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vol.125 チェーホフ「ワーニャ伯父さん」を読んで(神西清訳)

「どうしてくれる、俺の人生を返してくれ!」、ワーニャの嘆きが聞こえそう。

「ドライブ・マイカー」にも引用されているチェーホフ晩年の名作を久しぶりに読み直した。

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19世紀末、ロシアの田園生活の情景を描いている四幕の戯曲。舞台となっているのは退任した教授の屋敷。何かストーリーがあるわけでもなく、登場人物の、報われない心情を吐露しながら、みんな何かを耐えながら生きている。幸せそうな人は誰も出てこない。

特にワーニャの嘆きは全幕に満ちていた。

ワーニャ、47歳、独身、恋も実らず母と暮らす。ワーニャの妹は教授の先妻だが、すでに亡くなっている。ワーニャは、その亡くなった妹の娘ソーニャとともに、教授を素晴らしい人だと信じていた。長年領地を管理・経営しながら、コツコツと教授に仕送りをしてきた。25年間彼の生活を支えてきた。しかし、ワーニャは、教授が学者としても人間としても、何の価値もないやつだったと気がつく。

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素晴らしい人だと信じていたからこそ、自分のことを差し置いてでも、さんざん貢いできたのに……。

「一生を棒に振っちまったんだ。おれだって、腕もあれば頭もある、男らしい人間なんだ。……もしおれがまともに暮してきたら、ショーペンハウエルにもドストエーフスキイにも、なれたかもしれないんだ。……ちえっ、なにをくだらん!ああ、気がちがいそうだ」(P211)

少し、思考が極端だが、気の毒なワーニャ伯父さんだ。どうして長年人を信じ込んでここまで献身的になれるのだろうか。

まぁそのことは、作品の主題ではなさそうなので、置いておこう。

新潮文庫、裏表紙にこう書かれていた。

失意と絶望に陥りながら、自殺もならず、悲劇は死ぬことにではなく、生きることにあるという作者独自のテーマを示す『ワーニャ伯父さん』。

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やはりワーニャの嘆きに、それでも生きていかなければならない、当時の社会情勢に目を向けるべきなのだろう。

この作品が描かれたのは、身分に縛られている専制支配の帝政ロシア末期だった。貴族が闊歩し、官僚や軍隊が支配していた。国民には人権がなかった。夢を描けなかった。

その思いを想像しながら、もう一度、終幕のソーニャーの言葉を噛み締める。

「仕方がないわ、生きていかなければ!ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。じっと生き通していきましょうよ。・・・あの世に行ったら・・・ほっと息がつけるんだわ!」

ソーニャの言葉が多くの国民のやり場のない心情なのだろう。

約130年前に「絶望から忍耐」をテーマにしたこの戯曲、今、東ヨーロッパに似たような心情があることを想像する。チューホフなら、その状況を神さまに何て伝えるのだろうか。

おわり

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