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小説『灯火』⑦-2

「おばあちゃんの家がね。あ、隣座ったら?」
「あ、はい。失礼します」

 言われるがまま、私も隣のマッサージチェアに腰を下ろす。せっかくだから、ポケットから百円を取り出して起動させた。

「まさか橋本さんとこんなところで出くわすなんて、びっくりです」

 私の中の橋本さん像が少し崩れる。悪い方にではなく、好感が持てる良い方に、だ。休日はエステやヘアサロンで優雅に過ごしていそうなイメージがあった。

「たまに来るのよ。おばあちゃんとね」
「そうなんですね。仲良いんですね」
「まあ、仲良いといえば良いのかも。パワフル過ぎて困っちゃうけどさ」
「なんか、背筋もピンとしてて、お元気そうですもんね」
「うん。ダイちゃんにぞっこんで」
「ダイちゃん?」

 そういえば、さきほど脱衣場でふたりの会話を小耳にしたときも、ダイちゃんなる人物が登場していたのを思い出す。

「若手のイケメン演歌歌手。おばあちゃん曰く、若い頃のおじいちゃんにそっくりなんだって」
「ああ、知ってます。演歌歌手っていうより、戦隊もののヒーローやってそうな人ですよね」
「そうそう。色白だけど腹筋が綺麗に割れてるの、あの人……ってやだやだ、私まで最近ブログチェックするようになっちゃってるし」
「おふたりそろってお好きなんですね」
「えー、私は違うって。おばあちゃんに駆り出されてるだけだもん。ダイちゃん自身のライブもだし、あとNHKがよく懐かしの歌コンみたいなのやってるじゃない? ああいうのにも、すぐ観覧希望のハガキを出すわけ。で、どういうわけが当てちゃうの。なんで私までうちわ持って応援してるのか、訳わかんないよ」

 迷惑そうな口調で言うものの、顔は笑っていた。嫌々付き合っているわけではないのだろう、と放たれる空気感でも伝わってくる。

 しかし、「数年前にね」と言葉を続ける橋本さんからは、すっと笑顔が消えた。

「おじいちゃんが亡くなって。だからおばあちゃん今、ひとりで暮らしてる。広い一軒家でひとりね」
「そうなんですね……」
「だけどね、おじいちゃん亡くなってからなんだよね、パワフルになったのは。気を落としてるんじゃないかって、こっちはすごく心配してたのに、ダイちゃんのライブやら近所の人たちとカラオケやら、この間なんて、食べ放題に行ったらしいよ。悲しいと食欲って減退するものだと思ってた」
「気を紛らわそうとしてるのかもしれませんね」
「きっと、そう。心の奥底では寂しくてたまらないのかも。私、おばあちゃんの家で見つけちゃったんだよね」
「何をです?」
「睡眠導入剤」

 まるで人の手に叩いてもらっているような振動を背中で受け止めている最中だった橋本さんは、「あー、そこそこ」と気持ちよさそうに言いながら話を続ける。

「おじいちゃんがいなくなってから、よく眠れなくなったらしいのね。今時、睡眠導入剤を飲んでるなんて珍しい話じゃないと思うんだけどさ、身内が飲んでるところを見つけちゃうといけないものを見ちゃった感じでテンパるよ。上手く言葉には出来ないけど、切ない気持ちが込み上げてくる」
「ダイちゃんでは、完全に心の隙間は埋まらないわけですね」
「大体さ、ダイちゃんがおじいちゃんに似てるなんて、おばあちゃんもよく言うよ。昔の写真見せてもらったけど、一ヵ所も似てないんだから」

 私と橋本さんは、顔を見合わせて笑った。
 職場で顔を合わせるときとは、明らかに異なる感覚。緊張感のない場所だとこんなにも接近出来る。気分が少しずつ高揚していくのが分かった。

「谷口さんてさ、どうして今の仕事に就いたの?」

 橋本さんが、素朴な質問をしてくる。

「うーん」

 改めて訊かれると、答えを一言で収めるのはとても難しい。

 高校を卒業して、二十歳を迎える頃まで私は何もしていない、いわゆるニートだった。担任や進路指導の教師に宣言した通り、私は家族と過ごすことに時間を費やしていたのだ。

 けれど、そういった毎日を続けるのが正しいと考えながら生きていたわけではない。

 毎朝教室の扉を開けるときの緊張と不安、クラスメイトから向けられる尖った視線、名前を呼ばれるたびに己を認識せざるを得ない苦痛。それらからやっと解放されたのだから、少し休ませてほしかっただけ。当初こそはただただ他人と距離を置いた時間が、私には必要であり重要だった。誰かさんから「甘ったれ」と非難されても致し方ないのかもしれないが、否定される謂われはない今は堂々と言い切れる。

「私、自分を試したかったのかも」
「試す?」
「以前は、小さなクリニックで働いていたんですけど、そのうち総合病院でも働いてみたいなって思うようになって」

 もしかしたら家族としか接しない日々の中で、もう他人と共存するのが嫌になってしまうのではないか、といった危惧は少なからずあった。だから徐々に笑顔を取り戻していく先で、心が外へ向かうようになったときは大袈裟ではなく生まれ変われたような感動があった。インターネットや求人誌を眺めては未経験可の仕事をチェックするのがいつしか習慣になり、目に留まったのが近所のクリニックの事務である。

