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vol.122 梶井基次郎「ある心の風景」を読んで

梶井基次郎の憂鬱ゆううつさは清い。ぐっと深く内面を見つめ、ふっと浮かんだ気持ちを風景に溶かして描く。その詩情豊かな感覚に引き込まれる。

『檸檬』『城のある町にて』も、自分の気持ちをそこにある風景と対比させながら、静かに描く。ずっと続く「得体の知れない憂鬱」に神経を衰弱させながら、心寂しく感じるままに描いていく。この『ある心の風景』も、じっと自己喪失っぽく内面を見つめ、どこか焦っているようにも感じる。この作品から梶井基次郎の人間性にも興味がわく。

作品は、主人公たかしの暗い心のうちが描かれていた。その暗い悩みの元は、遊女からうつされた「悪い病気」だった。

京都 先斗町

憂鬱ゆううつな心のまま、部屋の窓から深夜の通りを凝視するシーンから始まる。たかしは、「悪い病気」のせいで「内面的に汚れている自分」を感じていた。窓から見える風景は、どこか社会と馴染めない彼の想念と混ざり合った。たかしの心に「一匹の悲しんでいる生き物の表情」が浮かんできた。

特に第4章の京都加茂かわらを下りた時の、風景と心情が一体化する描写が印象的だった。

京都かもがわ岸沿い

たかしは、「街では自分は苦しい」と感じている。また、「視ること、それはもうなにかなのだ。自分の魂の一部分あるいは全部がそれに乗り移ることなのだ」とも感じている。

この特徴的な表現からたかしの気持ちを想像する。

「街では自分は苦しい」、これはどういうことなのだろうか。

京都加茂かわらに腰を落とし、いつもと変わらない「人が通る、車が通る」風景を見て、そう感じていた。今自分が抱えている病鬱や生活の苦渋を考えると、疎外感から、ため息まじりに「しんどいなぁ」とつぶやくたかしを思い浮かべた。

「それはもうなにか・・・なのだ」という言い回しにゾクっとする。「・・・それに乗り移ることなのだ」とも感じている。それは死を覚悟しているということなのだろうか。

梶井基次郎(1901年ー1932年)

実際に梶井基次郎は31歳の時、肺結核で死んでいた。

彼はあれこれ説明しない。心の奥深くにあるモヤッとした「得体の知れない憂鬱ゆううつ」を感じるまま、簡素に詩的に描写する。太宰のようなおちゃらけはない。芥川のような悟りもない。じっと内面を凝視して、あとは読み手に想像させる。

梶井基次郎、もっと読みたいと思った。

おわり

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