6/15 日本の男性運動の歴史

 20世紀末以来、わが国の男女共同参画推進基本計画のもとで、男女共同参画社会の形成にあたって、政治的および社会的変化を志向する動きが散見されている。2020年現在の男性運動とは、どのような沿革、思想の変化を経ているものであり、どのような結社や場所に求められるだろうか。この問いにアプローチするために教材とした論文は、大束貢生「日本における男性ジェンダーと男性対象のジェンダー政策の多様性」である。2020年6月15日に通読した。

 大山・大束は男性運動を「ジェンダーに関わる諸問題についての男性側からの運動」(大山・大束 1999)と定義した。定義に先立つ歴史として、男性運動はフェミニズムや女性運動の広がりののちに、1970年代の半ばから「マンリブ」として始まっている。ジェンダー研究者の多賀太(多賀 2006)は、1990年ごろまでのメンズリブの性質を引き継いだ男性運動の系譜を纏めている。メンズリブを引き継いだ男性運動は、2000年代になると男性運動の問題意識が浸透して「普通」になったことと、多様な男性の困惑が見られてきたこと、の二つの事情によって社会運動として終息した。多賀はさらに、この終息後、男性運動の活動が男性問題を設定する際の軸を「女性を苦しめる男性」と「男性自身の困惑」に分類し、その専門分化が起こっていると論じた。前者は「ホワイトリボンキャンペーン・ジャパン」を代表例とし、そうした組織は女性に暴力を振るわない男性の啓発効果を高める活動を展開する。後者は「ファザーリング・ジャパン」を代表例とし、そうした組織はソーシャルビジネスへの志向を持って「父親支援事業を通じて10年、20年後の日本社会に変革をもたらす」という社会的課題を掲げ、経済的かつ社会的なリターンを追求する。政策のレビュー、男性運動の団体が政策決定に携わらなくなった経過も記されるが、省略する。最後に、①「女性の地位向上の支援」と「悩める男性への支援」という方向性を伊藤公雄や多賀が示していること、②男女共同参画政策を政策過程や政策評価の立場で捉えることが必要であり、そのような研究が乏しいことの二点を、今後の課題として挙げて結んでいる。

 現存する男性運動の結社のうち、筆者はホワイトリボン・キャンペーン・ジャパンに着目する。これは「男性の非暴力宣言」に端をなすグループで、関西地方に活動の拠点がある。筆者自身もメールマガジンの報告を済ませており、今後は研究対象としてその活動が発している言動や、組織や場の実態に肉薄していく。非暴力を誓う言動が、女性団体あるいは行政機関、議会、あるいはマスメディアに影響を及ぼす「公共圏」としての機能を果たしているのだろうか。暴力や性について「公共」に語るとき、この結社は男性たちによる「対抗的公共圏」と呼べるのか。そうではなくて、男性たちが結社内部に向けて困惑や生きづらさを語る「親密圏」として、相互のケアや心的な親密さの営みで構成される圏域にとどまるのか。彼らの外部への働きかけを、この眼で、耳で感じて分析したい。

 論文の課題に示された二点目、政策過程や政策評価の立場での評価や刷新は、具体的にどのようなものを求めるか、疑問が残る。男女共同参画が進んだことの指標としては、管理職の女性比率や育児休業の取得率が耳目を集めると言ってよいだろう。しかし、これらは本質的だろうか。これらの割合の高まりは数値目標として機能しても、実態へのアプローチが乏しいだろう。数値目標とするならば政策決定に携わる諸議会の議員の男女比率をもっと論点にすべきだろうし、さらに数値目標が実態や制度上の不均衡を解決しないだろう、という二重の批判を筆者は示したい。ファザーリング・ジャパンやホワイトリボン・キャンペーン・ジャパンの活動も、数値目標の設定や法律含め制度の変革を志向するものであってこそ、社会運動の力強さを取り戻す男性運動になるのではないか。政策過程や政策評価の枠組みの中に男性対象のジェンダー政策が盛り込まれることが必要だと大束は訴えるが、その評価や刷新の具体性をより追求していかないことには、男性運動の目標・妥結点の輪郭が不明瞭になってしまうだろう。

 通読を経て、筆者が今後採る方針を示し、拙稿を閉じる。宣言することで、筆者の研究に強制力を持たせる。男性運動の議論を、社会運動論あるいは公共圏論の文脈を踏まえて歴史的にレビューすることを、7月末までに行っていく。多賀太と大束貢生自身の分析角度に偏ったレビューからは、「女性に対する加害意識」あるいは「男性の困惑、生きづらさ」といった活動の基盤として共有された心理的動機から沿革が説明され、トゥレーヌらの「新しい社会運動論」とその重要な要素である「経験運動論」に連なるように映る。非常に意義深いレビューだが、男性運動が社会運動であると位置付けるとき、「個人」を多角的に検討する必要、「場」を検討する理論を検討する必要が出てくるのではないか。組織に結集しない男性たちは、どのような言論ネットワークで男性ゆえの問題解消を図っているのか。社会運動論の中に男性運動を見出した研究を検索し、特に2000年以降の男性運動の議論の潮流、研究視角をまとめて大束貢生に提出したい。

 明日は授業1コマを除けば、就職活動に関連する時間が大部分を占める。意義をよく知らないのだが、ディスカッション中心のイベントに参加し、面談を乞うてきた京都のベンチャー産業、神社仏閣でのブライダルビジネスの企業との約束がある。明日も執筆するならば、内田樹の文章を参照して、「現代の就職活動を経験する大学生の大半が、数々の脱落とお祈りメールを経て、精神の摩耗を経て自己軽視と愛社精神を培っていく」という仮説を立て、論じてみようと考えている。初回にしては堅苦しすぎるような、noteの船出ですね。

 最後に、参考文献を粗雑に書き連ねておこう。大束貢生、2019、「日本における男性ジェンダーと男性対象のジェンダー政策の多様性」佛教大学社会学部論集。多賀太、2006、『男らしさの社会学』世界思想社。随時、友枝敏雄ら、2017、『社会学の力』有斐閣。

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