見出し画像

季節とデータにバイオリズムを少々

 昔から見慣れている里川の流れを毎日通勤時や仕事の移動中に眺めている。川は水量の増減や季節によってその表情を変化させる。何ともいいものである。
 6月とは自分にとってそういう時節なのだ。それは渓流釣りにて、ある里川のポイントに6年間毎年1回は通い、6年目に訪れた光景に関わりがある。以前の自分は本流・渓流大物釣りに明け暮れていたのである。

季節と天候による増水の変化でポイントが豊かになる

 では川の表情の変化とは何かというと、水量が増えることによって現れる荒々しい流れの迫力と波打つ流線の美しさである。釣りをする前の自分なら増水といえば台風などによる濁流をイメージしていたが、現在は濁流後の水の落ち着いていく姿を想像しワクワクしてしまう。
 最高のタイミングは水位が高い状態で濁りがとれてくる笹濁りという状態だ。このタイミングが、ポイントによっては大物が掛かりやすいタイミングであったりする。大物釣り師にとってこのタイミングで最高のポイントを攻めることは至福の瞬間の一つといってもいいだろう。
 普段はあまり勢いのないプアな流れの場所であっても増水によって、その場所が一変する。特に川幅狭くて、大石が沈んでいるポイントや、次の瀬に切り替わる前のかけ上がりと言われる場所は、大物が定位するポイントに変わるのである。
 そして今時期になると田んぼの始まりと増水がかさなる。しばらく泥濁りが続き濁りがとれづらくなるが、同時にこの土が掘り起こされたタイミングは餌をミミズへと切り替えるタイミングでもある。
 田植えが終わって落ち着いてくると増水しても川の濁りはとれやすくなる。

 2010年6月27日、本流・渓流釣りを始めて6年目、証拠にもなくまたある川の同じポイントにその年も入川していた。ちなみにこのポイントでいい思いをしたことは6年間で一度もない。最初にこのポイントに入ったのは、渓流釣りを始めて1年目の禁漁前最後の休日だった。それまではその手前のポイントまで釣り上がったことはあったが、その先はまだ未開拓であった。その年最後の釣行だったので来年に備え下調べを兼ね、そのポイントに釣り上がってみる事にした。釣り上がったといっても藪を上り、田んぼのあぜ道を進み、また降りられそうな場所で河原へ下るのである。
 そのポイントは岩盤のエグレに沿って水が流れているポイント。上流は右岸から左岸へ2メートルぐらいの滝になっており、少し開けた区間のあと、そこから場所によってジャンプすれば飛び移れそうな絞られたポイントを経由して、また下流に開けていき、次の瀬へと流れていく全長約30mぐらいで深いとこでも1.5mあるかどうかぐらいの区間である。
 ちなみに自分が狙っているターゲットは大アマゴ(ヤマメ)であり、鮭属なので遡上魚である。したがって、大きな滝などがあるとそこが魚止めとなる。
 まずそのポイントに着いて思ったのは、ちょうど魚止めになりそうな場所であるということだ。さらに下流には大物がよく釣れる落ち込みのポイントがあるが、そこはおそらく増水すれば遡上できるポイントだ。その上流の瀬を遡上すれば、かなり深い淵になっており、その淵から遡上して一瀬上がったところがこのポイントになっているのだ。
 最初にこのポイントに入った時はここまで詳しくこの川を把握出来ていなかったが、魚止めになることだけは予想がついた。それから6年間毎年1度はこのポイントを訪れてはいたが、大物は釣れたことなど一度もなく月日は無常に経過し6年目の2010年6月27日、この場所で遂に念願の自己レコードである大アマゴを釣り上げる事になった。

