『左手、落としとく?』

「はじめまして、ずっと前からあなたのことが好きでした」

 松本空港の竜皇回廊口を抜けてきた彼女は、開口一番そう言った。

「私の名前はステラルラ・ドラゴニュート・トニトルス。先輩たち地球人がドラゴ・テラと呼ぶ世界から来たっす。一ヶ月、どうぞよろしくっす」

 くだけた日本語でそう言うと、彼女はぺこりとお辞儀した。直角に腰を折った見事なお辞儀だった。きれいなつむじが目の前にあった。色素の薄い髪が細い首から流れるようにさっと広がり、毛先から燐光が舞った。

 パステルカラーのナイロン・パーカーにショートパンツ、蛍光イエローのボディバッグは、足元のスポーツ・スニーカーと同じ色だ。あとは旅行用の大きなトランクがひとつで、護衛も侍従もいなかった。言われなければ、異世界の王女とはとても思えなかっただろう。

 大毛見太陽は思わず笑ってしまう。

(母さん、黙ってたな)

 向こうの世界の言葉で「WELCOME!!!」と書かれた看板――昨晩、母に言われ、慌てて調べたものが一瞬で無駄になった。付け焼き刃で書いた、ミミズがのたくるような文字が急に恥ずかしくなって背中に隠す。

 顔をあげた彼女と、目が合う。満面の笑みが浮かんでいた。

「ステラって呼んでほいしっす。――って先輩? 聞いてるっすか?」

 こちらをうかがうように、のぞき込んでくる。

 天井近くの大きな窓から初夏の日差しが降り注ぎ、彼女の白い肌を照らしている。

「よ、よろしく。お、大毛見太陽です」

「オオカミ?」

 ステラが左手に飛びついてくる。

「これ! これって本物っすか!?」

 腕にやわらかな感触が当たって、太陽は乱暴に振りほどいてしまう。

 看板が、乾いた音を立てて転がった。

 やってしまった。いつもそうだ。距離感がよくわからない。急に、人に触れられるのが苦手だった。

「これ、先輩が書いたんすか?」

 太陽は赤面した顔を隠すように、うなずく。

「めちゃくちゃ上手っすね」

【続く】

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さらに参るぞ
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小説を読んだり書いたり。地方で読書会を主催したり一箱古本市を手伝ったりしています。 ブログ: http://kasuka.hatenadiary.jp/