時間が無い?

 考えてみれば、「時間が無い」というのも奇妙な言葉です。

 前回の記事の通り、

 時間という概念は、完全に人工的に作られたものです。自然には「変化」しかありません。

●その期限に根拠はあるか

 例えば、「期限」というものを定めたとしても、その期限の根拠となっている暦や時刻は、人間が勝手に決めたことです。そこには本来、必然性などは全くありません。

 「とは言っても、期限を定めなければ秩序はどうなるのか?」

と言いたくなると思います。

 大丈夫です。秩序は自然が持っています。

 暦や時計が無くとも、春になれば植物の芽が出て、動物は冬眠から目覚め、植物も芽を出します。夏になれば植物は生い茂り、動物も活発に活動します。

 そして秋になると食物が実り、動物は厳しい冬に向けて準備を始めます。冬は寒さに耐えしのぐため、植物は葉を落として栄養を溜め込み、動物は巣穴や地面に篭ります。

 人間以外の動植物は全て、この自然の変化を感じ取り、行動しているのです。これ以上の秩序があるでしょうか。

 極論に聞こえると思いますが、私は人間が決めた「時間」という概念が、自然とずれ過ぎていることで、地球環境の問題が起こっていると思います。

 すなわち、「期限」のために、季節や環境に関係なく同じ活動時間を維持することが求められます。そのため人間は、暗くなれば照明をつけたり、暑くなれば冷房をつけたり、寒くなれば暖房をつけたりするわけです。

 それでは、「期限」は何のためにあるのでしょうか。これは、前回述べた「変化」をもとに考えると、例えば、いきなり卑近な例ですが、

「朝ご飯を食べる」

という行為について考えてみます。

 そもそも何故ご飯を食べるかと言えば、お腹が空くからですよね?

 当たり前だと思うでしょう。しかし、人間は長年の習慣で、時間が来るとお腹が空くように体が変化してしまうのです。

 最近、「朝断食」というのを耳にすることがありますが、本来朝というのは、排泄の時間なのです。寝ている間に溜まった老廃物を、体外に排出する事から、健康な1日が始まります。

 英語でも、朝ご飯は"breakfast"と言います。つまり、断食(fast)を破る(break)という事です。

 では何故、朝ごはんの習慣が出来たかというと、トースターを発明した、エジソンが言い出したという説があります。エジソンはビジネスのセンスにとても長けていて、自分の発明したトースターを普及させるため、朝ご飯を食べると健康になるという、今までに無かった考え方を作り出したのです。

 その結果どうでしょう。運動量は同じで1食増え、肥満が問題になっていきました。

 話が逸れ過ぎましたね。ご飯を食べるという行為は、本来、お腹が空くからだという事でした。

 そういう風に考えると、例えば

「ご飯を作っている時間が無い」

というのを「変化」をもとに正しく言語化すると、

「耐えられないほどの空腹になるまでの変化」のスピード

に対して

「ご飯が食べられる状態まで変化」させるスピード

が遅くて追い付かない

という事になるでしょうか。

 この場合の期限には必然性があります。つまり、「空腹が耐えられなくなるまで」という、変化をもとにした明確な定義です。

 では、人間社会で当たり前のように言われる、「仕事の期限」とか「有効期間」などは、どんな必然性があるか考えたことがありますか?

 「お金をもらっている以上は間に合わせなければ」

とか

「自分が決められる立場ではないから仕方がない」

と、思考停止していないでしょうか。それさえ、言ってしまえば、誰かが何かの思惑で決めたことでしかありません。

 もちろん、命の危機や、災害に関わるような事は、必然性があると言えます。しかし、今特に問題になっているような、「賃料の支払い」とか「光熱費の支払」って、その期限に何の必然性があるでしょうか。その期限があるために、命を落とす人もいるくらいです。

 また、環境を犠牲にして生産量を増やしてまで守る「納期」に、どれほどの意味があるのでしょうか。

 これから私たちに迫ってくる、「変化に基づく期限」は、何と言っても、人間が生きていくための地球環境の限界です。その期限を、人間が大した根拠もなく決めた期限のために、短縮させているとしたらどうでしょうか。

 これからは、期限を設定する側に、その根拠と影響を考えていく必要があるように思うのです。

 ということで、時間の話です。(前置きが長い)

●改めて時間の定義

 時計を前提として考えるのが常識となっていると、時間の流れというのは「絶対的なもの」と考えてしまう事はないでしょうか。

 何度も言うように、我々は「時間とは何か」について知っているわけではありません。では、現在の「時間」はどうやって決まったのかと言えば、もともとは「天体の運動」から決めたわけです。

 天文による定義では、

「平均太陽日の86,400分の1を1秒とする」

とされています。太陽日は常に変動していて精度も悪いので、現在「SI単位系」では、

「セシウム原子(安定同位体は質量数133が100%)の、超微細エネルギー準位間で遷移が起こる時の放射線の9,192,631,770周期の時間」

と定義されています。「超微細エネルギー準位」とは、「磁気量子数」、「スピン量子数」等で定義されるよりももっと細かい準位のことです。

 しかし、宇宙の変化は、太陽の運動が促している訳ではないし、セシウムが発する電磁波が促しているわけでもありません。これらは

「時間を計る規準」すなわち「時計」

を定義したのであって、「時間」を定義したわけではないのです。

 だから、特殊相対性理論で、例えば

「光速に近い速度で運動するミューオン(μ粒子)の半減期が伸びる」

と言った場合には、

「光速で運動する事によって、その放射性崩壊の観測にどう影響してくるのか」

というのが、我々が本当に知りたい事なのではないでしょうか。

 もっとも、光速付近で運動する物質の変化を観察する為には、我々が同じく光速付近で運動しないと不可能です。そして、それが可能として、ミューオンとの相対速度は小さくなるので、観察できる寿命は静止している時のそれと変わらなくなります。

 それで、時間といういわば、

現象の進行を「一般化」した媒体的な概念

を持ち出す事で、それを考えるしかないのです。そうすると、

「時間は絶対的であり、進み方も一様である」

という立場の方が、むしろ不自然であると言えます。

●相対性理論が難解と言われる理由

 アインシュタインの相対性理論の本の多くは、「光速度不変の原理」の説明から入って「マイケルソン・モーレーの干渉実験」が書かれており、そこから電車に乗った人の絵で「空間の縮み」や「時計の遅れ」を説明しています。

 ニュートン力学から始まる古典物理学を勉強してきた人にとって、その説明はとても理解し難いものです。何故なら、日常生活の感覚では、古典物理学の「時間と空間の概念」がとてもマッチングしているからです。

 また、ニュートン力学から始まる古典物理学と、アインシュタインの相対性理論の時間と空間の概念は、前提となる思想から全く異なります。なので、相対性理論を本当に納得するには、まず我々の日常的な時間と空間の概念を考えなおす必要があります。

 実は、相対性理論のその概念は、音速の単位で有名な「マッハ」の思想が元になっています。

 次回はそれを見ていきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?