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【戦争はコミュニケーションの放棄】


自民、公明、維新、国民、N党、参政は、日本の軍国化と内閣の権限強化、核武装を主張している。

彼らの言う「自分たちの国は自分たちで守る」の中身は、国を守る=軍事力だという事。

軍事は即ち暴力であり、他国への脅しである。

暴力や脅しはコミュニケーションの放棄から始まる。それは外交の放棄でもある。

他国との関係性を悪化させず、根本的により良い関係を作るためには、暴力などで相手を脅してはならない。

まさに今回のロシアとウクライナをみても、先の大戦をみても、アメリカがやってきた事をみても、暴力や脅しは緊張感を高め、戦争のリスクを増大させる。

まして核武装など、核戦争のリスクを上げ、1人の人間の力だけで人類の滅亡にも繋がる。

信頼関係の構築は、金のみのやり取りではなく、他国の災害の救助や暮らしの支援、芸術文化、人々の交流が最も有効である。

外国人の友人がいる人なら理解出来ると思うが、その友人の国を攻めたいと思うだろうか?
また、そんな判断を下す政権に政治を任せたいと思うだろうか。

本当の意味での国防はコミュニケーションによって"のみ"なされる。

軍事は明らかな暴力であり、脅しであり、それは根本的な国防なのではなく、あらゆる国の人々の暮らしを脅かすものである。

私たちは根本的な解決を求めなければならない。そして根本的な解決の意味を理解し、国境を超えて、人々がその事を共有する必要がある。

勇ましい声で、国民の不安を煽り、その不安の弱みに付け込んで、軍国化、軍備増強、核武装などを謳う権力者達に利用されてはいけない。

先の大戦やウクライナ戦争をみればわかる通り、戦争に理性は無く、非人道的で、戦争が始まってしまえば、何もかもが終りなのである。

故郷も家族も友人や恋人も子も孫も、全てが破壊される。

今の権力者達は、本当の意味でのコミュニケーションを試みようともしていない。

庶民に向かって、甘い言葉をかけ、騙し、自分たちの都合の良い決まり事を作るためだけに事を進めているので、まず会話が成立しない。
与党政治家のやりとりをみてもそれは一目瞭然である。

彼らは最初っからコミュニケーションを放棄していて、彼らの本音は「国民は私たちの言う事だけをきちんと守っていれば良い」という姿勢なのである。

これが政権与党であり、軍備増強、軍国化、核武装を目指す政党のあり方である。

コミュニケーションを放棄した強権的な政治思想を持つ政党は、国民のことは私たちが決める、国民は権力者にコントロールされる立場にいる、従うべき存在、と考える。

実際にはそうは言わないし、むしろ「人々の声を聞いてみなさんが作る政治だ!」と言っているが、その作るの本当の意味は"私たちの政党に投票しろ"という意味であり、彼らの本心は政策に表れている。

国民をコントロールし隠蔽された暴力により秩序を保ちたいので、人々の暮らしをサポートするという意識は薄く、その結果、自己責任論を押し付けてくる。

自己は社会と切っても切れない関係であり、社会的な歪みは自己に現れる。

自己責任論はその社会の歪みを隠蔽する事にもつながり、それは大変恐ろしい事である。

強権的な政治は、他国に対しても、暴力や脅しでコントロールする、という立場をとっている。

心ある政党は、自分達のことは自分達で決めれるよう、安心して暮らせて、生活が困らないよう手助けをし、人々が自分たちの力を充分に発揮できるように、暮らしを足元から守るという立場をとる。
その社会の調整役が政府の役割と考えるので、自己責任論を押し付けない。

また他国に対しては、災害など、そこに住む人々が困っていれば、援助する。
敬意を払い、交流を大切にするという立場をとる。

どちらがコミュニケーション的であり、根本的に世の中が治る政治のあり方だろうか。

それぞれの政党が何をやろうとしているのか、自分自身が見る眼を養う必要があり、その眼を養う為にも自分自身が常にコミュニケーションを大切にするあり方をしていなければならない。

コミュニケーションとは心を開くことであり、非暴力的なあり方である。

そこには他者をコントロールするという魂胆は見られない。

私たちは、人類の暴力による統制は更なる暴力と混乱を招き、秩序を崩壊させていく、という事実を歴史から学び、教養を深める必要がある。

それは、水の入った鍋に火をかけると100℃で沸騰する事と同じくらいの原理原則が働いている、という事を理解し共通認識にする必要がある。

権力者同士の争いや怯えによる領土拡張に惑わされる事のないよう、国境を超えて人々が互いにコミュニケーションをし、人類の失敗とその事実を共通認識として認識していく必要がある。

それは不可能だ、と言うことではなく、私たち一人一人がその事実と向き合い、学び、成長していく必要があり、コミュニケーションの中で学びあっていく事でしか根本的な解決にはならない。

自分を大切にすると言う事と、自分さえ良ければ良いというのは、まったく違う事である。

理解した事を学び合う関係にこそ、真実の秩序がもたらされる。

コミュニケーションには、相手をコントロールするという魂胆はなく、互いに心を開き、深いやり取りをするというあり方である。

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