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子どものサッカー指導に必要なものは何なのか? 【クラブ哲学編02/僕の仮説03】

子どもは成長段階にある。

体も、心も、頭も、ありとあらゆるものが発育発達の途中だ。それぞれがうまくリンクし、すぐ機能して力を発揮するには時間がかかる。時に「プレーがうまくいかない」と悩み、心と体のバランスを崩す。頭ではわかっていても、体が追いつかないこともある。すべてがアンバランスになり、どうすることもできない時だってある。少なくとも「コーチ」という肩書きがつく人は、このことを心にとどめなければいけない。

自身が40を過ぎてわかったことがある。

その年齢を超えたあたりから、また子どもの頃と同じ現象が起こる。ありとあらゆるものが老いを重ねる段階に入り、子どもの頃と似た悩みを抱えている。これが自然の摂理であり、逃れられない人間の定めだ。ようするに、完璧な人間なんて存在しない。

「あいつ、ここダメなんだよね。でも、ここすごいからさ」

なんだかんだ互いに認め合いながらなんとなく自分にないもの、足らないものを受け入れ、無意識のうちに他者とのつながりを感じながら日々を過ごす。きっとどんな人も社会の中で自分の存在意義を見出し、その存在確認をすることで心の安心安全を保っている。

例えば、SNSはその象徴だったりする。日常の出来事が日記のように書かれ、何気ない一コマが写真としてアップされる。つぶやくことも理路整然としていたり、攻撃的であったり、保守的であったり、悲しかったり、優しかったり…。そうやって社会も成り立っている。別にネガティブにとらえているわけではなく、これが今の日本なのだ。

よく「人は成功と失敗を繰り返して成長する」という。

こんなのは当たり前で、誰もが最初は「知らない」から始まる。だから、ジュニア年代の「選手とコーチの関係」なんて単に早く生まれたか、遅く生まれたかの違いでしかない。勝った負けた、偉いか偉くないかの関係ではない。例えば、コーチは選手に知識や経験、理論では勝っているかもしれないが、選手はコーチに感受性や成長速度、伸びしろや可能性では圧倒的に勝っている。コーチの感覚的な物差しだけで子どもを推しはかる自体がナンセンスなのだ。

人として、平等に与えられているのは1日24時間という時間。どう有効に使うかは自分で決められる。どんな人も夢中になって試行錯誤し、今の自分にできることに精一杯向き合って何かを得ることは、選手にもコーチにも平等に与えられた成長の機会だ。

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写真提供=佐藤博之

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