無駄なことが実は重要
「よく聞かれる質問」シリーズにも関わることですが
「〜はやったほうがいいですか?」「〜はやらなければだめですか?」
とよく聞く人がいます。特にここ10年位で劇的に増えているように思います。なにをするにも、「〜はやったほうがいいですか?」「〜はやらなければだめですか?」といちいち聞いてきます。
疑問に思う前にやってみてはいかがですか?
おそらく、目的達成のために一切のムダを省きたいだからなのでしょうが、こう聞く傾向の人に限ってほぼ目的達成できていません。何をやるにしても中途半端で、これをやるぞ!と思い立って始めても志半ばどころか初めの方で諦めてまた別のことに手を出して・・・
このループで不満をつのらせ、その不満が自らが原因にあることを認めず、まわりに原因を求め、他人を卑下し、また恨めしく思い、はては教育が悪い、上司が悪い、会社が悪い、社会が悪い、国が悪いと止められないスパイラルに落ち込み、人生詰んでしまっている人がほんと急激に増えてるようです。
無駄が人生には必要
この真理に気づかない限り、失敗を繰り返すことは確実です。
何事もそうですが、何かを成し遂げる、修得する、上手くなるマスターする。レベルを高める。そのために必要なことは「失敗」です。
「これが最短の道だ」と思って物事をやってみるのは誰でも同じです。しかし、そのことが目的に直接必要ではないこと、大した影響を与えないことがわかったときに
「無駄な時間を過ごしてしまった、もったいない」と思うことと
「この物事は直接関係無いことを学んだ。重要事項が他のことであることがわかった」
と思うことでは雲泥の差があるのではないでしょうか。
そして、この考えを積み重ねていくことこそ重要事項/核心が浮き彫りになり、実は最短のルートで目的を達成させることでもあると考えられるようになります。
一見、日本の教育システムは実に非効率、無駄の連続のように思えます。しかし、視点を変えてみると、小中高にて人生に一見関係のない数学を始めとした種々教科を学ぶ義務が「最短で目的達成するために必要な、様々な無駄を経験し耐え忍ぶ訓練」のためだと考えてみると、なんと実りのある教育システムではないのかと見えてくるはずです。
かといって、何の疑問のなく「無駄を沢山経験すればいいんだ!」と短絡的にとらえても間違いの元であることが明白のように
「無駄を学ぶ意義=自ら考える力を醸成させること」
を自覚できるかがカギであると思います。
音楽制作/DTM関連で、もはや定番のように聞かれることが
「音楽理論は学ばないとダメですか」「楽器は弾けないとダメですか」「〜は聴いたほうがいいですか」・・・
このオンパレードの質問には
ご自分でどこまでやってみていますか?
と聞くことが一番有効です。
音楽を教えている人、偉大なる師匠初め音楽マスターの方たち全員は、それらを実践し必要な事象の取捨選択を「自ら」行って経験値を高めてたどり着いているわけですから。ゲームで例えればわかると思いますが「経験値」だけは絶対に分け与えることは出来ません。そして、「経験値」が最も価値のあることであることも理解頂けると思います。
しかしながら、その経験値の材料となっているものは確実に「無駄」の積み重ねです。
無駄を積み重ねるために、疑問に思う前にまずはやってみてはいかがですか?
疑問で思い悩む時間がほんとうに「無駄」なことです
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