしれない。でもせめて忘れたくない。無性にそんな気持ちが湧きおこり、こうして誰が読むでもない文章を書き綴っているのだ。


ぼくはファン歴でいえばもう30年を超える。西武ドームでの観戦もそれなりの数になるだろう。その歴史において、ひとつ断言できることがある。球場で見かけるファンの選手ユニ姿が最も多かったのが、背番号3。「H.NAKAJIMA」である。2000年代の後半から10年代前半にかけて、若い女性ファン、少年、オールドファンのおじさんからお母さんが抱っこする赤ちゃんに至るまで、スタンドは3番であふれていた。あまりの多さに、実際にぼくはある試合で数えたことがある。背番号入りのユニフォームやTシャツを着ている周囲のファンのうち、実におよそ7割が中島のものだった。当時を知っているファンならわかるだろうけれど、決して他にスター不在だったわけではない。盗塁王片岡や不動のセンター栗山、絶対エース涌井に入団以来4年連続二けた勝利の岸などが全盛期で、球界きっての「イケメン球団」と言われていた。他にもホームラン王の中村、08年にはオールスターファン投票で全選手トップの得票をしたGG佐藤などタレント揃い。その中にあって別格の人気を誇ったのが中島だ。文化放送ライオンズナイターの実況としてレジェンド的存在ともいえる斉藤一美アナは、各選手に絶妙なニックネームをつけて呼ぶことで有名だったが、その彼にズバリ「ミスターライオンズ」と呼ばれていたことからも、その際立った存在感がうかがえるだろう。


GreeeeNの「キセキ」といえば、今や球界を代表する遊撃手・坂本勇人のものだけれど、西武ファンがあの曲を聞くと、大合唱に送られて西武ドームの右打席へ向かう背番号3の姿が今もはっきりと思い出される。そして曲が終わったあとの「ナカジ~!!」の大声援。特にチャンスや終盤の「なんとかしてほしい」場面で登場する彼に対する声援は、ドームに反響し体が震えるほどのすさまじいものだった。それは実際に何度も中島が「なんとかして」くれたからこそであり、その信頼と期待が年々増幅していった結果なのである。


通算本塁打は中村の半分にも満たなくても、安打数は栗山に負けていても、ここぞという場面で大仕事をやってのけ、熱狂させてくれたシーンの記憶でいえば、やはり圧倒的に中島だ。あれもこれもと思い出せる一部をご紹介しよう。


◎2004年5月1日 VSロッテ 9回表 勝ち越し満塁ホームラン

メジャーに挑戦した大スター松井稼の後釜として大きな期待を背負った高卒4年目の中島。7番遊撃として開幕からスタメンを続け、プレッシャーを感じさせない溌剌としたプレーでファンの心をつかむ。ロッテ戦5-5で迎えた9回表、一死満塁のチャンス。マウンドにはロッテの守護神小林雅。若武者中島が初球を思い切り引っ張ると打球はレフトスタンドへのグランドスラムとなる。新たなヒーローとしての一歩を刻んだ一本。


◎2008年4月26日 VSオリックス 8回裏 逆転3ラン

完勝ペースも7-3で迎えた8回表にセットアッパー三井がまさかの大炎上。5失点で逆転を許す。大久保コーチの「このままじゃ三井が死んじゃう。なんとかしろ!」との檄を受け、二死から二人の走者が出塁し打席に中島。オリックスはこの場面で守護神加藤を投入も、初球のストレートを完璧に捉えた打球はレフトスタンド中段に飛び込む逆転3ラン。これが決勝点に。


◎2008年11月1日 VS巨人 日本シリーズ初戦 6回表 決勝ホームラン

宿敵巨人との日本シリーズ初戦。涌井と上原の両エースがともに好投し1-1で迎えた6回表。中島が逆方向へ見事なホームランを放ちこれが決勝点に。貴重な一発で大事な初戦を飾る。


◎2011年6月10日 VS広島 9回裏同点ホームラン

前田健太と牧田の息詰まる投手戦も、9回表に広島がスクイズで遂に均衡を破る。その裏広島は守護神サファテを投入。先頭打者で打席に入った中島は1-2と追い込まれながらも4球目の直球を豪快に振り抜き打球はバックスクリーンに飛び込む同点アーチとなる。


…動画を貼ればすぐに伝わるこの時代に、オレは一体何をしこしこと書いているのか。でも書きたいのだから仕方がない。勇姿を思い出すことが楽しい。書いていて楽しい。もしかすると、これも唯一無二のスター・中島裕之がもつ魅力なのかもしれない。


最後にひとつだけ、数字が物語る彼の大きさを記しておきたい。


前年ショートとして全140試合に出場、3割30本を記録した松井稼がメジャーに挑戦した2004年、そして前年4番5番でクリーンナップを形成したカブレラと和田が揃って移籍した2008年、ライオンズはその逆境を跳ね返し見事に日本一となっている。しかし中島が2012年に抜けてからのライオンズは、2013年こそ2位と健闘するものの、2014年~2016年は球団始まって以来の3年連続Bクラスと低迷することになる。その間はショートを固定できず、まさに中島の穴がもろに影響する形となった。2017年に源田が入団することでチーム成績が一気に上向いたことも、それを裏付ける事実といえるだろう。



書き始めるとつい熱が入ってしまった。やっぱりぼくはナカジが好きだ。

オジサンとなった今でも死球にキレるあの熱さがある限り、まだ輝きを取り戻すことはできるはず。来年はもう一度、ぼくらの心を熱くするプレーを見せてほしい。そのときは東京ドームに駆けつけて大声援を送りたいと思う。

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一日の大半は西武ライオンズのこと考えてます。映画、音楽、キャンプ、登山も好きです。合間に広告会社でサラリーマンやってます。
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