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治療困難な精神病

自分の精神において耐えがたい悲しい出来事が起こったとき、まずそれに対する衝撃を受け止めようとする心理があり、その喪失感に対する悲しみの受容があり、時間をかけての鎮痛が行われていく。
しかし例えばこの悲しみを受けた当事者の精神状態が極めて幼く、その悲しみを受け止めきれなかった場合どのような経緯に至るのであろうか?まず悲しみに対する衝撃を受け入れないという心理が働く、つまりこの事実は嘘であるとか本当の事ではないと否定する。
そして喪失の悲しみを受容しないためにその事実から目を背ける、そして事実を受け入れなかったために現実と別の世界を脳内に構築していくことになる。つまり事実を知らせてくる人は嘘つきで自分を貶めようとしている。であるからこのような人々と話す必要はないと。
その結果待っているのは非常に強い孤独である。その人と対話できる人はその人の脳内の世界に入って演技できるものに限られる。そのような演技に付き合う人は極めて少ない、その結果、深い孤立が起こり周囲の人間はその人にだけ大事な事を知らせなかったり、またその人との付き合いを避けるのでより孤立の深刻性が増してくる。
このような孤独に人間は耐えられないので何かに依存することになる。アルコール、ドラッグ、食べ物、こう言った強い依存症を引き起こし身体状態は著しく悪化していく、この精神状態の悪化は場合によっては医者も遠ざける何故なら医者は事実を告げるからだ。しかし自身の精神状態の悪化や身体状態の悪化の事実を受け入れられないと医者に行かないのでより深刻な病状になる。
このような場合、相手の話の多くを受け入れて話を聞くカウンセリングをしなければならない。しかしまずカウンセラーのもとに通わないのその治療をしようという意欲がある人間が継続的にその人のもとに通い継続的に忍耐強く話を聞く必要がある。場合によってその人は極度の孤独や怒りや不安から幻覚を見るようになってる可能性すらある。
人間の脳は極度の受け入れがたい苦しみにおかれると自分自身を守るために幻覚を見せるのだ。その幻覚にすら付き合って長期的に話を聞かねばならない。場合によってはその人に合わせて演技すらしなければならない。そこまでの治療をしてくれる人間は極めて少ない。
多くの人は家族にすら見捨てられ放置され、ある時首をくくってるかもしくは病死しているのを見つけることになるのである。
このような状況に至る原因は本人の性質と社会の状況が本人の能力と適合しておらず本人が思う能力に対して社会の中で活躍できなかったり、否定されたり拒否されることで起こってくる。パッケージ化された人間だけを必要とし続ける社会においてある面においてはとても優秀であるが他者との協調性に欠けるなど問題がある人間を上手く社会に包括できなかった結果の社会問題である。
このような人々が生まれる理由は現代社会に起因する。牧歌的な過去の社会においては他者と自分の優劣と言うのがもっと曖昧であったし、またある種の特化して有能ではあるが問題もある人物を社会は許容する余裕があった。そのような協調性の欠ける人物であっても社会の中である種の他人の役にたって暮らすことができた。
人間は一部の稀な例外を除いてほとんど人は社会的な協力関係において誰かの役に立って生きることに生きる意味を見出せる。しかし現代社会になると誰かの役に立つという喜びはなかなか得にくくなる便利な社会になると他人の助けを必要とするシーンが少なくなるそれとともに現代社会の仕事という性質の労働ではその満足感が得にくい部分があるからである。その意味で先ほどの病気の当事者は特にそのような喜び生きる意味に枯渇している。社会の評価に飢えていることが極めて多い。
非常に皮肉なのは逆にその当事者が著しく能力に欠けてたり、ある種の欠損があってあきらかに他者と比べて劣っているのであればそれは彼自身、受け止めざる得なくなるので返って彼は社会に調和できる、しかしその能力が秀でていて一般的パッケージの人間よりも優れている場合強い自尊心が発生し、自分はこれほど優れていて周りの人間はこれほど無能であるのになぜ自分が正当に評価させないのか?という心理状態を構築してしまう。
カウンセリングをしていくうえで大事なことは気付きを与えることだ、対話していく過程で自分がおかしいのかも知れない?と言う気付きを与え、それを強く引っ張り上げる必要がある。その時の強い葛藤は壮絶な苦しみである。
それはそうだろう、自分は何も問題ないすべて他人のせいだと思っている人間がコペルニクス的転換をして自分自身に責任や問題の原因があると認めるところであるからだ。この激痛に耐えるとふっと痛みが引く、そして自省が訪れる。時間をかけた内省の時間がはじまる。
その中で自分の過去や失敗そして今の状況など様々なものを受容していき、次第に気が付き、回復していくのである。
ここまで至れずに悲劇的な結末を迎える人も少なくないだろうが、それでも治療を行う人はいる、そしてこの治療は必ずしも医療の専門家でなくてもできる。もちろん医療の専門家の指導の下行うのが望ましいがそうでない人であってもできると思う。しかしその困難な仕事は決して金銭的に何かが見合う仕事ではないだろう。
いまの社会にはこのような治療を行える人間が必要だがそのような人間は極めて少ない。。。

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