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場末のディサービス(28)ベネズエラ

ベネズエラは雨季と乾季の季節があり
雨が降り始めると あっという間にバケツをひっくり返したような
雨になる だから現地の人は洗濯物を取り込まない
外にでると 洗濯物が増えるだけだから・・・
 郷に入っては郷に従え  私も取り込まなかった
雨は長くても15分ぐらい すぐにやんで カンカン照りになり
洗濯物もすぐに乾いた。
トレーラーハウスの近くに チリからの家族が住んでいて
息子と同年齢の子供がいて 仲良くしてもらった。
可愛い娘さんがいて アンドレアという名前だった。奥さんから
チリの料理を教えて貰ったり、息子の3歳の誕生日ケーキを
一緒に作ってもらった。30センチぐらいの大きなケーキで
トレーラーハウス近辺の子供たちをみんな呼んでお祭り騒ぎだった。
1メートルほどもある3の数字をかたどったもの (中は空洞になっていて
中には小さなおもちゃをたくさん入れてある。)
それをつるして 子供が叩いて 中からおもちゃを落とす
子供たちは代わる代わる 叩いて それはもう大賑わいだった。
 用意も大変で、町まで買い物に行き 大きな数字(3)や中に入れる
おもちゃ ケーキの材料 ジュース 大人用のお酒 等
 現場で楽しみもなく 大いに盛り上がった。
アンドレア家族は ベネズエラの違う現場に移っていき 寂しくなった。

 ある日  

 近くのトレーラーハウスの方から 大きな魚をもらった。
うろこが5センチぐらいのとっても大きな魚 近くのオリノコ川で
釣ったとか・・・今思えば 熱帯魚のアロワナだったかも・・
もらっても・・・料理もできないし 多分近くの方にあげたんだと思う
 オリノコ川にはピラニアがいて 白身で美味しい川魚だった。
現地では よく食べられていた、人が食べられたという話は聞かなかった。
 そういえば ペルー人の通訳の方は川にダイヤモンド取りによく
行っていた。よくテレビでみる あれ! です。
砂金もとれ、ダイヤモンドも・・・米粒2粒ぐらいの大きさの
ダイヤモンドを見せてもらいました。
 実はゴムボートを買って川に行こうかと思った。でも

ゴムボート買ったよ~~~~。

川に繰り出す勇気はなく  (ピラニアに襲われるかも・・)
なんて思い 息子の水遊び用になった。
朝 水を入れておくと 10時頃には熱湯になり 水を足して
お風呂にもなった。庭に水をまくふりをして 私も遊んだ。 
 
トレーラーハウスから 普通の家に引っ越しになり
そこは日本人家族も住んでいて 窮屈な面も多かった。
主人の会社での役職がものを言う 日本人部落だった。
多くは東京 本社の方だったが、 うちは大阪の子会社からの参加だった
ので 多少は面倒くさかった。

 私と息子は あまり窮屈さは感じなく(マイペースな嫁で主人は大変だったかも)
あっちこっちのパーティに誘われて 出かけて行ったりしてた。
当時ベネズエラの治安は悪くなく 夜の10時ごろ パーティに出かけていた。ベネズエラ時間というのがあって パーティは午後10時ごろから
始める 慣れないうちは 午後 8時ごろ出かけて行って 誰もいない ということが よくあった。

  郷に入っては郷に従え   です。

息子と二人 夜中に ウロウロした。息子は女の子とまちがえられ
「ボニータ🥰」と言われ グラマラスなお姉さん、おばちゃんから
ほっぺにキスしてもらっていた。私は 現地の食べたことのない料理を
堪能した。
  ベネズエラに行って 痩せなかったのは 私達 親子だけ!と
言われた。 暑い中 近くの公園で息子の自転車の練習に付き合って
公園にある浄水器で冷たい水も飲んだ。飲み水は買っていたが、
少しずつ慣らして 浄水器の水も飲めるようになった。
 
 郷に入っては郷に従え   です。

続く・・・



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