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【新型コロナ】感染拡大は止まらない。「どこまでなら犠牲にできるのか」を検討するフェーズに

コロナ新時代に突入して、もうすぐ1年。現時点での雑感をまとめておきます。

新型コロナの感染拡大を抑えるために、どこまでなら犠牲にできるのか。あるいは、自由主義を守るために、感染拡大をどこまで許容するのか。

そんな選択を、私たちは突きつけられていると思います。

近い将来に終息はなく、これが日常

前提として、新型コロナウイルス禍は、5年・10年スパンの話であるはずです。

まず、すでに変異種が流行しているという話が出ています。この変異種には現状のワクチンは引き続き有効な可能性が高いそうですが、無効なウイルスが登場することも考えないといけないかもしれません。

イメージとしては、インフルエンザのように、今年の流行は●●型だからと予測して、それに合ったワクチンを量産化する、みたいな体制が求められるのでしょうか。

そして体制が整ったとして、人口の半分の約6千万人が対象としても、これだけの大勢の接種を、1年や2年で終えられないでしょう。

医学的な “終息” というものを待っても仕方なく、焦点は、我々が「いつ」「どのように」折り合いをつけるかというところにしかない、と考えています。

誰のせいでもなく、私たち一人ひとり、そして日本社会が選んだ道

ワイドショーやヤフコメを見ると、感染拡大を誰かのせいにしたい人たちが、一定数いるように感じます。菅総理のせい、政府のせい、行政のせい。

けれども、国の政策は、(細かいところで問題がないとはもちろん言いませんが)総論としては、自由主義国家としてとても好感が持てます。

一貫して、なにかを「強制」するのではなく、「要請」をしています。営業時間短縮も、罰則はなく、様々な判断をする人がいる。

そういう国で良かったと心底思います。その結果、感染抑制がうまくいかないかもしれません。それでも、強権的な独裁国家や一党独裁の社会主義国家であるよりは、100万倍マシです。

もちろん、社会が破綻するほどに害が大きくなれば、私権を制限するような結果になってでも、より強い対策をしなければいけないときが来るかもしれません。そこはバランスです。

我々はコロナ禍を受け入れ始めたのではないか

ここでポイントになるのが、医療リソースでしょう。

この冬に差し掛かり、コロナ分科会・尾身会長による国民や政府への強い要請や、日本医師会「医療緊急事態」などが出始めました。

いろいろと(感染者が増えている以外の)仕組み的な問題もあるようですが、それでも医療リソースの逼迫は事実としてあるようです。

それでも感染拡大が止まらないのは、政府がGoToを継続したからでも、菅総理が会食をするような人だからでもなく、我々ひとり一人が、コロナの感染拡大をそこまで無理して抑えなくてもいい、と思い始めたからだと私は思います。

夜の人出減っていない現状 3割以上増えた場所も

呼びかけむなしく…クリスマスの繁華街 人出は微減

自粛や行動制限に疲れたということもあるだろうし、そこまでしなければならない必要性も感じないのでしょう。

もっと言えば、あえて口にはしないけれど、医療崩壊が起こって救えない人が出てきてもやむを得ないと思い始めている人すら、一定数出てきているのだと感じます。

もちろん、国や医師会側は「行動制限してください、そうしなければ医療崩壊しますよ」と発信します。それが責任です。

医師や看護師の皆さんは大変な状況で、頭が下がりますが、その結果どう行動するかは、我々ひとり一人の選択であって、誰にもコントロールすることはできないものです。

別に、この感染拡大という結果を、恥じる必要はないと思います。これが私たち一人ひとり、そして日本社会が選んだ道。そういうものなのですから、嘆いても益はありません。

新型コロナウイルスという新局面に人々の多くが慣れはじめ、折り合いがつく……までは行っていないですが、着地点を模索するフェーズに移った感があります。

コロナを抑制できる社会=良い社会だとは限らない

国も行政も、よく呼びかけていると思います。これ以上のことは、なかなかできないでしょう。緊急事態宣言も、もし出したとしても、GoTo停止と同じで、大した意味はないでしょう。

行動制限の要請の効果ははっきりしました。その上で、どうするのか。

要請では無理だからと、外出に罰則を設けるというのは短絡的です。

これは、高山医師の記事に詳しく、私も同意見です。

たとえば、医療が崩壊しないように守るため、というのは、大義名分になりえるでしょうか。

そもそも、その守られるべき “医療” とは何なのか。

それが、重い症状でもないのに、ちょっとした風邪ですぐに病院に行けるような状態であれば、私は守る必要がなく、私権のほうがよほど大切だと思います。

すべての重篤患者が医療を受けらる体制であれば、もちろん守られるべきだと思いますし、国民の大半も異論はないでしょう。

まず、そこまでの文字通りの医療崩壊が、本当に目の前にあるのか検証しなくてはならないですし、そこまで危機的でないなら、本当に私権制限が許容されるほどの状況なのか、社会的合意を作らなければいけません。

つい、新型コロナは大問題だと、いかに感染拡大を抑制するかばかり考えてしまいますが(とはいえ、1日数万人の感染者が判明している外国に比べれば可愛いものですが)、どんな手を使ってでも感染拡大を抑えればいいというわけではありません。

ときには、命よりも、個人の尊厳・人権は優越するケースがあります。

外出したら死刑だ、という国なら、容易に感染拡大を抑えられるでしょう。ここまで極端ではなくとも、新型コロナの感染拡大を抑えるために、どこまでなら犠牲にできるのかを、私たちは突きつけられています。

おまけ:メディアの功罪

GoToがなぜか悪者にされたように、このコロナ禍で、メディアの倫理観の欠如が目も当てられません。

GoToで言えば、人口密度が低い地域へ遊びに行き、必死に対策を整えた宿泊施設に泊まることの何がリスクなのか。

ただ(家族など毎日顔を合わせる人以外との)飲み会をやめろ、混雑しているところへ行くな、と言う(あういは、仕組みを作る)だけでいいはずなんです。

東京では、買い物をしようとするだけで、他人との距離を確保しにくい状況が多発し、何十倍もリスクを感じます。実際、感染拡大の主要因は、こうした街中や繁華街でしょう。

人々はストレスを抱えていて、憂さ晴らしを求めています。メディアこれを利用し、人々がこぞって叩きたくなるような見出しをつけ、ある事実を片方からだけ紹介し、少しでも注目を集めようとしています。

メディアは収益構造から見て、注目されることが価値なので、やるべきことをやっているとも言えます。がしかし、その結果、社会にどのような影響を与えるのか、プライドを持つべきだ、というのが持論です。

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