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リモート中に読んだもの、見たもの3

前回から2ヶ月以上が経っている事に気がつき、急いで最近読んだ本をかき集めた。6月頭から自分のオフィスで仕事を再開しているので既にリモートでなくなって久しいが、とりあえずタイトルはこのまま進めたい。

このnoteはその時の気分の記録とアウトプットの手段として継続していきたいので、次回から違うタイトルにしよう。

NEXT GENERATION GOVERNMENT

もともとは春にロンドンに行った時の飛行機で読んでいたもの。オフィスに置きっ放しになっていたので、メモを含めて読み返す。

昔に作られた工業社会的なモデルで構成されている産業やビジネスモデルが、現在のニーズの多様化を拾い切れない(対応しようとすることでむしろ提供されるサービスは限定的になっていく)という最初から一貫した内容は、自分が関わっている音楽やクリエイティブ産業でも顕著なため具体的な事例も含め面白く読み直せた。

コロナ期間で自分の会社や自分が提供しているサービスの内容について考え直したことも、この本をより面白く読み直させてくれた気がする。

サービス受益者への主語の転換(○○ファースト)、ツリーからプラットフォームへ、Community Solution、輸入置換、DIY:Development Impact & Youなど、若林さんらしい豊富で適切な事例の使い方で、非常にインスピレーションを受けた。

個人的に河川工学者である大熊考に関するコラムが面白かった。『技術にも自治がある』を引きつつ、「自然と技術」に関する内容はどこか「アーティストとビジネス」と対応しているように感じられたのは考え過ぎだろうか。

土木というジャンルに関してUPLINKで公開された『GROUNDSCAPE』というドキュメンタリーシリーズをお手伝いした時に、その奥深い(かつリアルな)現場にいくつも立ち会うことができ、強い興味を持ったのを思い出した。下記のトークイベントの記録も是非読んでみてほしい。

大熊考に関しては、wikipediaにリンクのあった以下のダムに関する論争も面白かった。

あとこの本は僕の大好きな平松さんが写真を担当しているし、ザラッとした紙の質含め手に取った印象がとてもよかったので、自分が本を作るときの参考にしたい。

図解 モチベーション大百科

もっとサラッと本に関して言及するつもりでこのnoteを始めたが、前述のような本はどうも色々書きたくなってしまう。それにくらべると、こういったノウハウ本に近いようなものは、前回noteの最後にある机の動画とほとんど同じレベルで考えられる。

こういった本に書いてある一つ一つのケースをしっかりインプットして自分のものにして実践することは可能なんだろうか。自己啓発本もそうだが内容がストレートでシンプルすぎるので、逆にメタ視点での思考が前景化して内容が定着しない。

内容が人に伝わるプロセスやそれを実践する条件などについて考えるために、プラグマティズムについてしっかり勉強したいとここ数年ずっと思っているが、それについて思い出しこの本の後に手に取った『プラグマティズムの帰結』は読めずに悲しくなった。

隷属への道

コロナ期間中、自分の政治性について色々考えたし、直近だと都知事選もあったので学部時代の原点でもあるハイエクを読み直す。ローティを読めなかったのはショックだったが、自分がある程度真面目に勉強した分野なら読み直せることがわかったのが素朴に嬉しく、どんどんページをめくる。

「寛容」「道徳」「自由」といったワードが頭にハッキリと並ぶ。久々に強く実践的な思想を目の当たりにして身が引き締まる、と同時に今考えるべき内容としてもしっくりきた。

Twitterのアプリを消してから、「無駄な」政治的言説に気分を害されたりすることが少なくなった。同時に極めて現実的な意味で自分にとっての利益とは何か、自由とは何かを考えることからでしか意味がない気がしている。他人に自分の立場や主張をアピールしたり、自分の利益にならない共感や連帯について、「政治的に」必要だから考えることのリアリティのなさを実感する。

現実的な自分のための利益を考えることと、ここ数回のnoteで考えている「かっこいい」条件の関連性についてもう少し考えたい。

「空気」と「世間」

自分の利益にならないまとまりや連帯を考えるとき、日本特有の問題に立ち返ることになる。

阿部謹也、佐藤直樹や山本七平というこれまで日本の「空気」や「世間」について考えてきた研究者や思想家を引きながらテンポよく書かれている本書は、そういったことについて考えるには最適だった。

「社会」を対象とし、「社会」でのインパクトを考えて動き続けること。しかしそこに存在している差別的で排他的な「世間」を認識し、山本七平の言う「空気に水を差す」ようなスタンスで、どうでも良いしがらみから逃れ続け、マニュアル/形式化されていない方法で人と協業していきたい。

