江戸の子育て

【美しい生き方 (この国の心をうつす。日本人になろう)シリーズ第9回】-「江戸の子育て」
【江戸の子育てに学ぶ~江戸の寺子屋と段階的養育法 おかげさまで素晴らしい手習いとなりました♪】"うまく生きようではなく よりよく生きよう"

お寒い中 元氣でご参加頂いた方々と今回も深い学びとなりました!私は江戸の人達は”うまく生きようではなくよりよく生きよう”という生き方のもと 子育て人間教育をしていたことです。そこには 仁 義 礼 智 信の五常の徳を 頭だけではなく 体感 実践で身につけられるよう考えられていたのです!

子供は”世の中の宝であり「ヒトとして生まれてきた赤ん坊を人間まで育てること」それは一人前の男主(おとこあるじ)女主(おんなあるじ)を育てること(自分の頭で考え、自分の言葉で話、自立している)でした。

明治の初めころ 訪れた西洋人が一番驚いたのは はなたれl小僧がきちっと挨拶ができ、字も読み書けたことです。その識字率は、江戸時代・嘉永年間(1850年頃)の就学率は70~86%といわれており、同じ時期のイギリスの主な工業都市でも約20~25%(1837年)、フランスではわずかに1.4%(1793年)、ロシア帝政時代のモスクワでは約20%(1850年)などと、諸外国に比べて格段に就学率が高かったのである。そしてこれが、明治維新後の文明開化期に、一挙に西洋文明に追いつく日本人の知的な底力を形作った一因であったのです

その要因は寺子屋の存在です。
☆寺子屋の呼び名は、上方((京都・大坂地区や伊勢地方など)で用いられ、江戸周辺では「手習指南所(てならいしなんじょ)」・「手跡指南(しゅせきしなん)」等と称されていた。江戸方面では教師を「手習師匠」と呼び、通学している児童を「手習い子」・「筆子(ふでこ)」と呼んだとされています。最盛期には1850~1870年頃には 15000~16000あったといわれています。

「寺子屋」教育の特色・特徴を総括するならば、それは道徳に基づく全人格的教育の重要性を認識していた師匠たちによる「段階的養育法に基づく、理論と実践を融合した総合人間教育」とでも云えると思います。そして師匠たちは、「三つ心、六つ躾、九つ言葉、文十二、理十五で末決まる」という諺にみられる段階的養育法に基づいて、道徳や処世術・実社会での実践を想定した「寺子」各人の性格や成長段階に相応しい指導・教育を心掛け、各々の子供の個性や得手不得手を見抜き、またその子の適材適所を心得て指導に当たり子供の将来に相応しい道を示唆したのです。

子供達もそうした通過儀礼をうけることにより、歩一歩一 
一人前の男主(おとこあるじ)女主(おんなあるじ)になることを意識し自覚していったと思います!

是非 江戸期の人間養育を今に活かしていきます!

かんながら ありがとうございます。

今回も主催者の野田 久美子 (Kumiko Noda)さんより 干支入りお菓子頂きと記念品頂きました!いつも感謝してお

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