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「廃棄前提」のワードがなぜ生まれてきたか?

今回、たくさんのメディアや個人に、炎上の話題を取り上げていただきました。「なるほどな」という指摘もあれば、当然ですが、事実とは違う言及もありました(私はそれほど多くを発信していないので、推測によるところは多かったでしょう)。

中でも、「コイツは無茶苦茶な理屈でクレームを付けている」という反応は多数だったのではないでしょうか。ここに絞って、私の側の事実を書きたいと思います。

もちろん、発言する前から、こういう理由でこう発信するとカッチリ決めているわけではありません。なかなかひとことで簡潔に言うのは難しいのですが、発言に至った要素は提示したいと思います。

どのように解釈するかは、受け取り手に委ねられるわけですが、私から一つだけ言えるとすれば、悪意をもって旅館を貶めようという意図は、一切なかった、ということです。

私の「観光」に対する立ち位置

最初に、私がどういう立ち位置の人間についてか、ですが、どちらかと言えば観光業寄りの人間と言って、過言でないはずです。

コロナ前までは、東京を中心とする都会から、年間200〜300人の親子を、自然豊かな地方へ連れて行く(と言っても、旅行業者ではないので、現地集合・現地解散ですが)、いわば "ハブ" として活動していました。

実績は、のべ1000人を越えているはずです。

東日本を中心に、全国の様々な地域の、観光協会、宿泊事業者、リゾート運営会社等と懇意にさせてもらっています。大好きな自然がある地域が、少しでも持続できるように、「なるべく地方にお金が落ちるように」と勝手に考えて企画しています。

また、最近書いたnoteでは、以下の記事に、私のスタンスをはっきり記しています。

万座温泉の温泉地としての特徴

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前提として、私は万座温泉の泉質が好きです。

年間100日近く、取材やプライベート、イベントでアウトドアフィールドを駆け回っており、行った先では、なるべくクラフトビールの味を確かめ、温泉に入るようにしていますが、万座温泉は私の中でNo.1です。

頭からザブっとお湯をかぶったときの幸福感が、頭抜けているんです。

万座温泉の課題、あるいは特徴は、宿泊以外の楽しみ方ができない(しにくい)点にあります。

まず、地理的な遠さ。上信越道「碓氷軽井沢」ICで降りてから、1.5時間かかります。軽井沢に遊びに行くときを考えてほしいのですが、さらに1時間以上かかるイメージで、かなり遠いです。

そのうえ、アクセス道路「万座ハイウェー」はプリンスホテルが管理する有料道路で、往復2,140円(片道1,070円)かかります。

冬季は、もう一つのアクセス道路である、草津から山越えする国道292号線が閉鎖されるため、万座ハイウェーが唯一のアクセス道路になります。

こうなると、消費者目線では、日帰りで万座温泉に入浴しに行くのは、かなりハードルが高いという事実がわかるかと思います(冬季は万座温泉スキー場の帰りに、という "ついで入浴" の需要があります)。

加えて、万座温泉には、プリンスホテルをはじめ数件の宿泊施設がある以外に、飲食店がないはずです。

つまり「素泊まりを選んで、気軽に周辺の飲食店で」ということもしにくく(往復2,140円の有料道路を走って下界に降りなければいけない)、自由度があまりないのです。

ここのあたり、もう少しなんとかしなければ、この先、大丈夫なのだろうか? ということは、余計なお世話であることは百も承知で、私が普段「大好きな自然がある場所に人を連れて行く」という活動をしている流れで、私の中でくすぶっていました。

「旅館をあまり使わない」は事実

もう一つの視点としては、私は普段、ほとんど旅館を使いません。理由は2つ。

・基本的にスーパーアクティブなので、滞在はほぼ「眠るだけの場所」になりがち。あまり高額の費用を掛けるメリットを感じない

・食事は、地元の名店や名物店を利用したい。その土地らしさを感じるのに最適で、しかも大抵は最高に美味しい。その時の気分によって、お酒を中心にしながらつまんだり、腹いっぱい食べたり、自由自在

ですから、Airbnbや、インバウンド向けのアパートメントホテル、移動中であればロードサイドホテルを優先します。

「旅館をまったく使ったことがない」は言い過ぎにしても、普段、ほとんど選択肢に上がらないのは事実です。

旅館に泊まるのは、他に選択肢がないとき。万座温泉がまさにこれに該当します。

Go To起因のミスマッチ

そんな私が、今回、万座温泉の旅館に宿泊しようと思い立ったのは、以前から好きで通っていた万座温泉にまた入りに行こうと考えたときに、「あれ、Go To キャンペーンで安くなるなら、泊まってみるかな?」というのがきっかけでした。

ですから、Go To キャンペーンが無かったら、まず宿泊はしていなかったと思います。

私が万座温泉に行きたい理由は、温泉。万座では、旅館によって様々な源泉や浴槽があり、特徴になっているため、せっかくならと、これまで入浴していなかった旅館を選びました。

つまり、食事はほとんど気にしていませんでした。散々、事前に食事を確認しなかったのか、と突っ込まれていましたが、(いちおう見てはいるものの)正直な話、熱心に見てはいないのが事実です。

