1889年9月20日野並茂吉生まれる

 野並茂吉(1965年12月6日没)は、栃木県鹿沼市に父渡辺富三、母ミツの次男として生まれました。裕福な家に生まれましたが、家業が傾いたため、学校を中退し、奉公に出ました。宇都宮、東京で働き、次に新天地横浜をめざします。弁当屋に勤めていたとき、結婚をすすめられたそうです。婿養子の話でしたので、野並家に入り、姓が変わります。
 崎陽軒の事業は、1908年初代横浜駅(現桜木町駅)に食品の販売目的でスタートしました。崎陽軒は、創業者の久保久行が長崎出身のため、長崎の漢文風の別称「崎陽」に由来しているとのことです。崎陽は「太陽の当たる岬」の意味です。
 茂吉は1927年頃からシューマイの開発をはじめたようです。横浜に何か名物がないか、中華街を考えながら歩いてシューマイの販売を考えついたとのことでした。彼は栃木なまりからシューマイを「シウマイ」と発音していました。こうして今の有名な横浜名物が誕生しました。実は鹿沼市では、商工会議所をはじめ全市をあげて「シウマイでまちおこし」にとりくんでいます。シウマイがブランドとして定着すれば良いと願っています。
 話は脱線しますが、シューマイのことで栃木県には、もう一つ情報があります。県南部には「足利(あしかが)シューマイ」という名物があります。私もとなりの佐野市に住んでいますので、食べたことがあります。肉類を用いない焼売です。タマネギと片栗粉を主材料とし、蒸すか、揚げるかして提供されます。したがって価格はとてもリーズナブルです。誕生の背景として、戦後の食糧難があったようです。多くの人はシューマイを醤油にからしで食べると思いますが、私たちは地元特産のソースをつけて食べます。ですから、「普通のシューマイ」は「肉シューマイ」と呼んで区別します。
 餃子とシューマイは対で扱われることがあります。宇都宮の餃子と鹿沼のシウマイ、となり同士でもっと有名になることを願っています。#今日は何の日 2024.9.20