結局また独りになってしまった



話したこと目にしたこと食べたもの行ったところ話題にしてたこと聴いてたもの、匂い、味、音、感触、色、空気、全部、ダメになってしまうんだと。

知ってしまったものの数が多いほど失うものが、ダメになる受け付けなくなるものがその分あるわけで。

私は、世界が広くなったと思ったら逆にとんでもなく窮屈な空間に押し込まれてしまって、息ができない。





無理 情緒不安定すぎる

すぎる


結局また1人になってしまった

中途半端に、生半可な気持ちで、安易に、誰かと一緒にいることの幸せを知ってしまうとその後の後遺症がひどい。私は独りなんだという現実をひどく突きつけられる。


もう独りは嫌だと思うがゆえに婚活を始める人の気持ちがわかる。

年齢がそうさせるのか。




否定したい結婚願望

好きな人がいてその人との時間をこれから先も続けていきたいがゆえの結婚、ではなくて、独りは嫌だからという寂しさを脱却したい、将来への漠然とした不安ゆえの結婚。

いままでは前者だと思っていたのに、というか結婚自体あまり浮かべることなかったのに。
後者の気持ちが自分の中に芽生える瞬間を感じた気がしてなおさらこの現実が無理になったし、否定したい気持ちでいる。




別れたい理由

お互いに好きだから、共有する時間が楽しいから一緒にいる、そしてこれからもその時間を過ごしたい、それがどうしてダメなのか。 

楽しいなら一緒にいればいい、それだけの話で。
でも、相手からは「今は楽しいけどこの先同じようにそうやって過ごせると思えない」と言われた。ということは、結局のところ今もうすでに一緒にいることが嬉しくないということでないのか。

先のことが考えられない。プレッシャーになる。
私が結婚したいとせっついているわけではなくても、自分が勝手に責任を感じて、この先も一緒にいられるかは分からない自分に今の関係はプレッシャーになると彼は言った。

今こうして一緒にいることは楽しいんだよね?だったら、それでよくない?こうして何気ない時間をひとまず過ごしていきたいとは思わない?それじゃダメか?と聞いたけれど、「続けられるかわからない」と言われた。

今は一旦フラットに接してみて、また少し時間がたったら気持ちが戻る可能性はどうか?今感じているプレッシャーが落ち着くことはありそうか?と聞いたけど「ないと思う」と言われた。

私の好きという気持ちに対して「ちゃんと返せる自信がない」と言われた。


これまで自分に対して愛おしいという気持ちを持ってくれていたはずの人からの「気持ちはもう戻らないと思う」「モチベーションが回復することはないと思う」と言われるのって、すごく、きつい。
よくネットなどでは「男の人が別れを切り出すのは相当の覚悟や理由があるから」などと見ていてそれをすり込まされているものだから余計に、ああよほど私のことがもう冷めたのだなと思い、苦しくなった。



愛情が冷めたのと、プレッシャーを感じるようになったのは、プレッシャーを感じるようになったのが先だという。

先のことを考えたら、責任を負える気がしない。この先もずっと一緒にいたいと自分が思っているのかはわからないし、そう言える自信がない。プレッシャーを感じ、それゆえに、私に対する愛おしいという気持ち、恋愛感情の好意ゲージが下がっていったと。


付き合ってから今までの間で、私はどうすればよかったのか、私に何かできたのか。
もっと若ければよかったのか。



でもどうしたってそれだけじゃない。プレッシャーが、と彼はしきりに話していたけどそれだけじゃないだろうし、なんならそれはおまけの理由では、と思ってしまう。
あくまでもテイのいい、言いやすい理由で、日々過ごしていくなかでの私の何かあれこれに、違和感や相手の気持ちを冷ますものがあったのではなかろうか。

と言いつつ、相手の言葉の裏や意味を探り、相手の言葉を素直に受け止められない信じられないところもまた私の悪いクセなのか。




過去の自分 ブーメラン

実際、私も相手のどこか嫌なところがあってもそれを言えずに「あなたがどうとかじゃなくて、彼女でいることにプレッシャーを感じて私が勝手に疲れてしまった」と言ったことがある。
自衛からか、なんなのかよくわからない。とにかく、自分が別れを切り出すときは、本当に思ってることを相手に言えなかった。


本当は、相手に対して若干イヤだなと思ってしまう部分があった。そしてあのとき私は相手に対して恋愛感情が芽生えることはなかった。かつ、相手からの愛情は感じられず、この人本当に私のこと好きなのかな、これって付き合っている意味あるのかな、私この人のこと恋愛感情で好きと思ってないしな、付き合ってみたら気持ち変わるかもと思ったけどそうもならなそうだしな。こんな感じでただ付き合ってるいう関係性だけあるのなんか嫌だな、負担だな、ああバレンタインデー近いじゃんイヤだな、お別れしたい。
→「彼女という立場に疲れてしまった」



まさに私は今、あの時の自分とおなじことを彼に言わせている。今度は自分が気を遣われて、また彼も自衛しているのかもしれない。わからない。どう考えてるかなんてわからないし、そもそも分かってたらはじめからフラれていない。

少なくとも、楽しい未来を描けるような言動をしてこなかった、この先を考えた時に憂いてしまいそうな時間を過ごさせてしまった、モチベーションを下がらせていた私に不足があるのは確かで。『今は結婚とかは正直分からないけどそれでもこの関係は続けていきたい、維持するための働きかけをしていきたい』とは思わせることができなかった私の失敗。




またいつもの話 ギバーかテイカーか

結局のところ、好かれること愛されることにフォーカスしてるからフラれた時のショックがでかいのか。
自分が好き、自分が愛してるからそれでいい!ってなってるとそれはそれでしんどいものも多いけど、でもそっちのほうが高らかにいられるんじゃなかろうか。わたしはできる限りのことをした、納得いくまで愛した、後悔ない、というものが優位であればまた違うのかもしれない。

何が正解って、そんなん人それぞれでしかないのだ。
ある人から見れば健康だしある人から見れば不健康だし、本人が高らかに幸せだと思ってて楽しくて泣くことなんかなくて充足感を得ていられることが何よりなんだろうに。

でも一方的な自分よがりの好きでいても辛いし、苦しいんだよね。
ああなんだ、むずいよね。



愛されるため、もらうための頑張りじゃなくて。
愛するため、与えるための頑張り、工夫。
それを出来ていなかったように思うし、今も正直何をどうしたら何が与えられるのかわからない。そもそも私は相手に何かを与えたいと思っていたのか、いなかったんじゃないか。藤井風の「満ちてゆく」の歌詞が自分のことを指しているようで仕方がない。

他人から末永く愛情を受け取ることも差し出すことも。
それらができる人はすごいことで、私はそのあたりが欠損してる。修繕できるのか。




あとのまつり

家族でも友達でもない、第三者の登場。
知るのが遅かった。

自分のそれまで眠っていたこそばゆい部分を満たしてくれる瞬間を一度でも得てしまうと、それを知らなかった頃の自分にはもう戻れない。

先がないと感じる。私にはもう希望がないと思ってしまう。この人がダメなら私はもう一生ひとりだと、付き合った当初から思っていた。それが、突きつけられた今。




ああ、頭が痛い。二日酔いか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?