多すぎると感じた理由

Twitterにも補足投稿をしましたが、実際に食べて、私は8割、妻は6〜7割で限界。これについて「これくらい食べられるだろ」には、こちらからは何も言えません、、、食べた私は食べられませんでした。以上です。

しかも、これも補足投稿をしましたが、小学生の子ども2人の分まで、大人とまったく同じ分量でした。当然、半分くらいは残ったでしょうか。

私の選択は失敗だったな、と心に強く残った理由はなんだろうか?と考えたときに、これは大きかったと思います。

子どもの食事については、申し込みの過程で、選択するフローはなかった認識でいます。

大人と同じ分量が出てくるのは、一般的なのでしょうか? これはもしそうなら、世間知らずと言われても仕方ないですね。私は当然、子ども用のメニューが出てくるんだろうな、と疑いもしませんでした。

なお、目の当たりにした段階で、「多すぎるから下げてほしい」と伝える選択についてですが、今回はコロナ対応のため、どのみち廃棄になってしまうのがわかっていたため、とりませんでした。再利用はできないでしょう。

やむを得ず「できるだけ頑張ってみるか」と頑張ってみましたが、目の前にはたくさんの残飯が残ってしまった、というわけです。

あと、事前に減らすよう伝えるべき、という意見が相当数ありました。

が、みなさん、これ本当でしょうか?

実際に目の当たりにする前から、これは食べられる、食べられないと判断するのって、相当難しいのではないでしょうか。

中には、業界関係者から、そうするのが当然というような意見があったようですが、これは率直に、客に困難なタスクを与えているように感じます。もちろん、異論・反論を否定するつもりはありません。

目的は問題提起

いろいろな偶然が重なって(私の世間知らずも重なって?)、目の前にはたくさんの残飯が残されました。

その場で、生身の私が感じたことは、

「大人も子どもも、同じ分量を提供している。男性の大人のわたし基準でも、ちょっと多いくらいだった。効率を優先して、たくさん食べる人に合わせてメニューを作っているんだな、では(目の前にあるように)たくさんの廃棄が出ているんだろうな」

ということです。

私にとって、あまり気持ちの良い体験ではありませんでした。

これが、旅館の昔からのやり方なのだな、と思ったとき、目の前にたくさんの残飯が残されるようなやり方を、本当に昨今の人々は求めているんだろうか?という疑問が私の中に芽吹きました。

少し解説すると、これは近年の私たちの価値観の変化が念頭にあります。

概ね2000年ごろの時代まで、私たちは、マスメディアで語られる画一的な享楽こそ、贅沢だと思ってきました。しかし、インターネットが普及して、情報流通が細分化すると、自分らしいことこそ価値だと気づき、贅沢も多様化しています。

昔は、食べきれないほどのご馳走が求められていたのでしょう。でも今は、Twitterでも寄せられていたように、むしろそれを持て余す人だって、確かに存在するのです。

つまり、慣れないことをして失敗してしまったという感想とともに、問題提起が私の目的でした。

そして実際、炎上の投稿も、初期には、問題提起に共感していただいたり、考えさせられたというコメントが寄せられたりしています。

コロナ禍という空気を読まないタイミングであり、なおかつイラつかせる言葉づかいがあり、あのような炎上になりましたが、この問題提起、疑問は、今も変わっていません。

※Twitterに「シニア層がメインターゲットのはず」と書きましたが、これは特殊な立地と、プリンス(西武グループ)が開発して栄えた過去から、当時を知るファンがメイン顧客なのではないか、という推測です。それほど根拠のある話ではありません

※こういう、廃棄が出る出ない、が気になってしまうのは、ビジネスパーソンとしての特性というか、性です。一般的な感覚ではないと思いますので、「何が言いたいのコイツ」と思われる原因となったように思います

"こういうもの" で本当にいい?

最後に、蛇足ですが。

「廃棄前提なんて言い方はないだろう」という意見はたくさんいただきましたが、「廃棄前提は事実ではない」という意見、あるいはそれを肯定するような証言は、出てこなかったように見えましたが、実際どうでしょうか?

(申し訳ないですが、全体の5%も見られていないと思いますので、もし傾聴に値する指摘があったなら、教えていただけると大変助かります)

むしろ、業界関係者からも、「旅館の食事はそういうもの」「多く用意するほうが効率がよい」という話が出てきたように、多く用意して、食べ切れなければ残してもらうという考え方がスタンダード。

旅館は昔からこういうものだ、というのはよくわかります。が、それで本当にいいのでしょうか?

特に、私よりも若い世代は、「エシカル」「サスティナブル」方面の感性に敏感です。

もちろん、問題提起によって、万座温泉や、旅館業界を変えようなど、大それたことを思っているわけではありません。変える必要があるのか、はたまた実際に行動するのか、責任を持って判断するのは、その場で生きている当事者の方々です。

私にできるのは、その判断材料となる声の一つを届けること。

そして、国内で一番素晴らしい温泉が、寂れて消え失せることのないようにと、陰ながら応援することだけです。

※よろしければこちらもどうぞ。外から見ていただけでは見えなかった部分、炎上の裏側を、当事者の視点で解説しています。


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