最近の記事

積極的な高齢者

よく若者に声をかけるおばあちゃんいますよね。 急に声かけられますよね。 JRのプラットフォームでおばあちゃんに身なりについて色々聞かれているおしゃれな女性(多分20前後)がいました。 楽しそうでした。 こういうのとてもいいですよね。 女性と比べ、生物的に共感能力に劣るとされる男性高齢者も話しかけていければ、孤独の前に衰えていくことも抑制できるかもしれないし、 若者も真似できれば、関係が希薄になっている現在の状況も改善するかもしれない。 何より賑やかな話し声がオープン

    • 春先取の玄人

      • 初心者ストリートピアノに対するイチャモンから考えること

        昼下がり、駅地下のストリートピアノで初心者の彼女と初級向けの楽曲を演奏した時の出来事です。 僕自身は幼少期からピアノを習っており、趣味としてこの上なく贅沢だと思う音楽をこれからも続けたいので、家に電子ピアノを置いています。ピアノに関してはほとんど初心者の彼女は、自発的にYouTubeにある初級の動画を見ながら弾きたい曲を練習しています。今日は駅まで少しお出かけしており、予定の時間まで余裕があったのとストリートピアノも誰も使っていなかったため、ちょっとだけ演奏していくことにし

        • 弱い心

           「なあケイ聞いてくれよ、俺やったよ、やっと見つけたよ。まさかこんなことがあるだなんて!」アイルは引退試合で点を取った時のように勢いのあるガッツポーズをして見せる。  「ああ、よかったな。そりゃ嬉しいな」「ずっと待ち望んでたんだ!それにあっちに向かって行ったらどうやらまだあるらしい。あぁたまらない」アイルは人目も憚らず大きな身振りで伝える。  「そうか。ラッキーだったな。」アイルは止まらない。「ケイ!お前はいいのか?これはとっても良いものだろ!」「必要ないよ」「なんて勿体

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          天才と凡人

          「天才だから」。この一言でなんでも片付いてしまう。 片付く、つまりこれを言えば終わり。 自分が天才だと思う人がいたとして、なぜその人が天才だと思うかというと、その人の現在地がわからないから。 彼が地平線よりも向こう側にいるから。 彼がその場所に辿り着いたのは、彼のスタート地点が、いや同一のスタート地点から離れた、彼の個性と環境を加算した地点が、その場所に近かった、または、そこからだと道を築きやすかったから、という時もあれば、 彼が目指す場所が遠くとも、ただ遠いという

          天才と凡人

          継続は力なり?

          最近よく思うのが、続けようとわざわざ思わないと続かないことをしていくのは難しいなということです。 勝手に続くものは気がつけば力になっています。 でも勝手に続くものばかりではもちろん足りませんよね。 「続けないと!」と思うものも続けていくことが必要。 そんなことできるのか?なんて考えたこともありましたが、習慣化できれば継続するものですね。 ”継続は力なり” これは真であることは確信しています。 でもなかなか継続できないものを、継続させるために、どうやって習慣に組み

          継続は力なり?

          髪型を探していると、

          髪が肩にかかりそうなくらいあります。長い間くくるばかりだったので、次はどんな髪型にしようかな。 僕は男ですが、メンズのミディアムやロングの検索結果はいまいちピンと来ず、女性のかっこいい系で探していました。 なかなかいいのが見つからない . . . すると、 検索候補に「奇抜な髪型 女 ロング」 お、少しくらい変わっているのにも慣れてきたし、むしろそういうものの方がかっこよかったりするよね! ・ ・ ・ ・ ・ すいません、甘い考えでした。

          髪型を探していると、

          少し暖かくなっただけで夏を思い始める

          少し暖かくなっただけで夏を思い始める

          最近の劇場用CM映画泥棒がおとなしい

          東映HP https://www.toei.co.jp/release/public/1202962_1140.html より、 彼らのことです。 この頃よく映画を見に行くようになりました。劇場で映画が見やすくなったと感じるのですが、おそらく彼らの影響でした。 何年も前のものと比べて音量が下がっている . . . ような気がする なぜ自信なさげなのかというと、見やすくなったのは音量のおかげだと思っている人はどうやら少ないようだから。 調べてみると私と同じように映

          最近の劇場用CM映画泥棒がおとなしい

          ゲームは悪ではないけど、ベストでもない

          私はゲームが大好きです。趣味の一つにゲームは必ず入ります。 プレイするジャンルに極度の偏りはないですが、強いて言えばシューティングが多いです。スマホではなく家庭用ゲーム機やパソコンでプレイするゲームが好きです。以上のようなプレイスタイルを10年以上続けて気づいたことがあります。 何週間、何か月という期間、毎日何時間もプレイするほど好きだったゲームも、ゲーム以外でより関心があるものを見つけると、あまりにあっさりとプレイしなくなるということです。 このように書いてみると、当

          ゲームは悪ではないけど、ベストでもない

          春から大学3年生、SNSをしない理由

          SNSでSNSをしない理由を発信するという愚かなタイトルで自分でも笑っている。もちろんLINEは使っているし、noteも始めた。ここでいうSNSとは友人との情報交換のような個人利用のtwitter, instagram, facebookのことを指している。 友人が遊びに行ったり、ご飯を食べたりしたという投稿を見る。この行為は必要なのかと思ってしまう。友人の最近の様子を把握することはそれほど重要なのだろうか。 利用したことがないにもかかわらずその意味を考えてもわかるはずが

          春から大学3年生、SNSをしない理由

          絶望という感動

          感動のもつ力は本当に強い。この事実は思い出せる古い記憶が強い感動を伴ったものであることからもわかる。古い感動は今の自分を形作っている。絶望もまた未来の糧となると信じる。 可能な限りすぐに、そして頻繁に感動に向き合った方がいい強烈な感動は自分を考えるきっかけになるが、その強さのあまり避けたくなることがある。絶望がその場合だ。しかし、絶望に向き合わなかった場合、負の考えが潜在意識に刷り込まれてしまう。 私は実際にそうなっていた。 初めての絶望との出会いは中学生の時だった。大阪

          絶望という感動

          聴くを上回る、演奏という最大の娯楽

          同じ曲でもプロが奏でる卓越した演奏を聴くことと自ら楽器を演奏することは全然違う。 聴いたものがどんなに素晴らしい演奏であっても、自分にそれほどの技能が無いことが明らかでも、日頃から演奏をたのしむ人が自分で演奏してみたいと思うのはなぜだろうか。 演奏は快を最大化する行為 聴くたのしみ、これは万人が毎日享受するものであり、その程度に大小あれど心が動かされることによろこびやスリルという快を感じている。ハマる曲、刺さる曲を聴くことがどれほど大きな快であるかは周知されている。 とこ

          聴くを上回る、演奏という最大の娯楽