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vol.99 川端康成「古都」を読んで

京言葉にまごつきながらも、ていねいに読んだ。声に出して読んだ。なんとも可憐な小説だった。

京都を舞台に、伝統的な行事を織り交ぜながら、親子の心情が美しく描かれていた。

概略

主人公の「千重子」は「捨て子」で、京都の呉服問屋に拾われ、愛情いっぱいに育てられていた。美しく凛と育った二十歳となった「千重子」は、祇園祭の夜、偶然にも自分にそっくりな「苗子」に出会う。二人は双子の姉妹であることを知る。互いに引かれながらも、一緒に暮らすことができない・・・。(概略おわり)

登場人物はみんな優しく、お互いにいたわり合って生活していた。

子を授からなかった両親は、商家の後継問題を抱えていたが、「捨て子」を我が子として愛情いっぱいに育てること自体が、この両親にとっては幸福だったのではないかと思った。

一方、生みの親の方は、早くに亡くなったが、貧困や病弱を抱えており、双子のどちらかを「捨て子」とするしかなかったのかもしれない。

そして、それぞれの家庭の中で育った双子の姉妹の再開は、複雑な思いの中で、運命をありのままに受け入れるきっかけになったように思った。

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もう一つ、血の繋がっていない親子の関係にずっと興味を持って読んだ。

この家族は、血の繋がった親子間にありがちな、面倒な感情や葛藤というものがまるでない。思いやりにあふれていた。

娘「千重子」と父「太吉郎」、母「しげ」の互いに気遣い会う描写は、とても美しいと思った。決して遠慮したり、気を使っているというのではなく、互いに自然な安心感があるようにも思った。

その一例として、「千重子」が北山杉に住む「苗子」に会いにいく時、父の「太吉郎」とこんな会話をしていた。

「『その子にな、なにか、苦しいこと、困ったことが、できたんやったら、うちへつれといで・・・。引き取るわ。』(中略)『お父さん、おおきに。お父さん、おおきに。』と千重子は腰を折った。あたたかい涙が、ももにしみて来た。」(p236)

このシーンから、拾われてからずっと大きな愛情を受けて育った「千重子」だから、自然と「あたたかい涙」が流れ、それが体全体に染み渡り、大きな安心感に包まれていたように感じた。

作品にはたびたび北山杉の描写がある。著者は、北山杉に、美しくまっすぐにすくすくと育った「千重子」を投影させたのかもしれない。北山杉も、大切に、ていねいに、愛情かけて育てないと、「千重子」のようにまっすぐに育たないと思う。

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さらにもう一点、この小説は昭和36年に朝日新聞に連載されている。高度成長期に書かれたこの時代は、個々に豊かさを求めながらも、法で「捨て子」を縛らなくても、互いに助け合ってきた社会がまだ身近にあったのかもしれない。

そんなことも考えた。

おわり


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