「私、人と接するのが得意ではないんです。自分に自信がない分、患者様が来院するたびビクビクしてましたし、お願いだから私に質問しないでって勤務中に念じたりもしてました。でも、もう少しだけ頑張ってみよう、もう少しだけ勇気出してみようって気持ちで続けてたら、自分がどこまで出来るのか試してみたくもなったんです」

 クリニックでの勤務経験は、私にとってなくてはならない宝物になった。環境に恵まれていたのも幸いだったと思う。院長や先輩は、社会経験のない私に一から丁寧に指導をしてくれたのだから。そこで得た自信と他人に対する信頼こそがひとり暮らしを決断させてくれたのだろうし、まだ踏み入れた経験のない世界が雪原のように広がっているのだと知ったら、同じ場所に留まっているだけではもったいないと思えた。

 とはいえ、かつて解放された瞬間に喜びを得たほどだった濃密な人間組織の中に身を置くのは怖かった。また現実に絶望してしまったらどうすればいいのか。不安はひとつ見つけてしまうと、次から次へと溢れ出すもの。

 だけど、「あのクリニックを辞めてしまうのは、少し寂しいけれど」と前置きした上で背中を押してくれたのは学さんだった。

「きっと、あっちゃんは呼ばれてるんだね。こっちに応援頼む! って誰かがあっちゃんを必要としてる声に。新しい環境で生きるのって不安もリスクもあるけど、その選択肢を無視出来ないのは自分の可能性を信じたいからでもあるんじゃないかな。どちらにしたって、僕が応援しないわけがないよ」

 私は決してこの世界で孤独なんかじゃないんだ──。

 すっとそんな実感が降りてきた。

 学さんとの出会いが偉大でかけがえのないものだとは分かりきった事実なのだけれど、もっと以前から、そう、孤独に感じられた高校時代でさえも、私は真の孤独なんかじゃなかった。

 心の中で守り続けてきた灯火がある。予期せず野田幸一郎が分け与えてくれた「必然」という炎は、時が経つほど一層優しい光を照らし出してくれている気がしてならなかった。

「自分がどこまで出来るのかって、うん、知りたくなるよね」
「橋本さんは、どうして今の仕事に?」

 すると彼女も、「うーん」と思案顔になる。

「私は、おじいちゃんのお見舞いによく行くようになってから、病院で働くっていうのもいいかなあって思ったんだよね。それまでは……あのさ、これ、ここだけの話にしてくれる?」

 背もたれから上半身を浮かせた橋本さんは、私の顔を覗き込むようにして言ってきた。

「あ、はい。もちろん」
「私、モデルになりたかったの」

 恥ずかしそうに目を伏せながら、橋本さんは頬を赤らめる。

「中学生の頃に一度、ファッション雑誌に載ったことがあって」
「え、すごいじゃないですか」

 私も背もたれから上半身を浮かせた。

「私も単純にすごいって勘違いしちゃった。街で声かけられて撮ってもらっただけなのにね。それから沢山コンテストとかオーディションを受けて、だけど結果は全滅。当たり前だよ、他の子たちは血の滲むような努力をしてたんだから。私は、たった一回載った小さな記事にのぼせてただけ」
「でも、橋本さん、今もスタイル保ったり努力してるんじゃないですか? 私、何気に橋本さんのファッションチェック毎日してるんですよ。高いヒールがすごく似合ってて、憧れてるんです」
「ありがとう。じゃあ、応援してくれる?」
「応援ですか?」
「私、いつか病院の広報誌に載ってみせるから」

 一拍置いて、私たちは休憩スペースに響き渡るほどの笑い声を上げた。
 思えば、同年代の子とこんなふうに話をするのは久しぶりだった。

 職場の人物相関図を作るにあたって、橋本さんと私を線で繋ぐのに恐れ多さを感じていたのは、自分にないものを彼女が多く持っているからであって、私自身が自分の過去に後ろめたさを抱いているからでもあった。橋本さんには、後ろめたくなるような過去などあるはずがないと決めつけながら。

 「過去は変えられない」とは、これまで多くの人類が口にしてきた。続く言葉は、「未来なら変えられる」だ。
 ただし、過去も現在も未来も、私が「谷口あかね」であり続けることに変わりはない。ならば、変えられる未来のために、変えられない過去を少しは肯定してみてもいいのではないだろうか。時にかつての記憶は、現在の私に大きな救いをもたらしてくれるのだから、現在の私がかつての私の背中をさすってあげるくらいしてもいい。そしていつしか、この手が誰かの背中をもさする慈しみを持てる日がくればいい。

 マッサージチェアが停止すると橋本さんは、長椅子ですっかりうとうとしていたおばあちゃんを優しく揺り起こして帰っていった。

 次回は一緒にお風呂入ろう、と言われたけれど、スタイルのいい橋本さんの前で裸になるのは、かなりの勇気が必要である。今日から腹筋始めてみようかなと考えながら、私は二度目の入浴をするべく女湯の暖簾をくぐった。

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書き留めていたい。東京在住。30代前半。猫派。ポジティブにもネガティブにも偏りたくない。極度の方向音痴。鬱・社会不安・PMS・難病…諸々アリ。小説や詩、エッセイなど投稿しています。誰かの役に立てたらすこぶる嬉しい。そして、今日も生きている。Twitter:@k_hiroko888
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