山本七平の本も棚にいくつかあるので読み返したい。

芸人最強社会ニッポン

以前のnoteをアップした時に、Rhetoricaのメンバーとこの本の話になった。やはり日本におけるポピュリズムを理解する上で「芸人」以上に適切なテーマはないと思う。

日本独特の笑いを求められるような学校内(前述した内容を意識して言い換えれば、学校という「世間」における)のコミュニケーションがどのように発達し、その過程で芸人たちがどのような自由に立ち向かい、何を民主化したかが非常にわかりやすくまとめられている好書。

70年代における一億総中流社会の発生と新しい「世間」、90年代以降の生活が変わったにもかかわらず変わらなかった「世間」意識など、現代の日本社会(特にSNS)で起きている事象に対して示唆が多く、面白く読み進めた。

最後にそれでも「笑い」が大事だという結論もよかった。

vanitas No.006

Rhetoricaの太田くんが毎回編集・DTPを担当しているvanitasの新刊を手に取る。太田くん自身も「路上の『メディア・トラック』あるいはポスト・ヒューマンへの轍」というHippie Modernism: The Struggle for Utopia展についての文章を寄稿していて読み応えがあった。

「デジタルディバイドが発生する現場」というファッション関係者による匿名座談会で、文字通りディバイドが生まれていて笑ってしまった。Aという20年フリーランスでスタイリストをしている参加者が、キャラクターを作ってるんじゃないかってくらいの頑固オヤジで面白かった。

同時にAの主張も分からなくもない。デジタルとリアルの単純化された対比ではあるものの、積極的に後者の価値を訴えようとする姿勢はコロナが蔓延するこんな時期だからこそ一定のリアリティがあるのも確かだ。

何かを訴える時の「カッコよさ」の条件について考える。社会と世間どちらに向かって言動を行うか。そこで想定されている他者は、どんな可能性があるのか。

西周と「哲学」の誕生

同じRhetoricaでも唯一アカデミアに残り精力的に活動する石井くんの著作も、買ってしばらく積んであったのでこの機会に目を通す。

高度成長期でも明治期でも良いが、その頃の歴史に名前の残っている文化人や政治家には本当に感心することが多い。21世紀の日本に歴史に名が残るほど明らかに偉大だったり頭の良い人間ってどれだけいるんだろうか。

いつも半分冗談で「自分たちの世代はマジでしょうもない、何も起きなかった、誰もいなかった世代として総括できそうな気がする」みたいな話をよくするが、普通に悲しいのでどうにかしたいという気分もある。

ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力

以前Wiredの新刊で取り上げられていた本書。再入荷のお知らせを受けすぐに購入。

ジョン・キーツの言った「それは事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」というネガティブ・ケイパビリティについて紐解いていく本書は、「分かろう」とする僕らのようなビジネスサイドやマネージメント側と「分からなくても良い状態に耐えられるアーティスト」という対比にも読めた。

昨年1年間TohjiやMall Boyzのみんなと一緒に活動する中で自分が得意で、かつアーティストにとってネガティブな効果をもたらすことがある能力として、この「分かる」能力のことを考えていた。

人文系の大学院に進学しRhetoricaのような批評的なグループで活動していることや、広告代理店でプランナーとして働いていたキャリアを考えても、自分は意味の解釈や記号の分析を通じて対象を「理解」したり整理するのが得意だと思う。フィーリングを大事にする音楽やクリエイティブ業界において、その能力は以前よりも顕著に感じられることが多い。

しかし「分かる」ことや合理的な「理解/整理」がアーティストやクリエイティブの邪魔をすることも多い。本書でも記号を介在すると理解が早まり効率的だが、そのことで理解の範囲が決まってしまいそれ以上には絶対にならないというような記述が何度も出てくる。音楽に関する直接的な言及で言えば、以下のような部分も存在する。

例えばクラシック音楽を初めて聴いたときなど、多くの人は「分からん」と言ってサジを投げます。しかしもともと音楽など分かるはずはなく、分からなくていいのです。味わうだけです。雄大な景色を味わうようにして、そこに身を浸せばいいだけの話です。晴れた日の山頂からの景色を見て、「分かった」と言う人はいないはずです。

自分がクリエイティブを生み出すアーティストを尊敬し、もっとも尊重しなければいけない存在として無意識に、ある種の思考停止を持って崇める理由が少し分かった気がした。自信がなく怖くてしかたなかった時、自分は目の前の現実や作品を「分かる」ことで自分の役割や自信を獲得してきた。だからこそ「事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」を持ち合わせ、常にその状態に身を置いているアーティストを崇拝し、支えたいと思うのかもしれない。

