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今を否定し価値観から変えているのは選手人口の減少に備えるため【筆者の思考整理帳16/僕の仮説57】

■コロナ禍で自己否定から始めた自分改革

自己改革。

私がコロナ禍をキッカケに、この社会混乱の初期段階に始めたことだ。これまでの価値観を根本から見直すこと、そして、経済的な観点にも目を逸らすことなく同時に求め、すべて包括的に捉えて前に進むことを選んだ。

言わずもがな、その大きな理由は、社会活動の停止とともに起こった経済の混乱を現実に直視したからだ。街クラブから立ち上った悲鳴を耳にしたとき、これまで自らが発信してきた内容が浅はかだったことに気づかされた。

1年半前からWEBマガジンで街クラブが地域に根づき、持続していくには「経営視点」と「指導視点」の両輪が必要であると訴えてきたが、まさか現実に活動できない街クラブがどんどん疲弊していく様子を間近にすると、これもあれもと自分の知識も説明も不足していたことを自覚した。

たった一つ収入という「経済要素」がなくなっただけで、「こんなにもろくも街クラブが潰れたり機能不全を起こしたりするものなんだ」と実感したとき、自身がこれまで訴えてきたことすら理想論ではなかったのかという疑念が湧いてきた。

自己価値観の否定。

まず、この根本から手をつけた。一気にすべてを否定してしまうと自己崩壊につながるから、徐々に一つひとつ目の前に現れた価値観を「このお前の考え、根幹を成す価値観は本当に一般社会で通じるのか?」「この考えで他者を納得させられるのか」などをいろんな観点から問いかけた。

これまで選択肢から即外してい行為を一旦止め、採択の基準に「経済的な観点」を加えて自分の中で再考することを積み重ねた。時に、これまでの考えを180度転換させることもある。こだわっていたことを全部チャラにする場合だってある。

正直、辛いし、苦しい。

しかし、ジャーナリストとは「浅はかだった自分を悔い改めることの連続でしか成長できない」、そんな職業であることを嫌というほど認識している。意見を発信することは内面をさらけ出し、共感されたり批判されたり、そして指摘されたりケチつけられたり文句を言われたりすることを前提に、それでも受け止めて自分の糧にする気概がなければ名乗ってはいけないのだ。

常に自己と社会との関係に向き合って変化していかなければ、生き残れない。この1年半、社会やスポーツ界、サッカー界の出来事を考えるたびに自身の細胞が「自己改革の道を選ばなければお前の主張は相手にされないし、生き残れないぞ」と叫んでいた。

それは「社会における存在価値の証明」はもちろんあるが、サッカーと関わり続ける理由が「自己満足になること」を最も恐れたからだ。

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