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禅とジブリを読んで救われること多きかな

禅とジブリという本を読んだ

勢いのまま書いてみようと思う。
この本はある意味の救いの書であり。ジブリのマメ知識の本でもあり。ジブリ作品の解説本でもある。

というかジブリそのものが禅や仏教/日本的そういったものを多くはらんでいるがゆえにそういったニュアンスが豊富な本になっているのだと思う。この本の中で好きな部分いくつかあるが自信を持って1番といえる部分に第2章「放下著」「即今目前」という章だ。

「放り出せ」「今を生きよ」

「放下著」「即今目前」というのはそういった意味らしい。
お釈迦さのお言葉過去と未来にとらわれてはいけないそういった言葉にも関係してくるようだ。

過去と未来にとらわれるということは、「今この瞬間に集中できないこと」
今を生きろというと

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漂流教室のこのシーンを思い出す。
もしかしてそういった考察もあるのかななんて思いながら脱線せずこの本に戻ってきましょう。

「ゆとり世代」「さとり世代」は頑張っても仕方ないと感じている世代
これは先のことを考えすぎているのかもしれない。

文中にもこんな風に出てくるように確かに現代は具体的な準備などをしすぎているよなあとすごく感じています。
特にゆとり世代の僕たちは「何があってもいいように」ではなく「こういうことが起きるからこういう風に」と準備や勉強をします。

これって今を生きていないのかもしれません。
この世ではもう興味がなくあの世のことを考えている様に。

また、、章の中でわからないことの強さにも触れていました。
お前にサンを救えるか
このセリフに耳なじみのある方は多いと思います。
有名なジブリ作品の一節。

それに対し主人公の一人は
「わからぬ」「だが、共に生きることは出来る」と続けて答えます。

結果は担保できないがそこに向かい努力することは約束できるという、あやふやなわからなさを認め受け入れることが強さになるのではないかと。
すなわち、わからないことが人生なのだ。けど幸せを祈って生きていくことは出来る。それが人生だと。
そして、答えを出す学問とは違い、わからないことを受け入れるのが宗教の優しさであるとしていました。

枝葉どころか葉脈の時代

木を見て森を見ずどころか葉っぱ見ている時代すらも超越し、葉脈を見ている時代になっている。この先はない必ず揺り戻す。そんな風に書かれて今す。
確かに僕も感じています。
何事も禁止禁止やこれはこうしなければならないといったマナーなどは本当に窮屈で誰がための誰という部分が狭すぎるように思います。もっと大局的な視点や観点の大事さがこれから

ほかにも救われる言葉がたくさん出てきます。
最後に総評的に

僕にとって久々の大ヒットの本です。
この本を表紙が見えるように置いていた紀伊国屋書店さんに感謝します。
また、鈴木敏夫さんということを教えてくれた箕輪書店のメルマガにも感謝です。鈴木さんのひととなりが何となく見えていない限りは接待この本に興味は魅かれませんでした。

それはこちらです。こちらもすごくいいので是非。
この本に書かれる言葉はどれも自然体だが配慮ある口語。

本当にその会話を耳で聞いているようにすらすら読みながら。時に心に深く来ます。気軽に読めるのに気持ちにささるなんて心地いい本なのかと覆いながら読ませていただきました。

反芻しながら読み少し時間がかかってしまいましたがさらっとも読めると思います。
若い人ほど読んで見てほしい。また最後の最後に大好きな曲を紹介します。
閃光少女/東京事変 です。歌詞のリンクを置いておきました。
是非本と合わせてお楽しみください。
今を生きるために。必読書です。

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