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留学生活を思い出すと

渡米したのが15年も前だと思うと、すごく遠い記憶すぎてびっくりする。

そして、引く(笑)。

私は今関東にいるが、もともとは関西出身。

当時の私には、15年後にここ関東で生活しているとは考えもついていなかった。

そしてもっと早く結婚していると思っていた笑

当時の私よ、あんたは余裕の三十路で嫁に行くことになるよ!!笑


さて、本題に戻ると...今から15年前の私は...

夢と希望とやる気をスーツケースにパンパンに詰め込んで乗り込み、なんの不安もなかった。

若いってすごいな〜


親戚も友達も空港に来てくれて「いってらっしゃい」と送り出してくれたけど、両親は本当に心配していたんだろうなと、改めて思う。

高校は先生には恵まれたがクラスメイトとはうまくいかなかったので、「早く卒業してアメリカに行きたい!」とずっと思っていた。

自分なりに色々調べたり、拙い英語で現地の学校にメールを送ったり、高校の成績を英語にしてもらったりと、準備はそれなりにやっていたけど、

やっぱりお金が足りなかったな〜〜〜笑


うちは本当に普通のサラリーマン家庭で、留学できるような家ではなかったと思う。

それでもなんとか送り出してくれた。

現地に行ってみると、同年代の親は皆 商社勤めや公務員、大学教授等々のいわゆる「裕福層」だった。(私みたい例外の子もいたけど、超少数)


生活レベルの高い日本でこれ。

東南アジアや中東からきたクラスメイトはもう大富豪だったと思う笑

いや、実際石油王?の子どもがいたな(!)


とにかく、もっと費用のシミュレーションをやっておくべきだったと思う。

「なんとかなるだろう」とか「奨学金狙うぞ!」とかは大前提としてあまりよろしくない。

アメリカは学生ビザではバイトができない。(例外あり。あとは違法。)

もう親のスネをかじりまくるしか方法がないのだ。

今は文科省の「トビタテ!留学JAPAN」(https://tobitate.mext.go.jp/)もあるし、私の時代よりは少し行きやすくなっているかもしれない。


当時の私のガッツも足りなかった。

お金がないならないなりに、他の子達とは違う方法をとればよかったこともあった。

当時の自分は幼すぎたというか、どこかで「なんで私の家は他と違うのか」と思ってしまい、親への感謝の気持ちも忘れていたこともよくあった。


もっとがんばれたのではないか。

私はそれが今でもひっかかっている。

一部を除き、日本人の同志達は皆レベルが高かった。

皆優秀で、努力できる人間ばかりだった。

全てに全力で取り組めていたのか、もしくはあれが私の限界だったのか。。。

もっと自分を追い込めばよかった。


私は準学士号となるAA Degreeのみしか取っていないので、いつか学士号を取りたいという気持ちがまだ消せない。。

オンラインでできたりするのか、調べてみよ。


最後までおつき合いいただきありがとうございました!



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