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かずみんへの恩返し

僕は高山一実さん、かずみんに人生を救われました。

弟が見ていた乃木どこで2013年の秋頃に親しみやすい感じの美人だなぁと認識したのが最初です。

年上かと思っていたら94年の2月生まれで一月生まれの僕とは同学年。さらには山口百恵や中森明菜が好きで高校生クイズも毎年見ていると聞いたら気付けば乃木坂の一推しになっていました。

2015年頃かずみんのブログではファンからのコメントを時々取り上げていて、自分のコメントした言葉があった時は自分の言葉がかずみんの励みになったのがとても嬉しかったです。誰かのためになれた実感がありました。

僕は小学校から高校まで放送部一筋、学生時代は大学の学祭などでMCや企画立案をやっていて多少は認められていたこともあり喋りか物書きの世界で勝負したかった。でも自分より才能や実力のある人は沢山いて、全国で挑戦しても無駄になるかもしれないと全国で就職活動をするか迷いました。そんな時、そのことを何気なくコメントしたところ

との回答が。この言葉に励まされて就職活動を始めました。

北海道以外でも就職活動をしましたが箸にも棒にもかからない。夏頃に気付けば進路が決まっていないのは自分だけ。自分は何も出来ず目標もなくニートやフリーターとしてやっていくしかないんだなと思いました。お先真っ暗状態。そんな時その現状をあまり人には話していなかったもののかずみんのブログには素直にコメントしました。するとこのようにコメントが。

この時僕はかずみんに救われました。本当に救われた。こんな人間でも見てくれている人がいるんだと。その瞬間就職活動を頑張ってお礼を言いに握手会へ行きたいと思ったのです。

それから2週間、それまでの惨敗ぶりが嘘のように就職先が決まりました。その後朝から晩までバイトして貯めたお金で幕張の太陽ノック全握へ。ミニライブで高山一実さんの姿が見えた時に大きな何かを達成した気がしてグッと来ました。

その日お礼を伝えることができて以来年に数回握手会に行っています。半年に一回とかでも毎回「潤ちゃんだ!」って言ってくれて人と普通に話すのが下手な僕でもかずみんとは何故か普通に話せます。
昨年NHKらじらーで僕のメッセージを読んでもらえた時にもちろん知っている人として僕のことを話してくれました。色々なラジオにメッセージを送っていることまで知ってくれていた時はリスナーをやってきて本当に良かったと思えた。結果DDだと思われていたのは計算外でしたが。(DDって言いかけてすぐマズいと思って言い直したのもかずみんの優しさが出ていたと思います)伊藤かりんさんが卒業した時にかずみんはブログで伊藤かりんさんがイチ乃木坂ファンだった頃からのことを書いていて、そんな細かく語ってもらえるファンになりたいと思っていた僕は感激しました。

学生時代のような希望も期待も年々無くなっていく自分にとって今の楽しみは高山一実さんの活躍です。
そして、アイドル高山一実は限りある時間であることは確かだから少しでもライブや全握に行くこと。僕が乃木坂活動費を工面する為になんとかサラリーマンに踏みとどまっている理由でもあります。

本来なら会社勤めもままならないような人間を会社員にしてくれて優しさを教えてくれて僕の人生を救ってくれた高山一実さんには本当に感謝しています。

昨年は恩返しの気持ちで台風被害に遭った高山一実さんの地元南房総市にも営業の手伝いで儲けた金を全額寄付をしました。大好きな恩人の大好きな地元を少しでも助けたかった。

家族や友達、ガチ恋とは違う大切な人、大好きな人。乃木坂のメンバーの中で高山一実さんは特別な人です。僕を救ってくれた恩返しをこれからも少しでもしていきたいと思います。

かずみん誕生日おめでとう!
生まれてくれて乃木坂のメンバーになってくれてありがとうございます。

ラジオとアイドルと鉄道模型に特化した人間です。 こちらでは鉄道模型作品の発表、自宅のNゲージタウンの日常や坂道48を中心としたアイドルの話などをしたいと思います。 週一回更新「潤ちゃんのリインカーネーション」