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小説『灯火』⑨【了】

⑨私たちには未来がある

「あ、あそこあそこ。あっちゃん、空いたから座ろう」

 私と学さんはクレープを片手に、ちょうどふたり分の空間が出来たベンチにそろって腰を下ろした。

 都内の水族館を楽しんだ後で、同じ建物内にあるクレープ屋さんへ向かった。びっくりするほど賑わっていたので並ぶのは諦めようかと思ったものの、後ろ髪を引かれて結局私たちは並んでしまったのだった。

「クレープの香りは、魅惑的だよね」

 学さんが、女子みたいな発言をする。しかも、彼が注文した品は「キャラメルミルフィーユクレープ」。名前の響きも女子感が半端ない。私は無難に「イチゴチョコクレープ」にした。

「水族館、何が一番良かった?」

 唇に付いたキャラメルソースをペロリと舌を出して舐めながら、学さんが訊いてくる。

「もちろん、カワウソ」

 にひひ、と私が笑うと、「もうっ」とこれまた女子みたいに頬を膨らませるから、私はそれを人差し指で突いた。

 水族館のカワウソをガラス越しに眺めながら、「あのね」と私は学さんにカミングアウトしたのだ。

「実は私が学さんに好意を抱いたきっかけはね、学さんがカワウソに似てるなって思ったからなんだ」

 私のカミングアウトを受けた学さんは、「それって、喜んでいいのか分からないなあ」と首をひねっていた。

「喜んでいいんだよ。カワウソって可愛いっていうか、愛らしいっていうか。だから、学さんを初めて見たときに、可愛らしい人だなって思ったの」
「じゃあお言葉通り、喜ばせてもらうよ」

 そう言って、「ああ、確かによく見ると可愛いなあ」と水槽にいるカワウソを見つめている学さんを見ていたら、私は可笑しくなって笑ってしまった。

「なんで笑うの」
「だって、自分で自分の可愛さ認めてるみたいなんだもん」

 その後、お土産コーナーで私と学さんは、お揃いの小さなカワウソのぬいぐるみを購入した。

「ところで、あっちゃんさ」

    クレープの包み紙を破きながら、学さんが私の顔を覗きこんでくる。

「野田くんって人とは、あれ以降どうなの?」
「え、野田くん?」
「もしかして再会したことで、運命感じちゃったりとかしてないよね? ふたりきりで会ったりとかは?」

 学さんが言う「あれ以降」の「あれ」とは、病院の受付で野田幸一郎と再会を果たした直後に、地元の喫茶店でご飯を食べた日のことだ。

「ああ、あれ以降は……ごめん! 一度だけふたりきりで会いました……」
「え! そんな!」
「でも、あれは緊急事態で、その、変な意味でのふたりきりではないんだよ」

   *

 病院の屋上からSOSを発していた、野田幸一郎。あの夜、私は彼の心に小さくとも火を灯すことが出来ただろうか。

 屋上のベンチで、しばらく野田幸一郎は号泣していた。声を上げて、体内の水分を一滴残さず絞りだすように泣いていた。

 やがて、「なあ、ここさ、すっげえ寒くないか」と服の袖で涙を拭いながら真面目な顔で言い出した。「それ、今頃気づく?」と私も真顔で返すと、唐突に野田幸一郎が両手でお腹を抱えながら前のめりに上半身を倒した。

「え、何? 大丈夫? お腹痛いの?」

 慌てる私をよそに、野田幸一郎から聞こえてきたのは、クックックック、と笑いを噛み殺す声だった。

「ちょっと、笑ってる?」
「いや、今の真顔。谷口、めちゃくちゃ怖い真顔で言うからっ、クッ…」

 ついには本気で笑い出す。
 失礼な、と思いつつ、私も笑った。野田幸一郎が私を見て笑ってくれたのが嬉しくて、笑った。

 屋上を後にするなり私たちは、病院の近くにあったコンビニで缶コーヒーを買い暖をとった。

「これから、俺が母さんの人生をちゃんと終わらせてあげなきゃいけない。携帯電話の解約、郵便物のストップ、住民票や戸籍謄本からの除籍……」
「うん。野田くんにしか出来ない仕事が残ってるね」
「ああ。だからさ、俺、まだまだ死ねないわ」

 コーヒーを最後の一口まで飲み終えると、野田幸一郎は、コンビニの前に並ぶゴミ箱に向かって、まるでバスケのシュートを決めるみたいに缶を放り投げた。

「今日はありがとう」振り向きざま、野田幸一郎が言った。「谷口あかね、本当にありがとう」

 別れ際も笑顔だった。とはいえ、家に帰れば彼は実家の一軒家でひとりきりになる。また何かをきっかけに、気分が沈んでしまう可能性もあるだろう。

    今夜は素敵な夢を見ながら野田くんには眠ってほしいな、と思いながら眠りに就いたら、翌朝にはスマートフォンに野田幸一郎からメッセージが届いた。

『俺さ、来年沖縄に行こうって決めた』

 未来の話が記されていたことに、口元がほころぶ。

 どんなにいつかのあの日に戻りたくても、時間は二度と戻らないし、戻せない。その代わり、私たちには未来がある。いつかのあの日から繋がってきた時間の流れの先に、未来があるのだ。

   *

「あっちゃんってさ、嘘がつけないタイプだよね」

 困った子を見るような表情で、学さんが私を見る。

「もしかして学さんは、嘘をつくのが上手いタイプなの?」
「僕は、嘘なんてつかないよ」
「じゃあ、他の女の人とふたりきりで会ったりとかは?」
「まさか。職場のトイレで掃除のおばちゃんとふたりきりになったことはあるけど」
「ふうん」
「あ、疑ってるな。自分は他の男と会ってたくせに」
「事前に伝えなかったのは反省してます……。逆だったら私だって嫌だから」
「え、何だって? 聞こえなかった」
「逆だったら私だって嫌だからって言ったの」
「それはつまり?」
「つまり……私は学さんが好きってこと」

 笑みを誤魔化すように、クレープを口いっぱいに学ぶさんが頬張る。その姿を見て、「なんか、いいなあ」と私は意識せずに口走っていた。些細な幸せが隠れているこんな日々は、なんかいい。

 時折、昔の感覚に戻る悪夢は今も見る。所詮夢は夢なのだから起きた瞬間に葬ってしまっても構わないのだけれど、明るい未来を想像出来ずに絶望の淵を彷徨う私の肩を叩いて、いつか夢の中で告げてあげたい。


 もうすぐあなたの心に火が灯る日が来るよ、と。


「ん? 今なんか言った?」
「ううん、別に。ねえ、私も一口もらっていい?」

 学さんが手に持つ「キャラメルミルフィーユクレープ」を私は一口かじる。あまりの甘さに舌がとろけてしまいそうになった。

【了】


★最後まで『灯火』を読んでいただき、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

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書き留めていたい。東京在住。30代前半。猫派。ポジティブにもネガティブにも偏りたくない。極度の方向音痴。鬱・社会不安・PMS・難病…諸々アリ。小説や詩、エッセイなど投稿しています。誰かの役に立てたらすこぶる嬉しい。そして、今日も生きている。Twitter:@k_hiroko888

コメント2件

ハッピーエンドの余韻がいいですね。タイトルにぴったり。
To.はずれスライムさん
コメントいただきありがとうございます。
タイトル同様に、読んでくださった方の心に淡い灯火が宿ってくれたらと願いますが、筆力が…(´;ω;`)勉強します。
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