MOT「翻訳できない わたしの言葉」を見てきた
2回目の東京都現代美術館(MOT)。
気になっていた展示を、また見に来ることができてうれしい。
一緒にやっていた他の展示も見たので、また別で書く。
特に気になったもの
南雲麻衣|Mai Nagumo
3つのエリアのうち、丸テーブルで流れていた家族とのコミュニケーションについて友人と日本手話で話している映像が気になって、長いこと見ていた。
楽しそうで、私がふだん話しているよりずっとおしゃべりだった。
見ながら『君の手がささやいている』という漫画のことを思い出していた。
この漫画は、ろうあ者である主人公が、健常者ばかりの会社に就職するところから始まる。
次の引用画像は、その同僚が、喫茶店で手話話者たちが楽しそうにおしゃべりしている様を見て、疎外感を覚えるシーンだ。
子どもの頃に読んでから、ろうあ者や手話のことが気になってはいた。ただ実際にそれを身近で出会うことはなかった。だから、このシーンが本当にはどんな風なのか分かっていなかった。
それを、動いている状態で見ることができたと思った。
音声日本語を母語、日本手話を第一言語として、2つの言語を使う世界で生きていると、日本語だけを言語として使う私とは違う見え方をしているのだろうか。
手話で話しているとき、その思考も手話なのか。書き言葉はきっと日本語だから、頭の中も日本語なのだろうか。
ユニ・ホン・シャープ|Yuni Hong Charpe
方言とか発音の正しさと「わたしの言葉」についての展示。
伝わる発音でなければ他者に伝わらない、という問題がある。
文章としてテキストにおこせば、発音の問題は解消されるけれど。
しゃべるときは方言のイントネーションや語尾があっても、いざ書き起こしているとそれらはほとんど消えてしまう。方言言葉はそのまま使うこともある。
言葉はコミュニケーションのために使うものでもあるけど、私の考えや感情を表現するためのものでもあって、それは必ずしも誰かに伝わらなくてもいいのかもしれないと思った。
マユンキキ|Mayunkiki
パスポートを模した冊子が積んであった。
読んでサインをして、スペースに入った。
1つ1つに品名と著者のメッセージが添えてあり、どういう思い出があるのか、どんな経緯で著者のもとに来たのかが分かるようになっていた。
たくさんのものが思い入れとともにそこにあって、薄暗さも相まって、頭を覗きこんでいるような気まずさがを覚えた。
おわりに
私は、自分にない視点だったり、普段は出会わない感情だったりを期待して、現代アートを見に行っていると思う。
今回もそれを得られて、見に行ってよかった。
地元から離れて関西に住んで早10年。
親なんかと話していると、すこしイントネーションや語尾が地元の言葉に戻る。でも普段はもうほとんど出てないらしい。
方言とわかりつつ使う言葉もあるし、生粋の関西弁とは違うけど関西の表現も使う。
話しているときに、つい使ってしまうフレーズもある。
この文章も、私が好きだなと自然に書けるなと思う文体で書いてる。
会場に掲示されていた各テキストもサイトで読むことができる。
行ってなくても、ぜひ読んでほしい文章。
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