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「ナミビアの砂漠」に勇気づけられて

6:16 AM
さて、あまり寝ていない。
眠れなかったということではない。
単純に遅寝早起きなのだ。

ナミビアの砂漠から一夜明けて、まだ映画を消化しきれていない。
恋愛映画のようにみえて、自分とは何か?おまえは正直に生きているか?
という問いを突きつけられている気がしているからだ。

私は正直に言うと、正直に生きられていないと思う。
そもそも映画を観たのも、丸善&ジュンク堂で「恐るべき新世代映画監督」の本が面陳で置かれていて気になったからだ。さっそくスマホに映画名をメモして(ごめんなさい)、Filmarksで上映館を調べて、次の日の仕事帰りに観に行ったくらいだ。自分の意志なんて映画を観に行こうということくらしかなくて、肝心の何を観るかなんて外から来た情報で、自分の意志ではないのだ。

こういうとき、自分はプログラムされたロボットのように感じる。スマホのカレンダーに上映時間を登録して、時間が近づけば出発時間の通知が来て、そのとおりに動くロボットだ。映画館に到着してお腹が空いていたので、店員さんにおすすめのメニューを聞いてホットドックとフライドポテトを注文した。自分の意志なんてない。目についた「大阪映画サークル」の新聞を買ったが、いくつかある中から「ナミビアの砂漠」の記事が掲載されているものを店員さんに選んでもらって買った。その場に新聞なんてなければ買わなかっただろう。私は流されて生きているのだ。

ただ、その時に、店員さんから「ナミビアの砂漠面白かったっすよ」って声をかけられてハッとした。たったそれだけなのに嬉しくなった。何故かはわからない。ちょっと人間らしさを感じたのかも知れない。誰かと喋りたかったのかもしれない。店員さんの感想をききたいけど、ネタバレは聴きたくない。

自分なりに考えて「えー!やっぱり?楽しみです!」くらいしか返せなかった。それでもあの瞬間は自分の頭で考えて、自分なりの返事をしたのだ。書店の「推し」に流されて映画に興味を持ち、ロボットのようにプログラミングされて映画館まできて、何を口にするかも人に任せて、映画館の雰囲気に流されて新聞を買ったけど、最後の返事だけは自分から絞り出すように答えた私の正直な言葉だ。

カナは「映画なんて観てなんになんの?」と言っていた。
私は「ナミビアの砂漠」を見て勇気づけられた。
もっと正直に、楽しく生きていいのだ!

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