ドローイングの可能性

少しづつ美術館での展示が再開される中、一番早く?通常営業を再開した現美に足を運ぶ。3つの展覧会を開催しており、「オラファー・エリアソン ときに川は橋となる」も開催されていた。朝から車で木場まで向かい、平日午前中の空いた美術館で展示を見ることができるのは、独立したことによって得られる最も満足度の高い時間だなと思う。

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1番印象に残っているのは「ドローイングの可能性」で、様々な表現をドローイングとして捉え直すだけでなく、そのプロセスや揺らぎのような部分にフォーカスしたキュレーションもよかった。

最近自分たちの活動について「生活」-「制作」-「伝達」という分類をよく使う。ポイントは「生活(生活すること、またそこから生まれる感覚など)」と「制作(クリエイティブを作ること)」「伝達(人にメディウムを通じて伝えること)」が並列に扱われていることだ。通常クリエイティブや制作という言葉を使う時、後者のみについて考えることが多い。しかし「生活」のない制作や伝達は目的やコンセプトを失い単なる消費に回収されてしまう危うさと隣り合わせだ。というか「生活」のない「制作」は多くの場合商品でしかないとすら思う。そんな視点から作品を捉え直すことができたのが、本展覧会だった。

中でも戸谷成雄の作品に対する見方が大きく変わった。

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戸谷成雄の作品はこれまでに何度も鑑賞したことがあった。空間への眼差しが制作の核としてあり、彫刻という枠組みを問い続けている作家という認識はあったものの、正直これまでピンきたことはなかった。

しかし今回の展示に際したインタビューの中で、子供の頃の遊びに関する言及がある。竹藪に向かって石を投げる遊びが作品を作る「視線」というコンセプトの手前にあったことを知り(下記の動画だと4:10~)、多くの作品が一気に彩られたような感覚を得た。

子供の頃の遊び、そしてそこから立ち現れる戸谷自身の生活の感覚が、彼の作品を「作品」としてでなく、フィールできる体験として一気に身近なものにしてくれた。

遊びから生まれた気付き(生活)が、作品に刻まれた線や傷になり(制作)、それが彼の原体験から生まれたコンセプトを立体的に再現し僕の目の前に立ち現れる(伝達)。

もちろん作家であるかぎり「制作」を通じてでしか、その価値を作り出すことはできないし、そのクオリティや精度が最も重要なことには変わらない。しかし制作以前の「生活」や「遊び」という単位が見えることによって、作品がずっと強いものになる感覚は、その関係性について考えていた自分を勇気づけるには十分だった。

ミュージアムショップに置いてあった上記の書籍も冒頭で竹藪への言及があったので、時間があれば目を通してみたい。

New Photographic Objects 写真と映像の物質性

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浦和で仕事があり、少し時間が余ったので埼玉県立近代美術館へ足を運ぶ。周りが大きな公園に囲まれており、静かで良い場所だった。

ついでに駅前を散策し、PARCOと三越のテナントを見て回る。埼玉についての解像度が低いので、Rhetoricaの瀬下にメッセージをしながら大宮との違いについてなんとなく分かった気になる。

展示自体は意欲的だと感じたものの、前述の「ドローイングの可能性」の差を感じてしまう内容だった。

ただ若い作家が多かったことやアプローチしやすい作風が多かったことが、自分で制作をしたいなと感じさせてくれたし、実際当日1番惹かれた迫鉄平の作風は僕らが最近London Fashion Weekのためにチームで制作した映像作品に似ている部分が多かったように思う。

以前は毎日のように撮っていたスナップ写真もほとんど手をつけなくなってしまったし、ビジネスを「制作」として捉えて活動するという意識は確かにあるが、それにかこつけて自分自身のアートを作らなくなってはいけないなと思った。自分のためにもうまく時間を作りたい。

ドレス・コード?─ 着る人たちのゲーム

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京都国立近代美術館で開催された時から気になっていた展示だったので、コロナで流れずに良かったなと思いつつ、オペラシティのアートギャラリーは予約制入場で若干敷居が高かったが平日は枠にかなり余裕があったので足を運ぶ。

ヴィトンとジェフ・クーンズのコラボやデムナのインパクト、ハンス・エイケルブームの作品などを目の前にし、少し前のファッションに対する自分の興味を思い出す。2015年頃に比べると、消費意欲は高まっているがその文脈理解に対する熱は冷めているように感じる。自分にヴァージル以降のストリート/ハイプ的な影響がストレートに出ていることに気がつき、少し笑ってしまう。

アーカイブやファッションの歴史を再度確認する内容としては申し分ないものの、展示としてはもう少ししっかりと結論めいた示唆が欲しかったなと思った。

自分の消費意欲が2018年頃まで高まり続け、そこから徐々に下がってきていることは今のファッションの流れや限界を綺麗に表しているように思うが、そこに対する言語化の手助けにはあまりならなかった。

