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いま、あえて仕分けを…

朝起きて、ヒゲを剃る、歯を磨く、といった身だしなみ系や、休みにウォーキングをする、夜に筋トレをするといった健康系、起床後に当日のスケジュール確認をする、月末から月初にかけて請求書を作成するといった仕事系と、毎日が大小様々なルーティンで構成されていることに気づく。
おそらく、このルーティンは放って置くと、年々増えていく。
暇なときならそれでいいが、仕事も立て込んでくると、支障をきたすことになる。

ということで、あるとき、一念発起して「ルーティンを、毎日一つ削ること」をルーティンにした…。はい、言ってみたかっただけです。

が、2日で行き詰まった。

この2日間でやめたのは、サブスクで購入していた月刊誌の購読中止と、週1回、情報収集目的で訪れていたとあるサイトの閲覧。

情けない。
「これは、◯◯のときに必要になるかもしれないから」、「これは、もう少し様子見で…」と、なんだかんだ言い訳を作り、やめさせないようにしている自分がいる。

何なら、物理的にやめざるを得ないようにしてもらった方が、選択の余地がない方が、よほど楽である。

そういえば、昔あったよね。事業仕分け。

いいよね、これ。
「はい、このルーティンはいらない」
脳内の仕分け人が結論出してくれりゃいいのに。

結局、忙しくなったからと、覚悟を持って臨んだつもりだったが…しょせん、それくらいの覚悟であった、ということだ。生命を脅かすような忙しさだったら、そうはいかないだろう。まだいけるぜ!っこと?

それにしても、痛感する。
やめるのは難しい。


最近、業務改善の相談を受ける際に、できる限り、その業務をイチから教わって自ら触ってみることとしている。
そうすると、傍から見ていて「なんでこんなに仕事が溜まっているの?」、「なんで、そんなに時間がかかっているの?」という現象に対して、気づかなかった原因が潜んでいることがわかる。

「あぁ、そりゃ気が進まないわ」とか「そりゃ、効率悪いわ」と。

意外と、気づいているのだ、やっている本人は。その作業が、あまり意味がないのではないか?他に良いやり方があるのではないか?と。
でも「そうするように引き継いでいるから」、何なら「新しく覚え直しても面倒だから」と、思考停止して、ちょっとしんどいけど、「致命的ではない」作業を受け入れている。悪気はないんだけど、「致命的ではない」ことをいいことに、隠してしまっている。そして、いつしか「致命的ではない」非効率な作業が溢れかえり、手の施しようがない状態になってしまうのである。

こういう作業の中には、そのアウトプットを求めている上司に確認してみると、秒で解決することが多い。
「この資料って、全部必要ですか?」、「この資料のフォーマットって、こういうフォーマットに変更してもいいですか?」って。
そうすると「そうだね、この数字だけわかればいいよ。実は他の数字は見ていないから」とか、「別にフォーマットは、なんでもいいよ」とか。「えっ、そんなことやっていたの?!早く言ってくれればよかったのに」ということもあるだろう。

もう、技術やツールの問題ではない。
互いの思い込みの問題である。部下の「これしかやってはいけないのだ」という思い込み。上司の「そんな面倒なやり方でやっていないだろう」という思い込み。
これらを改善するのに、費用も時間も必要ない。
政府の事業仕分けをもっとソフトなものにした、業務仕分けのような場を設けてはどうだろうか?

DALL-Eにて

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