袖振り合うも他生の縁
「茶室作りたいなぁ」
と思ったときから今日まで、
いくつもの不思議な
【ご縁】
があった。
今日は、その中でも特にビックリした、3つの不思議な【ご縁】についてご紹介したいと思います。
まず一つ目。
今回、茶室をつくる物件、仙台市青葉区本町にあるテナントビルの4階。
そのビルの2階には、仙台でいますごく人気の和菓子屋『まめいち』さんが入っている。
『まめいち』さんには、僕も開店して間もなく行くようになり、その度に店主であり和菓子職人の幾世橋陽子さんとお話させていただいた。
まずはなんと、泣く子も黙る京都の老舗和菓子店、『老松』で修業して帰ってきたとの話にビックリした。僕も京都に行くといつもお菓子を買いに行く。
それでいて、作るお菓子はこれまでの和菓子の常識を覆すような独創的なお菓子ばかり。毎月新しくなる創作和菓子を楽しみにたくさんのお客様が訪れる。僕もその一人だった。
そんなある日、
「せっかく和菓子屋さんするなら絶対お茶やった方がいいですよー!」
と生意気にも茶道を勧めたことがあった。
すると、
「やってみたいけど、まだ仕事が忙しくて。ここの上(の部屋)空いてるから教室してくださいよー」
と。
そのときは3階も4階も空いていた。
その時は自分で茶室をつくるなんて全く考えてもいなかったので、気にすることもなく、
「仕事が落ち着いたらぜひ。」
とだけ返したと思う。
それが数年後、実現してしまったのだから本当に驚いた。。
もしかしたらこのときに頭の奥の方に刷り込まれたのかもしれない。
いつかここで教室したい
って。
続いて二つ目。
今回茶室を作っちゃおう!と思ったときに、まず相談したのが大学で学科が一緒だった友人だった。
僕は今、証券会社の営業だったり茶道教室講師だったりしているけど、実は、大学では土木建築が専攻だった。
とはいえ大学の授業にはろくに行ってなかった僕は、他の人たちと比べて大学内の友人と過ごすことが少なく、卒業後、大学の友達と連絡を取り合ったりすることはほとんどなかった。
そのため、その友人が卒業後、何をしているのかさえ全く知らなかったのだが、今から10年くらい前、「東京で設計事務所を始めたので、何かあったらよろしく。」と書かれた年賀状が届き、それから年賀状のやりとりだけはあった。
ちなみに、そのときは、
「戸建てを建てる気もないし、申し訳ないけど、僕が設計のお仕事をお願いすることはないだろうなぁ。」
と思っていた(笑)
すると、今から7~8年前、
「仕事で宮城に行くから会わないか。」
突然その友人から連絡があった。
もちろん喜んで会うことにした。
聞くと、石巻で、東日本大震災被災者慰霊のオブジェを作ることになった、と。
そのため彼はその後も何度か現場に行くために仙台に来ることがあり、その度に連絡をくれて、予定さえ合えば会って話をした。
いつの間にかお茶を始めていたそうで、お茶の話をすることも多かった。
しかし、そのオブジェが完成すると、彼が仙台にくることもなくなり、再びぱったりと会わなくなった。
そして昨年、「茶室をつくろう!」となったとき真っ先に浮かんだのが彼だった。
茶室となると、お茶をしていないとなかなか難しいところが多いため、”お茶をしていて”建物を設計できる人"が条件だったからだ。
そんな彼と、実は、一つのものを一緒につくるのは初めてではなかった。
今から17年前、大学の授業の課題で、
【(仙台市太白区にある)「八木山橋」を架け替えるとしたらどんな橋を設計する?】
というものがあり、50音順で名前が近かった彼とは同じチームだったため、一緒にその橋のデザインや設計をしたのだ。
彼はその後さらに建築を勉強して独立し、
僕は大学で始めたお茶をさらに勉強し独立し、
そしていま、一緒に茶室をつくっている。
人生どこでどう交わるかわからない。
そして3つ目。
今回の茶室プロジェクトを考え始め、結構すぐに思いついたのが、
週に2日くらいお茶室を使ってカフェをしたい。
抹茶スイーツや和のものが流行っているにもかかわらず、仙台で和カフェというと昔からある1店舗くらいしか思いつかない。
僕は京都や東京でそういうお店に行く機会が多かったので、どうして仙台にはないのか、いつも不思議だった。
そして、今回のプロジェクトにおいて、お茶の教室に通っている人しか訪れない空間にしないためにどうしたらいいか、を考えたときに、和カフェをしよう、と思った。
ところが、自分が毎週2日必ずその場にいなければいけないということが現実的に厳しく、できることなら、誰かカフェをしてくれる人に場所を貸す、というかたちをとりたかった。
でも、週2日だけ、しかも茶室で和カフェと決められていて、そんな都合よくやってくれる人なんかいるのだろうか・・
いろんな人を思い浮かべた。
今から2~3年ほど前、先ほどご紹介した和菓子「まめいち」さんで、ばったりお会いした女性がいた。
挨拶をしたところ、僕は初対面だと思ったが、なんとあちらは僕のことは知っていた。
彼女が帰ってからまめいちの幾世橋さんからお話を聞くと、お花屋さんをしていて、お茶もしているとのこと。
裏千家のお茶をしている50歳以下の組織、「淡交会青年部」というものが全国にあって、僕は3年前から宮城の青年部の代表をさせていただいている関係で、たしかに、お茶をしている方からは一方的に知られていることが少なくなかった。
そしてそれからしばらく経ったある日、
とある知人主催のイベントでなんとその女性とご一緒させていただくことになった。
お茶席のデモンストレーションで、僕が亭主役、その女性が正客役だった。
一度練習でお会いする機会をいただき、そのときは少しだけお話することができたが、イベント当日は、僕が別のお茶会中に抜け出して参加したこともあって、役として問答をするくらいしかお話もできなかった。
そして昨年末、まだカフェをしてくれる人がきまらないまま、「まめいち」さんに、カフェをしたらなんらかのかたちでコラボできないか、と相談に行った際に、まだやってくれる人はみつかってないんですけどね、とお話した。
すると、
「〇〇さん、カフェしたいっていってましたよ。」
と。
ようやく今年の1月、お時間をいただき、茶室プロジェクトのこと、目的やビジョンのこと、そしてカフェのことを話し、二つ返事でオッケーしていただいた。
後から聞くと、ちょうどそんなことをやりたいと考えていたらしい。
しかも、今年入ってから直接お話をするまで、やけに偶然に街で遭遇した。
偶然に・・・。
3人とも今回のプロジェクトにおいては欠かすことのできない超重要人物だけど、3人ともが数年前からこうなることがきまっていたかのような【ご縁】だった。
最近、僕の尊敬するある経営コンサルタントの方がfacebookに投稿していた。
明治大学の心理学者諸富祥彦教授いわく、
「うまくいく人は、たまたま行った場所で、たまたまキーマンと出会っている。」
これを、『計画された偶発性理論』というそうで、
予想しない偶然を引き寄せるのは、
好奇心 と 行動力
とのこと。
僕にそれがあったのかはわからないけど、
やろうと思ったときからいろんな人に話し続けた。
口にすることで自分の頭の中も整理されるし、
どこがまだぼんやりしているのかがわかるし、
そして、【ご縁】が生まれる。
そんなたくさんのご縁に感謝をしつつ、
みんなで【面白庵】をつくっていきたい。
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