シャイニングラジオ

このnoteで自分の仕事や関わっているアーティストの具体的な活動に触れることはほとんどしていないが、「生活」や「遊び」という単位で考えると最近自分が一番楽しみにしているコンテンツはシャイニングラジオだ。

シャイニングラジオはTohjiがこの前まで家をシェアしていた同級生の若手芸人イクトと始めたPodcast。もちろん普段から一緒にいる時間が長いということもあるが、Twitterは息苦しくなりアルゴリズム全盛の今だからこそ、こういうコンテンツを見聞きしたいと思うのは僕だけではないはず。

ほぼ全員100万円もらえるフリーランス給付金

Youtubeのサムネイルやタイトルのウザさが気にならなくなって久しい。むしろメディアとしてのYoutubeは明らかな特異性をもってこれまでになかったコンテンツを生み出していると思う。

もちろん「テレビで流せない」ようなマスメディアの逆張りに面白さはないし、マスメディアとの序列を感じてしまうような動画は見ていて悲しくなったりするが、それでも面白いものはいっぱいある。

特に何かを説明する動画は特に意味があるように思う。上記のような給付金関連動画などは自分もよくチェックしているし、文字媒体よりもすんなりと頭に入ってくる。

Twitterを見ていると、過度に威嚇的な言動やほとんど陰謀論のような解釈がついたものが流通しがちだ(試しに「給付金」でTwitterを検索してみて欲しい。マジな地獄が広がっている)。グーグル検索もほとんどアフィリエイトとウェブショップに誘導されてしまう。そんな中で一昔前にブログが担っていたような個人レベルでのレビュー、また「難しくないけどとっつきにくい」ものにはこれからもYoutubeにニーズがあるように思う。

特に女性が陥りやすいやってはいけないダイエット3選&リバウンドしない為の方法

個人的にそのメディアの特性を最も生かしている(マスメディアやその他のSNSとの対比で)のがなかやまきんに君の「ザ・きんにくTV」だと思っている。

本人の興味や知識にはある一定の説得力もあるし、過度な商業的雰囲気を帯びている訳でもなく非常に共感が持てる。あまりにも単純化されたダイエット手法が蔓延する世の中で、しっかりとした内容になっていると思うし、女性もぜひチェックして欲しい。

何よりのびのび活動しているきんに君を見ていると、こちらも嬉しくなる。

フィジカル・フィジカルトレーニング総論Vol1

トレーニングで言えば、自分の大学時代の恩師が対談をしていた。

山木さんは自分にとって数少ない尊敬できる大人。しばらく連絡をとっていないが、変わらない独特の喋りが懐かしかった。内容も面白い。

実はお金が戻ってくる?キャバ嬢でも怖くないマイナンバー・税金・確定申告のこと

Youtubeの中でも個人的にホスト/キャバクラ系のYoutuberはよくチェックしているが、愛沢えみりのこの動画はとてもよかった。

Youtubeをやる以上、認知度や再生回数が価値の尺度になるのは当然だが、どういった目的意識を持って活動しているのかがストレートに伝わってくる。自分の活動や会社の事業でも言えることだが、やはり大きな目的を達成するための公共性が必要不可欠だ。

色々な意味で多くの人を勇気付ける動画だと思う。

「Bordering Practice」と「Imaginary Line」――交錯するアジアのエレクトロニックミュージックシーン

2019年8月まで4年間tomadがディレクターを務め、自分も毎年関わった国際交流基金アジアセンターにおけるリサーチプロジェクト/フィールドワークの集大成的なトークイベントの文字起こしがアップされていた。

協業や制作を通じてお互いの生活を理解するという意味で、多くを学ぶことができたし多くの示唆を得たプロジェクトだったので、またアジア関連の活動は機会があれば再開したい。コロナが収束することを祈るのみ。

レトリカ、その個人的な横顔

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そう言えば、我らがRhetoricaに関する連載が始まったらしい。有料メディアだが、初回は新刊のWiredでもブッチギリで頭のよかったSF作家の津久井さん。予想に反してびっくりするくらいエモ文だったので、興味のある方は是非。

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ここまで来て今回は英語のコンテンツが一つもないことに気がついたので、自分がチェックしようと思っていた&重要そうなものを2つ。

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Dazedのメディアレポート。それこそインフルエンサーなどが中心になっているメディア環境を対象としたもの。このnoteでもYoutuberについて何度も取り上げているし、自分の事業もその真っ只中にいるので早めに読みたい。PDFはフリーでDLできるし見た目もかっこいい。

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UKの音楽メディアにおける人種差別の問題を論じた論文?に近い分量のある記事。かなり分量があるので、翻訳ソフトでも使ってざっくり読みたい。





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