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断片を育む

装丁やデザインを生業としつつ小説家・エッセイストとしても活躍されている吉田篤弘さん。普段から読書はする方なのだけれど、タイトルや内容を読まずに著者の名前だけで欠かさず書籍を購入して読んでいるのは、氏の作品だけのような気がする。


いつも予約注文をしていて正確な到着日を把握していないがため、何の予兆もなく自宅のポストに届くのだけれど、そんな感じも不意をつかれたプレゼントが贈られてくるようで、書籍が届くだけでなんだか日常のエッセンスとなっている。そんな新刊「ぐっどいゔにんぐ」が昨日ポストに投函されていた。

今回の新刊は、氏の構想段階の文章の「断片」がイラストとともに掲載されているのだけれど、構想段階で作品のタイトルのついているものもあれば、本当に短いほんの数行の文章だけが掲載されているものもある。それが最終的に長編小説に発展していくのか、短編小説になるのか、はたまた一生日の目を見ることのないお蔵入りになってしまうのかは著者本人にも分からないのだそう。

近年はこういった制作段階やプロトタイプの時点でコンテンツ化し、そのサービスを受ける受け手側とのコミュニケーションを図ることが多くなってきたように感じる。今年の2月に開催されたStockholm Furniture Fairではスウェーデンのデザイン企業Form us with loveが「PROTOTYPA」という未完のプロトタイプを展示するプロジェクトを開催していて、現地に行けない状況だったけれどSNSなどを通じて彼らの行なっている対話型のデザインアプローチなどに注目をしていた。

こういった完成した段階でターゲットに合わせたマーケティングを駆使し受け手側とコミュニケーションを取るのではなく、制作段階からプロジェクトの参加者として関係性を築くことで、相互に相手のストーリーや世界観の理解や探求、愛着へと繋がり、作り手と受け手の関係性の境界線を突破していくように感じる。

こうした制作過程「断片」にはある種の自由さや余白が伴っていることがとても良い。受け手側がどんな想像や妄想を広げても構わないし、その想像や妄想も言葉を変えればそれが最終段階のアイデアにも捉えることが出来るかもしれない。だからこそ「断片」は植物の種のごとく、しっかりと観察しながら育んでいく姿勢が大切なのだろう。世の中の状況や自身の経験それらと複合的に絡み合う「断片」だからこそ、それが急に芽を出すこともあればそうでないこともあるので急ぐことなくじっくりと育む必要がある。

これからの時代はこの「断片」をどう育むかが大切になってくるだろう。

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