失敗から学べない理由

 「成功するまであきらめなければ失敗にならない」

とはよく言ったものです。

 「何度でも失敗から学んで、成功すればいい。」

 そういう考え方が、特に新たなテクノロジが台頭して来ている今の時代に、受け入れられつつあります。

 しかし、技術が高度化して行くと同時に、学ぶべき事も増えていきます。その中で、効率良くそれを進化させていくには、過去の失敗から学び、その失敗を繰り返さない事も重要です。

●まずは当事者意識から

 「失敗から学べ」

なんていうことも良く言われます。しかし、皆さんは正しく学べていますでしょうか。

 同じ失敗を繰り返してしまう場合も、全く失敗から学んでいない事は無いと思います。失敗を体験しただけだって、大きな学びです。

 ただ、失敗の捉え方として、以下の点が学びを妨げているケースが多いようです。

①まず犯人捜しをしてしまう
②失敗を自分事としてとらえられない

 ①については、人に原因を求めることが、根本原因を見えにくくする問題があります。

 簡単な例では、部品が運搬により破損したとします。運搬した人が、普段から物の扱いが雑だと言われていたとすると、

「あいつが雑な扱いをしたからだ」

ということで終わりにされそうです。

 しかし、丁寧な人であっても、人が全く同じ作業を再現することは不可能です。体調によっては、不注意による事故が起こることもあるかもしれません。

 この場合は、人による運搬時に部品に加わる可能性のある、加速度や力積を想定し、部品側でそれに耐えられる強度とするか、梱包や運搬方法でそれを軽減するのが、根本的解決方法と言えます。

 人を選ぶ作業を増やすことは、組織にとって良いことではありません。

 ちなみに、交通事故に関しても、最近自動運転が現実的になってきて、やっと

「車やシステムをどうするか」

と考えるようになりましたが、仕組みや機能面による解決方法が、もっと早く模索されるべきであったと私は考えています。

 ②は①にも関係しますが、人が起こした失敗を、自分には関係が無いと考えてしまいがちなことです。

 例えば、自動車事故を見て

「自分は自転車だから関係がない」

と思う人もいるかも知れません。しかし、その事故が「前方不注意」で起きているとしたら、注意すべきことは自動車も自転車も同じです。

 これは、「自分事」として考えて、初めて

異なるように見える事象から共通項を見出す事が出来る

のです。

 これら①②はどちらも、

「当事者意識を持って考える」

事が必要である事を示しています。自分が関わった失敗は当然ですが、他者の失敗事例も、当事者意識を持って考え、擬似的に追体験をすることで、そこから学ぶことが出来るのです。

●失敗を悪とする日本

 どんな失敗でも、次に同じ手戻りをしないためのノウハウとすることが出来ます。それだけ価値があるのに、何故そこから学び、活かすことがなかなか出来ないのでしょうか。

 それは、

「失敗 = 悪」

とする考え方が、日本には根付いてしまっているからです。これは、日本古来からの考え方でしょうか。

 私も、「穢」や「恥」といった思想が、日本人の「失敗を異常に恐れる国民性」を作り上げたのだと思っていました。しかし、実際はそうではないようです。

 日本は古来から「大和魂」の精神から築き上げた独自の文化があります。また、カップ麺やカーナビなど、日本発で世界に広まったオリジナル製品も数多くあります。

 当然その中には、失敗も数多く有ったと考えられます。

 日本にはもともと、「恥の文化」がありました。これは、

「武士は食わねど高楊枝」

という、むしろ

「失敗して貧しくなっても気丈に振る舞う姿勢」

を良しとする精神です。

 ところが、日本が第二次大戦で敗戦し、米国の占領下になった際、「罪の文化」を押し付けられました。

 実は、日本の

「失敗を恐れない不屈の精神」

は、世界中から恐れられていたのです。そのため、敗戦後に日本人の古来から持つ精神性を徹底的に塗り替える為の、「教育」が行われたと言われています。

 恥の文化に関しても、罪の文化と重ねることで、

「失敗 = 恥 = 罪」

という方程式が、その教育の中で刷り込まれたものと考えられます。

 多くのメディアの情報を見ても、「失敗した」とか「事故を起こした」という事は大々的に報道されるのに、その後それを「どう修復した」とか「どのように改善した」というのは、あまり大きく取り上げられません。

 「他者を責めるネタとしての失敗」

の方が、

「情報として需要が高い」

ため、それに応えているのかも知れませんが、これが

「失敗を悪とする文化」

を助長しているものと考えられます。

●失敗から正しく学ぶには

 また、

失敗から学ぶ「学び方」を知っている人が少ない

という問題もあると考えられます。それは、学び方を教わっていないからです。

 では、失敗からどう学べばよいのでしょうか。これは、機械工学者の畑村洋太郎先生が提唱した、「失敗学」がヒントになります。

 この失敗学を元にした「失敗学会」という学会があります。

そこで、過去に起きた失敗を分析して整理した、「失敗知識データベース」というサイトが公開されています。

 これは、

○創造に失敗はつきもので、その原因を分析する事で新たなノウハウとなる

○失敗には

「許される失敗」と「許されない失敗」

がある。前者は

「未知との遭遇」(十分な科学的知見がない事)

によるもので、後者は

怠慢や無知によるもの

○多くの失敗には法則性があり、未然に防げるものも多い

という考えに基づいています。

 ちなみに私は、この「怠慢や無知」には、

「失敗の原因を人に求めてそれ以上分析しない」

という姿勢も含まれると考えています。

 失敗の多くは、複合的な原因で起こります。

 失敗に関わる当事者の怠慢で起こったとしたら、それは監理すべき、また防止すべき立場の人の怠慢によります。だから、監理者の責任が問われるのです。

 次回は、この「失敗知識データベース」による失敗の分析と、そこからの学び方を、いくつかの事例を見ながら考えたいと思います。

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