向こうに糞が落ちている

外を歩きながら視界に入るしばらく向こう、糞(くそ)が落ちている。軽自動車さえ避けていくような狭い道にて向こう、目で測ればフレンドパークの第一種目、フランキー為谷の生きがい飛びの助走台ほどの長さの奥、まさにその場所に位置している。醜さゆえの茶の汚さ。人のものか犬のものか、その答えは大した意味を持たず、確実なのは何かしらの肛門を抜けて世に誕生を果たしている事。その肛門が誰のものであれ、生を受けた時点で、糞の誕生は真に平等を極める。糞について誰しもが気が付かず、そもそも考えていない事、それは、糞は糞であり他の糞と平等であるという堅い理。とにもかくにも平等なのである。糞ほど他と平等な存在は見たことが無いと、糞を知るものは誰もが言う。ことに、平等さには色素が宿り、くさみが宿ることを、糞は己をもって証明してしまった。

避けられないことはない。避けられない事態など何事にも存在せず、手立ては必ず残されている。まして平等を極める糞に関してのひと話ならば、糞ガワにも、人ガワにも、まったくどうしようも無いほどに満足のいく完璧な選択が存在している。彼は既に、避けられないことはない、そう考えて一度止めた足をまた踏み出そうとしている。

彼は朝、自動的にパチリと目が覚め、休日であったのでそれがとにかく嬉しく、いつもの巨大な長方形がふたつ、細いツルがふたつ、劣化による光沢が見受けられる糞のような眼鏡を、寝具脇のタンスと呼ぶには小さい、彼の言うところの 物が入る台 に投げ、72時間は持つと信じ込んでいる24時間寿命のコンタクトレンズを時間をかけて装着した。まともな視力を取り戻し家を出たのは実に15時。目が覚めてから8時間後の出発であった。

行くあてはなく、歯をすべて抜いて肛門に詰めてやりたいと願う人間の人数を考え、67、68、69、70を突破したところで冒頭に戻る。糞が落ちている。まさに行く道をふさぐ形で、たしかな糞が、たしかに落ちている。糞は、糞だけでなく、糞の周りまでも糞にしてしまう。糞は糞で、糞の付近も糞なのである。

彼は昨日、先日までロサンゼルスへ留学に行っていた幼馴染と1年半ぶりの再会を果たした。夕の暮れ、三軒茶屋、なんとも不潔な店で、噛むと水の出る唐揚げは初めてであったが、幼馴染の米国ナイズされた顔面を見るたび、それが何よりの肴であると、まっとうな友情のうえに感じていた。幼馴染は決して出発前と少しの変化も無く、強いて言えばアグラのかき方を忘れていたことくらい。その件についてアメリカにはアグラという概念がないのか、と尋ねると普通にある、との事で、それで以上。アグラについての話は終わってしまった。彼は、幼馴染は実はアメリカに行く前からアグラなどかけなかったのではないか、アグラがかけないことを女々しいと感じ、そのほうがよっぽど女々しいというのに、それを隠していたのではないか、と推理をしたが4秒で忘れ、しっかりと23時に帰宅。彼はせわしない日々の中で、賢い選択というものを忘れたことがなかった。酒は3杯でやめる上に、車道側を歩く上に、服はジャストサイズで揃えた。

その次の日、冒頭に戻る。糞が落ちている。向こうに糞が落ちている。糞がイッポン、とにかく落ちている。彼は糞について思考を巡らせ、その濃厚さは外国帰りの親友の記憶すら飲み込んでしまうほどの黒色であった。

彼は大分の中津市に生まれ、当時は母親が健在であったことから、小学校に入るまでは幸せにのびのびと育ったが、母親は病に倒れ、父親は逃げるように姿を消した。父親は自身の経営していた会社を支えきれなくなり、それを心配した母親はストレスに身体をやられてしまった。母親はむなしく死去、残された彼は母方の祖母の家に引き取られ、そこから1年間は一切の出来事が起こらなかったのだが、2006年7月29日、彼が8歳の夏、屋根裏の収納から日本刀を見つけてしまう。彼は賢い為、元々あったところにしまい、2度とそれに触れることはなかった。

それから14年が経ち、冒頭に戻る。糞が落ちている。向こうに糞が落ちている。避けられないことはないが、糞を避ける事、糞を賢くいなす事に、彼はある種の辟易を感じている。

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