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日記

ヘッダーは私の大切な家族というか大切な人、もちもち(生後半年,♂)である。

毎日何かしら忙しくなくもない

アルバイトもしていなければ学部生でもないので4月までまるまま時間が空いている。とは言え、旧友に会ったり、自殺予防に関する動画研修を見たり、研究のための様々な本を読んだり、統計/研究法に関する勉強をしたり、入学手続き書類を記入したり、あとは体力作りのために毎日出歩いていると、合格以来結構あっという間にここまできた。

院試の勉強をしている最中、「マジで受験勉強って無駄だな……研究のための本読みてえ、他もやりたい事沢山あるわ」と思っていたので、晴れて志望校に合格した後、まさしくそのような日々を送れているので、まあまあ幸せと言えば幸せである。

別の問題

ところが問題もあり、一つが「読書のための集中力が持続しない」事だ。本の内容にも依るが、とある学術論文の再録集を読んだときは、30page/日でへろへろだった。

そもそも読書が心から好きというわけでもない。普通にだるい。じゃあ何なら好きなんだよという感じになるが、う〜ん……何でしょうね? まあでも高校時代は小説を読む事が何より好きだった。

大学四年間私は本当に本を読まなかった。というか、何も好きな事がなかったように思う。ただ目の前の日々を生きることに精一杯だった。自分を育てるというような意識が足りなかった気がする。

毎日ソシャゲばっかりやって、出来もしない深夜バイトやって、メンタルを病んで、それで様々な事を出来なくなっていく自分を持て余していた。まさしくアイデンティティ拡散に陥って、そんなのが多分三年間くらい続いた。もうちょい本読んどけばな〜と思う。18歳から今に至るまで、活字から離れすぎた。

読みたい本が5,6冊ある

地味にこの状況が苦痛でもある。本読みとしての体力が無いのに、読みたい本だけはいろいろあるのだ。手の倫理とか、買ってから多分3週間くらい経つがいまだに読めていない。

他にも色々ある。ジャックデリダの入門書とか。自殺予防の本とか。動的平衡の本とか。

私の院の専攻は臨床心理学になるので、直接的にデリダや動的平衡が関係してくるわけでは無い。それは当然そうなのだが、これらの本は私の中でなにか重要なきらめきを放っている。まだ言葉に表すことができないが、これらの本から得た点としての学びの粒たちは、いずれ一つの大きな星座を描くだろうと、何となく思われる。

臨床心理学的な感じで言うと、東畑さんの本も買って途中まで読んでるがまだ続きが読めていない。ついでに河合隼雄の本も買ってて手元にあってむちゃくちゃ読みたいのに読めていない。

時間は有り余ってるので読めるはずだが、いかんせん本読みとしての体力が無い。1日100pageも読んだら、もうええかな……となってしまう。そんな事じゃいかんのだ。いかんのだが、そうは言っても兄さんよォ……。

ここから劇的に本が読めるようにならないだろうか。筋トレみたいに、読書トレとかできるものだろうか。