水位データー

 それではその大アマゴにどのような経路で遭遇したのかを見ていきたい。
まず6年も川を釣り歩いていると、それなりにデータが揃ってくる。自分にとってその代表的なデータは各河川に設置されている、国土交通省による水位データだ。この水位データの蓄積よって、その河川が今どのような状態であるかをある程度分かるようになるのである。大事なことは釣行の度にその河川の水位を釣り手帳に記録していくことだ。ちなみに毎年新しいデータを記録しなくては意味がない。なぜかと言えば川は台風などの大増水により、河床が変わるからである。厳密に言えば変わる度に新しいデータを採取しなければ、正確に読み解けないのである。
 読み解けるようになると、データの蓄積によって、最高のタイミングに遭遇する確率は確実に上がるのだ。その最高のタイミングが6年後に訪れたわけだが、その瞬間があのポイントが最高に荒々しい流線形を描いていた瞬間でもあったわけだ。
 さらにこのタイミングでの仕掛けのメソッド、竿、針と餌のマッチングも追加される。仕掛けのバランスは竿と糸の号数それに合う針の号数とのバランスを、ターゲット+水位の高さで決める。さらにこのタイミングで餌はミミズをチョイスし、針の号数もそれに合わせてあげていたりと、経験から導き出されたデータによって組まれていたのだ。
 そして大物が増水時にどこに定位しているかをよみ、立ち位置などを決め、魚をかけた後どこで取り込むかを想定する。さすがに6回も通っていれば地形の把握は大体問題ない。問題はこの増水のタイミングでどこに大物が定位しているのかをよめるかだ。この時の自分はほぼ迷いなく、普段の水量ではさほど流れのなかったそのポイントのお尻部分にあたる、通称かけ上がりを一投目から攻めて、非常に落ち着いて自己レコードを仕留めている。
 これも経験と情報というデータからもたらされたものであると言えるだろう。

パターンをみいだす

 そのような感じで最高の瞬間に出会ったのは間違いないのであるが、このことから新たな問いと向き合うことになる。それはこの最高の瞬間に妙に自分が落ち着いて自己レコードを仕留めた事によって生まれたことだ。
 それは魚の喰いと潮の満ち引きとの関係だ。よく言われている話だと思うが大潮の時は魚の活性が上がるというやつだ。これは魚と潮との関係なのだが、自分が立てた仮説は魚ではなく、潮に影響を受けているのはむしろ人間のバイオリズムではないのかという仮説だ。
 自分はこの大物をゲットした時の落ち着いていた自分の状況が非常に気になり、もしやと思い釣り仲間が大物をゲットもしくは遭遇している時の潮の状況を調べてみたのだが、少なくとも自分が把握していた情報から辿った限りは、大潮だから釣れていたわけではなく皆バラバラだったのだ。したがって潮の満ち引きの状況は、その人に合ったバイオリズムに関係している可能性はあるではないかと仮説を立てたのだ。
 そこで自分はどのタイミングでこの自己レコード達成したのか調べてみると、どうやら中潮から小潮に向かっているタイミングで達成していることがわかった。そこで自分は再度このポイントへ同じ水位ぐらいで、なおかつ中潮から小潮に向かっているタイミングで入川する実験を試みることにした。
 とはいえ自然が相手のことであり、そう簡単にはそのタイミングに出会えないと思っていたが、その年に再度似たようなタイミングがたまたま訪れ実行に移した。
 結果は自己レコードとはならないまでも、またもやそのポイントで大物を仕留めたのである。

 ある意味自分の立てた仮説は証明されたのではあるが、同時にその瞬間、醒めた自分に遭遇することになったのである。6年間膨大に無駄な時間を過ごし、仮説を立てるプロセスまではおもしろかったはずが、たまたまとはいえ答えみたいなものが出た瞬間飽きたのである。
 いつもならそれだけの大物が釣れたら、魚の写真も撮りまくって興奮するのに、魚を取り込んですぐリリースし、仕掛けをたたんで釣りをやめ、帰宅したのだ。ただの確認作業のようにである。

 この事によって得たものがあるとすればそれはズバリ、答えを出した気になってはいけないということではないだろうか。ある問いがあるなら、さらなる問いに繋がることが望ましいのである。

 これが今更ながらふりかえって思う、6年という無駄な時間を費やして得たことである。

 この場所はその川の中でのほんの30mぐらいの僅かな区間。他にも魅力、人気のある大物が釣れるスポットは、この川の中に何ヶ所もあるし、自分もこの場所よりも通ったポイントが何ヶ所もある。しかし渓流釣りの中で、この場所ほど濃い時間を過ごした場所は無い。ここは自分だけにしか出会うことができなかった特別な場所だった事は間違いないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?